ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

やはり三流

テレビではなくラジオで、国会中継を聴いています。追及は依然として続いていますが、やはりこれ、政権交代したとしても、結局のところ「政治は三流」の典型なのでしょう。たとえ、初心としては、真剣に政治改革を目指していたことが事実であったとはしても、ここまでくると、「三流」の中で揉まれながら二十年ほどを過ごしているうちに、妥協に妥協を重ね、自己のさまざまな限界を「不正な手段」のお金で解決しようとする態度が身に染みついてしまう典型を見る思いがします。まさに、権力の乱用です。
政治とはかかわりたくない、と今回も思いました。一定の把握なしに即断は不可だと思ったので、しばらくさまざまな種類の本を眺めてみましたが、緒方貞子先生が1960年代頃の論文で書かれていたように、「戦後、優秀なエリートは財界に入り...」ということの反映だとも感じました。つまり、指導者層は、戦前には一世の人がたたき上げで真剣に向かっていたのに対し、戦後は、二世だとか三世だとか、ただその家に生まれ、おじいさんが有名な政治家で、その遺伝子を引き継いでいるだろうからとか何とか、そのような曖昧な理由で、周囲に持ち上げられているうちに、おかしくなってきたのだということです。
内村鑑三の『代表的日本人』を読み直しています。西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮上人について書かれています。こういうものを読まない限り、自分のバランスが崩れていくような気がします。
「真実は細部に宿る」ということばがあるそうです。たとえ素朴であっても、地味な人生であったとしても、身の程をわきまえ、清潔に質素に堅実に身の丈に合わせて生きていく方が、どれほど幸せなことか、答弁を繰り返し聞きながら思います。これが晩節を汚す、ということでもありましょう。一声一声発する毎に、薄氷を踏むような感覚でしょうが、これが日本のイメージも、よりマイナスへと向かわせているのです。