ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

シンポ・鳩山会館・谷中霊園 (2)

唐突ながら、昨日から『国をつくるという仕事英知出版2009年4月)を読んでいます。西水美恵子さんという、経済学がご専門の才媛なのですが、プリンストン大学から世界銀行に「転職」し、開発経済についてフィールド・ワークを行いながら、考察を重ねた経験談が綴られています。
インドとパキスタンスリランカ、ネパール、トルコ、バングラデシュブータンモルディブハンガリーアフガニスタンなど、主に南アジアが対象となっていますが、それまでの既成概念を打ち破るような新鮮な見解が散りばめられていて、興味深く読んでいます。
そもそも新聞広告で本書を知ったのですが、府立図書館の検索で調べてみると既に10名ほどの予約待ち。ネット上の読書メーターの人数も、私が手に取る範囲の本にしては、人気抜群でした。このような類のテーマは、何かと暗かったり、お涙頂戴風か、どこかイデオローギッシュで反体制的な態度があったりするものですが、さすがは筆力のなせる技、というよりも、しっかりとした専門的知識に加えて、体当たりで進むバイタリティに勇気づけられて読み進んでしまう、という迫力に満ちています。
これからの指導者層は、人生途上でこのような経験をされた人の方が向いているのではないか、と思わされます。
そうしてみると、鳩山家の系譜は、なかなか真似のできることでもありませんが、(恵まれ過ぎていて今一つ物足りないかなあ、曾祖父や祖父の代は確かに卓越していたけれど)というのが、率直な感想です。
もっとも、今回、わざわざタイミングをねらって東京に出向き、孫の由起夫氏が総理在任中に、シンポジウムでその肉声に触れ、記念館に立ち寄り、お墓参りで締めくくるという一人ツアーを決行したのも、そもそもは、一郎氏の妻であられた薫(子)さんの存在ゆえです。(本名および戸籍上は「薫」で、「通名」として「薫子」としたようですが、夫の母方の実家では通名の方が本名として伝わっていたらしいです。)
以前にも書きましたが(参照:2009年11月16日・12月10日・12月17日・12月31日・2010年1月2日・1月3日・1月4日・1月8日・2月1日・2月2日・2月5日・2月13日付「ユーリの部屋」)、どうやら夫の母方の祖母と縁戚関係がある(単に「おまんじゅう」ではなく、「羽織」が配られる程度には近い間柄)ということなので、我が家のルーツを探っておくには今が一番、とにらんだわけです。
どうも、夫側の生き残り親族は、この辺に関してはボンヤリしたタイプが多いようで、「薫子さんの話は、子どもの頃からよく家の中で祖母や母から聞いていたけれど、自分には興味がなかった」「鳩山家とルーツ上、何か関係があることについては、何とも思っていない」という程度で話を済ませてしまい、「それを調べるには、どの資料を見ればわかりそうだ」とか、「そういう話なら誰それに聞いてみては」という前向きな方向に進まないのです。
私の考えでは、恐らくはここが、家運の分かれ目だと思うのですが、やはり、一種のうるさ型というのか、しっかり者が一人はいないと、家が滅びるということなのでしょう。おじいちゃんや伯父さんは、その点、何事もこまごまとメモにとって、古い資料も調べていたそうですが(どうやら、司馬遼太郎氏にも、「作品中で、うちの家系に関して間違いがある」と手紙を出したこともあるらしいです。もっとも、司馬氏からはお返事がありませんでした)、そういう作業そのものを軽視する傾向が、どうやら生き残りの人々には目立ちます。過去には、NASAに勤務した人とか、日展に入賞した人なども近くにはいたのですが。
主人だけは、さすがに私が乗り気なので影響されてなのか、「おばあちゃんの何かの何か、という間柄だ」というところまで記憶が蘇ってきたようです。10日ほど前だったかに、邦夫氏が「私のいとこのいとこのひいおばあさんの弟が坂本龍馬だ」とか何とか、テレビで発言したのを偶然にも見ましたが、それよりは近い関係のようです。
ところが、まずは一般向けに公開されている関係資料をざっと読んでみたところでは、確かに、夫の名字や夫の母の実家の名字が『鳩山一郎・薫日記』には出てくることが判明したのですが、その人々は関東在住で、恐らく直接の関係はなさそうです。どうも薫子さんにとっては、どこか風采の上がらない世話の焼ける人達だったらしく、「慰めて帰した」などのように、日記には淡々と記されています。もっとも、賢夫人として名高い薫子さんのこと、見下したような、悪口めいた非難がましいことは一切出てきません。また、私の旧姓も出てきますが、もちろん無関係であることは確実です。何よりも、肝心のおばあちゃんの旧姓が全く出てこない点、手がかりなしでした。(『鳩山一郎・薫日記』()には、プライヴァシー上、差し障りのある箇所は省略されているとの注意書きもありました。また、翻刻された割には、年度の抜けている日記が多く、これによって全貌が明らかになるわけでもありません。)
というように、昨年12月下旬から始めた割には成果に乏しい調べ物なのですが、これからも暇を見て続けていく予定です。

明日、私家版「一日鳩ツアー」の様子を書きますが、その前に、下準備として3ヶ月に及んで目を通した資料のリストを、下記に列挙します。ある程度、信頼性の高いものと思われる文献には*をつけました。その他は、世間一般のさまざまな風潮を知るための参考に過ぎません。中には、きちんとした論評や建設的批判ではなく、単なるダークサイド・ビジネスと一目でわかるような「チープな」ものも含まれています。同時に、いかにも太鼓持ちの書いた文章だと感じられるものもあります。

・『朝日新聞』『日経新聞』の切り抜きファイル三冊(自家製)
・週刊誌『アエラ』『週刊新潮』『週刊文春』『サンデー毎日』(随時)
・月刊誌『世界』『文藝春秋』『婦人之友』『選択
伊藤隆・季武嘉也(他)(編)『鳩山一郎・薫日記』()(中央公論新社1999年/2005年
鳩山一郎ある代議士の生活と意見東京出版1952年
鳩山一郎鳩山一郎回顧録文藝春秋新社1957年
鳩山一郎(著)川手正一郎(編・監修)『若き血の清く燃えて−鳩山一郎から薫へのラブレター講談社1996年
鳩山薫若い女性のために鹿島研究出版1968年
鳩山薫おもひで鹿島研究出版1982年
豊田穣英才の家系:鳩山一郎と鳩山家の人々講談社文庫1996年
板垣英憲鳩山家の指名−民主党鳩山由紀夫の夢と構想サンガ新書2008年
松山幸雄鳩山から鳩山へ−歴史に学び未来を診る朝日新聞2009年
大下英治華麗なる鳩山一族の野望徳間文庫2009年
佐野眞一鳩山一族 その金脈と血脈文春新書2009年
森省歩鳩山由紀夫と鳩山家四代中公新書ラクレ2009年

(リスト終)

やはり、興味深く読めたのは、最近の出版物ではなく、ご当人が直接関わっている著作です。素人の感想としては、一郎氏が一郎氏足り得たのは、薫子さんあってのことではないか、ということです。御母堂の春子氏も俊敏で賢明な方でしたが、もしもお嫁さんが、薫子さんではなく、上流階級の深窓の令嬢だったとしたら、果たしてここまで成し遂げられただろうか、とも思うのです。