以下は、6年前に作ったメモの抜粋です。
引用元は、国松孝二・伊藤利男(訳)『ヒルティ伝』白水社(1959年)(Alfred Stucki, Carl Hilty: Leben und Wirken eines großen Schweizers, 1946)です。
・異教徒を改宗させるためには毎年巨額の金を支出するキリスト教会も、この貧しさを静観。(p.43)
・貧者に味方することは、たとえそれが世間一般のしきたりから少しばかりはずれていても、かならず報いられるものである。(p.54)
・法というもの自体は、ずっと昔から今日まで、真実と虚構が一種独特にまじり合ったものである。そして裁判においては、真実の部分をできる限り活用することが、本質的に重要である。(p.59)
・本質的な応報を、表面的な刑罰の結果に求めてはならない。他人の眼がたやすくのぞき見ることのできない、人間の心のうちに求むべきである。そういう応報はつねに存在し、なんらかの外面的な刑罰よりもずっと良心に苛責を与えるものである。(p.61)
・あらゆる名誉を避けよう。あらゆるぜいたく、いっさいの享楽をのがれたい。(p.75)
・四十歳に近づくと、ひとは自分の使命がわかる。(p.86)
・大学の精神を、あまりに低い、あまりに民衆的なレベルに下げたり、もともとぜんぜん別ものである産業の精神と混同することをしりぞけた。(p.93)
・学者の生活には、なによりもまず《招聘》を受けることが必要である。《招聘》といったが、そのまことの意味は、うえからの招請のことであつて、自薦で出ていったり、あるいは当今はやりの縁故関係や、新聞報道、組合、政党などを利用して栄進することをいうのではない。(pp.94-95)
・学者生活にはいろうとするほんとうの勇気は、純粋な良心からしか生まれない。つぎに必要なのは、ひじょうな熱意と非凡な研究能力と大いなる諦念である。学問の片手間に、さまざまな集りに出はいりして、人生の楽しみをすべていっしょにあじわい、ゲーテの例にならって、人生を享受しようとするひとは、最初から凡庸以上の学者にはなれない運命をもっている。ある種の禁欲精神というか、あるいは宗教的な人生観にたって、いっさいの享楽生活を断念することが、学者の典型になるためにはひつようである。(p.95)
・大学教育を受けたひとびとは、それぞれの地方で住民の精神的、倫理的エリートに、《地の塩》にならなければならない。(p.95)
・また学問を、奨学金とか授業料免除などによって、すべてのひとに近づきやすくするという慣習は、国家にとっても、また学問をするひとにとってさえも、いろいろ考えるべき点をもっている。(p.97)
・苦労の多い、つつましやかな、利己的な野心にとらわれない、ほんとの学者らしい生活。(p.97)
・プロフェッサー「告白者」世間と世間のひとびとのあやふやな人生観に左右されない、自主的な先導的精神の持主。(p.97)
・実際、民主主義を実現させることはむずかしい。民主主義は全国のどのひとりにたいしても大きな要求をしなければならないというむずかしさをもつのである。民主主義、すなわちすべてのひとに、国家の繁栄につくす権利を与えることは、つまりすべてのひとがこの権利を、全体にたいする洞察と献身をもって、行使しなければならないという義務をもつのであるが、この大切な裏面は、しばしば見すごされる。(pp.114-115)
・政治は、それが個人の問題であるかぎりにおいては、自分の考えを偏見と誤謬からつねにときはなとうとすること、および他人の考えから偏見と誤謬をとりのぞこうとすることから成りたつ。このようにしてしだいに自分の確信がゆるぎなく安定し、あわせて他人の信念にたいしてしかるべき敬意、あるいは少なくとも思いやりが生まれ、本当の政治家にとって、つねに欠くべからざる資性ができあがるのである。(p.121)
・公人はその生活を、どこから見られてもいいように、透明な水晶のごとく清らかにしなければならない。(p.122)
・教会におけると同じく、国家においても、大切なのは組織ではなくて、ほんとうに生きる力をもった良心的な構成員が存在するということである。(p.123)
・伝統的な宗教教育のかわりに教会史の授業をやるがよい。(p.143)
・青年はみずからの進路を、勤勉と能力によって自分からきり開かなければならない。親の力をたよるなどもってのほかである。(p.150)
・高遠な志操をもち、時代の流行にこびることのないように。(p.161)
・幸福への第一の不可欠の条件
−道徳的世界秩序をかたく信ずること
−罪と憂いから個人として解放されていること
−神との結びつきがますます密接になること(p.168)
・貧しいもの、苦しんでいるもの、悩んでいるものたちの信頼を得ることが、キリスト者の内面的価値を決定する。(p.176)
・1906年アーラウでのキリスト教学生同盟の大会:聖書とともにある生活は、おそらくこの世でもっとも平易な、もっとも確実な生活。聖書のなかにのみ、つねに慰めと励ましが見いだされる。人生は聖書によってずっと自由にずっと生きやすくなる。正しくみちびかれてゆく。(p.190)
←ヒルティの聖書はぼろぼろ。各ページの欄外は小さな美しい文字でいっぱいに書き込み。聖書を無批判に受けいれていたのではない。(p.191)
・キリスト信仰は、ずっと自由なのびやかなもの。言語霊感説を信ぜず。(p.192)
・神学はたくさんの人間を妨げてきた(p.193)
・教会の責務は、苦境に立つひと、しいたげられたひと、貧しいひとすべてにとって、キリスト教こそがおよそ考えられるかぎりでもっともすぐれた世界観であるということを、ひとびとにふたたび理解させること。(p.196)
・キリスト教信仰が要請することをほんとうに真剣に受けとり、自己を去り、世俗からのがれ、利己的なのぞみを知らず、ただ他人のためにのみつくす(p.199)
(引用終)