ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

誰からも学べる円満の秘訣

立花隆氏が、現代の教養には、高尚な書籍や古典のみならず、いわゆるダークサイドを知ることも含まれる、という意味のことを書かれていたのを読み(立花隆東大生はバカになったか:知的亡国論+現代教養論文藝春秋2001年)pp.286-288)、確かにその通りだと思ったので、最近は、図書館で並べられている週刊誌などにも目を通しています。こういうものは、2,3ヶ月に一度行く美容院の待ち時間やバスを待つ間の駅前の本屋さんで、勧められて見るか立ち読み程度でしたが、社会の諸断層を知るという意味では、勉強にはなります。しかし、あまりこの方面に時間を費やしたくないとも思ってしまいます。
民主党の揺らぎや指導力に対する批判については、今日届いたメルマガの読者の反応欄でもかなり的確なものが含まれていて、興味深く読ませていただきました。さまざまな問題が山積していることもさることながら、今年の5月18日から「憲法改正国民投票法」が施行される旨、総務省作成のパンフレットで知ったために、(これは大変だ、国民主体の政治に変わるというのなら、我々国民自身も、もっと勉強しなければならないんだ)ということで、ちょっと焦っています。
今年に入って、早くも2週間経ちましたが、なんせ、「神の名」をめぐるマレーシア情勢のために、なかなか他の勉強や片付けものや読書などができず、イライラしています。ましてや、これから、学生時代に学んで以来、とっくにさびついた日本国憲法の勉強もしなければなりませんから、忙しいことこの上ありません。皆様はどうしていらっしゃいますか。
さて、そのダークサイドに属するかとは思いますが、現総理について、昔の(室蘭の)愛人問題が出てきたり、奥様の最初の結婚の親族が、何やらいつまでも未練がましくごちゃごちゃ訴えていたりして、公人としてのみならず、プライベートでもかまびすしいところがありそうです。そして、それらを綴ったいわゆる「売文」がどこまで事実なのか、もし単に噂ではなく本当に起こったことだとしたら、我々としてはどのように対処すべきなのか、しっかりと判断しなければなりません。正直なところ、それらごたごたはあっさり無視してしまいたいところですが、もしも、火のないところに煙は立たないのならば、将来の首相をめざしていた(?)割には、ちょっとご当人に脇が甘い点があったことは否めないのかもしれません。いわゆる法外なお金の問題に関しても、古い映像では、「もし自分の秘書にそんなことがあったなら、国会議員をやめる」という意味のことを、マイクで絶叫していたので、(ありゃりゃ、そこまで過去に言ってしまっていたのですか)と、がっかりしました。
それも含めて、我が家では、政治面は別として、少なくとも楽しく円満な夫婦関係の秘訣を探るために、学べるものは学ぼう、という姿勢でいます。今まで政治家には興味を持ったことなどなく、まず敬遠したい人々の筆頭にあたっていましたので、不思議といえば不思議です。ともかく、見方はさまざまであれ、60代になって、体力が衰え、度重なる国外旅行も疲れるだろうに、いつでもご夫妻が仲良く明るくふるまわれているのは、ほほえましく思えます。これも「首相は、奥さんと手をつないで食事や買い物に出かけている暇はないはずです」という批判を、比較的硬派の雑誌で見たのがきっかけです。
昨晩、寒い中を夜遅く帰って来た主人にどう思うか尋ねてみたところ、「それって、自分の妻を大切にしていない人の言うことじゃないか?」と。「僕だって、自分にないものを持っている人だと思って、結婚相手を選んだつもりだよ。‘ゆっきー’(最近では、‘ユッキー’からなぜか平仮名になってしまいました)だって、公邸にずっといたくないんだよ。なんかあれ、わかるんだ、僕」。そんなものでしょうかねぇ。
犬養道子氏の本を読んでいた20年以上も前(参照:2009年3月17日付「ユーリの部屋」)、氏の御母堂が「下卑らしい」と嫌悪されていたという政治家の妻としての生活を知りました。ただ、よい仕事をするには、家族の協力、特に伴侶の同意と理解が是非とも必要だというのは、私自身を振り返ってみても痛感します。その意味で、‘ゆっきー’ご夫妻からも学ぶところ大です。
正直なところ、私の好み(などと言ってしまってもいいのかどうか)では、ご自身の政治理念や哲学方針などを一対一で真剣に語っている時、目に力がこもり、背筋もすくっと伸び、自信と威厳に満ちていてとても印象的なので、そういう面をもっと打ち出されてはどうかと思うのです。「国民の皆様」などと、低姿勢で気を遣いながら遠慮深く少し前屈みになって話すのではなく。
本屋さんで28冊購入したという数日前、本を手に取って見ている姿なども、真剣になると知的でとても格好よく、さすがは学者・教育家系とはこういうことなのか、とつい後さずりしたくなるのですが、そういう他の追随を許さない面と、親しみを持ってもらえるような奥様の陽気で明るい芸術的な面をうまく交互に出されては、と思います。(重複しますが、あくまでこれは私の好みに過ぎません。それでは一般の票が集まらないでしょうし。)

