ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

カール・ヒルティのことばから

あまりに富んでいる者やあまりに高貴な人たちには、生活を楽しくする実にたくさんの人生の小さな喜びが欠けている。こういう喜びは、小さな可愛らしい高山植物のように、いくらか硬い、石の多い土地にしか育たないものだ。また、今日では、経済的にばかりでなく、精神的にも、ほどにすぎた贅沢にふけることによって、その一生を台なしにする人が実にたくさんいる。(p.224)


「大きすぎる靴をはくな」というのは、私の思いちがいでなければ、アラビアの諺である。これは、高い地位にあっても人生が失敗に帰することがよくあるということを説明するものだ。なぜなら、靴が大きすぎるとその人の足もとが不安定になり、それに気づいた人びとから信頼をしだいに失うからである。(p.234)


たくさんの金を儲けたという人の話を聞くと(今日ではとくに工業や商業の社会でよく起ることだが)、その金で彼はなにをするのだろうか、という疑問をすぐ抱かざるをえない。なんの目的もなくただ金をためて、ついには、久しく待ちわびた相続人にすべてを譲り渡すというのでは、これ以上にわびしいこと、かつ教養人にふさわしからぬことはあるまい。また肉体にも精神にも益にならない贅沢な生活をするために金を浪費することも、これにまさるものではない。このことは、成金連の多くが十分に分っていることだが、それでも生きている限り金から離れがたい。同じように、その金でなにか合理的な仕事や慈善事業をみずから始めることもできないのだろう。しかしもし彼らがその財産を、それにふさわしい人の手(そんな人はいつでも、またどんな社会にもいる)にゆだねることができれば、人間の悲惨も大部分が救われることだろう。(p.267)


女性においては、無邪気な表情(これは年老いた婦人には多いが、今日の若い娘には少ない)は、全くまねのできないものであって、これはわれわれ(男性)にはありがたいことだ。そのような表情が欠けている場合、何をもっても補うことができない。女性にだまされる者は、つねに自分にも責任がある。この無邪気な表情をもたない女性に対しては絶対に用心しなさい。どんな場合にも、そのような女が、あなたの生活に大きな影響を及ぼすのはいけない。反対に、無邪気な女性との交わりは精神的に大へん有益である。また女性から軽んじられることは、いつでも悪い目印である。(p.298)


どんな非難や批判や反対をうけた場合でも、それにどのような正当さがあるかを十分良心的に検討して、そこから将来のための利益をひき出すようにしなければならない。しかしその他の点では、ことにこちらが完全に正しい場合は−沈黙を守らねばならない。新聞の攻撃の場合は、だれがその説をのべているかが、先ず第一の問題である。(p.299)


したがって、この階級には、外にあらわれた姿はいくぶん粗野であっても、自制力にとんだ心の気高い人が、上層階級よりも多い。上層階級のお上品さは、しばしば、まさしく冷酷なエゴイズムを覆いかくす、よく磨かれた殻であるにすぎない。最上層の社会にも、いわゆる「上流生活」全体の空しさを十分自覚している人も時には身受けるが、しかしそこから抜け出すことはできない。(p.309)


結婚は軽く見てよいことでなくて、本当は恐ろしい事柄である。それは、個人にとっても国民にとっても祝福の源にもなれば、または全く立ちあがれないほど重く彼らの上にいつまでものしかかるように見える呪いの源にもなる。(p.311)


(以上、ヒルティ(著)草間平作・大和邦太郎(訳)『眠られぬ夜のために 第一部岩波文庫1973年 改訳第1刷/1988年 第22刷)より)

新聞からたびたび、しかも大いに誉めあげられるような人物を信用しないことは、最も確実な人間知の一部である。まして、宣伝によってみずからその地歩を築きあげた人間は、絶対に排斥すべきである。彼の内には人間としてのいかなる善き基礎もありえないからだ。(p.18)


一般に、人間関係のまことに厄介なからみ合いが近親結婚から生み出される。古い教会の掟がそれを禁じたのは、きわめて正当な処置であった。(p.22)


中傷者などを、あなたはすこしも恐れてはならない。彼らはあなたになんら害を加えることはできないのだ。あなたみずからが固く正しい道を守りつづけていさえすれば、彼らのすることはほんの一時の不快事にすぎない。(p.46)


金銭上の事柄については、いつでもきちんとしていて、あなたの境遇にふさわしいように心掛けなさい。だが、そのために、必要以上に心を労してはならない。(p.129)


あなたはいつもあなたの身分に応じて、簡素に、しかしきちんとした身なりを整えるように心掛けなさい。(p.130)


この世の恐るべき貧困の量について、わけてもすべての国々の広い庶民層が上流のめぐまれた階級に対していだく憎しみの深さについて、たいていの上流の人たちは十分の理解を持っていないか、さもなければ目をつぶってそれを知ることをわざと避けている。このような無知をほとんど許さなくしたのは、社会民主党の一つの功績である。(p.139)


正しい人生観を抱いていれば、肉体的な個々の能力がたとえ減退しても、全体として見るときは、精神の力や元気は衰えるどころか、信ずべき伝記によれば、逆にしばしば、いちじるしく高まって、顔の表情にまでそれが現れるほどである。(p.154)


たとえただ僅かにせよ金銭を寄附することが、その関心を活発に維持し、その事業にある程度の結びつきを持たせることは事実である。だから、そのために、かようなすべての事業にささげる特別な貯金箱を用意しておくことは、価値あることであり、その上には神の祝福が宿るのである。(p.241)


(以上、ヒルティ(著)草間平作・大和邦太郎(訳)『眠られぬ夜のために 第二部岩波文庫1973年 改訳第1刷/1988年 第20刷)より)

ヒルティについては、2007年11月23日・12月18日・12月21日・12月22日・2008年2月26日・2009年9月17日・9月18日・9月20日・9月21日付「ユーリの部屋」を参照のこと。