鳩山は、幸夫人も連れていた。
牧野らは、幸夫人のいないところで、冗談で鳩山に訊いた。
「外国まで奥さんといっしょなんて、どうなんですか?ぼくらは、外国に行ったら、ひとりのほうがのびのびできていいんですけどね」
鳩山は、やや顔をほころばせた。
「いや、ぼくと妻は仲がいいから、窮屈なんてことはないよ。むしろ、彼女は、いろんなところを知っているから、『あそこ行こう』とか、『これを食べよう』と連れていってくれる。楽しいよ」
ロンドンに着いてから、鳩山は、劇場に、ギリシャの小さな島のホテル「サマー・ナイト・シティ・タベルナ」を舞台とした母子家庭の物語であるミュージカル「マンマ・ミーア!」を観に出かけた。これも、宝塚出身の幸夫人に誘われたからである。
牧野も、ほかの議員ひとりとともに鳩山のお供をした。さすがに、小沢一郎は来なかった。牧野は、幸夫人とともに楽しんでいる鳩山の表情を観ながら、自分の知らぬ鳩山の素顔を垣間見た気がした。
〈ああ、ぼくの知らない世界のよさを知っているんだな〉
(pp.360-361)

中山は、鳩山にこのあわびを食べてもらいたかった。
〈なんか、変わったものでも食べて、由起夫さんに元気を出してもらいたい〉
そんな思いで迎えた鳩山は、幸夫人を同伴してきた。
三人であわびのステーキを食べていると、幸夫人が、鳩山に檄を飛ばした。
「由起夫さん、細川政権のときでも、なんでも、これまでいろいろあったじゃない。でもね、せっかくみなさんが由起夫さんを応援してくれているのよ。それに応えなきゃいけないわ。簡単な気持ちで、由起夫さんが引き下がるようじゃ、駄目よ!」
幸夫人の話は続いた。
「今あることはね、全部、自分の養分になっていくんだから。ここで、いろんなことを攻められたとしても、自分が正しいと思えば、それを乗り越えればいいの。乗り越えられれば、政権をあなたが握ったとしても、しっかりやれるかもしれないのよ!」
そして、手拍子をしながら、鳩山を励ますのだった。
「がんばれ!がんばれ!由起夫!」
(pp.420-421)

以上は、大下英治華麗なる鳩山一族の野望徳間文庫(2009年11月15日初刷)からの引用です(参照:2009年11月16日・2010年1月2日付「ユーリの部屋」)。この本に対しては、「華麗なる」などではなく、こんな頼りなく下劣な人を指導者に選んでしまったのだ、という批判があることも承知の上で、しかし、私のような政治の門外漢にとっては、この本がいわば「入門書」代わりとなって、新聞記事の断片がやっとストーリーとしてつながったという意味で、おもしろく読めました。そして、特に興味深かったのが、上記2点です。そのまま信じていいとするならば、という仮定付きですが、事実だとすれば「よくできた奥さま」ということになります。それを言うと、うちの主人など、私を向いて「がんばってね」と一言。
上記に関連して、久しぶりに松山幸雄氏の著書を読んでみました(『鳩山から鳩山へ―歴史に学び、未来を診る朝日新聞出版2009年12月30日発行)。軽快な調子は『「勉縮」のすすめ』『国際対話の時代』のままでしたが、お歳のせいか、いささか舌鋒が丸みを帯びてしまったかな、という感じもします。それにしても、おもしろく何度も笑いながら読みました。

とりあえず、「マンマ・ミーア!」ではなく、コンチェルト・コペンハーゲン奏するJ.S.バッハの「コーヒー・カンタータ」(含「農民カンタータ」)を聴きに、この週末は西宮へ出かける予定です。
その他にも、アンネ=ゾフィー・ムターのヴァイオリン・リサイタル、ディーナ・ヨッフェのオール・ショパンのピアノ・リサイタル、サロネン指揮、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲およびシベリウス交響曲第2番など、もうチケットも購入してあります。特に、「カンタータ」以外は、再びお目にかかれる奏者ばかりで、とても楽しみにしています。