ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自由に生きる

個人開設のブログやホームページを見ていて感じるのは、その人らしさや個性がくっきり出ていて、ほとんどごまかしがきかないことです。
意外性があれば興味深く思うのは当然として、正直な感想を平たく言うならば、「みんな、好き勝手に生きとる」。特に、何かと集団行動を強いられ、誰かが人をコントロールしようとする体制下で、強い反抗心を内に秘めながら思春期を過ごした者にとっては、(だけど、それが自然だろうなぁ。ヒト人種だって生き物だし)ということです。おととしの夏、木曾路でウサギ小屋を眺めていた時には、狭い檻にぎゅうぎゅう詰めに入れられた子ウサギ達が、やたら忙しそうに走り回ったり、ほ乳瓶からしたたり落ちる水滴をすすったり、草をモグモグはむのに専念していたり、鬼ごっこみたく2,3匹で駆けていたりして、(近い将来の運命も知らずに、勝手に生きとる)とつくづく感じましたね。
今でも、秩序や礼儀作法などを遵守することは別として、ボスみたいに振る舞う人が男女ともに大嫌いなのは、そこに他人を指導してやろう、意のままに操ってやろう、という魂胆が見え透いているからです。
さて。
昨日、義母が私のことを「自由に生きていてうらやましい」と言ったとか、主人が伝えてくれました。確かに、あの世代の女性達は、価値観の大転換期に相当し、社会階層に関わらず、割の合わない損な役回りを強いられたように思います。でも、それだからこそ、我々下の世代が、しっかり与えられた分け前を享受して生きていかなければ、むしろ申し訳ないのではとも考えます。
ただし私が、義母の母、つまり主人の祖母の背景や「ぽっぽ家」との関わりに具体的な興味を持ち、インターネットのみならず、図書館から本まで借り出して、ファイルを作って調べていることには、喜んでくれたようでした。また、かつてのご領主さま三浦家ゆかりの神社にも、(主人の)おじいちゃんと一緒に、ことあるごとに参拝に出かけていたとも教えてくれたそうです。
もともと、古い物や昔の文献を見るのが好きでしたから、なんてことはありません。今心待ちにしているのは、マレーシアの勉強をある程度のところでまとめて、はやいとこ切り上げ、元々の専攻であった国語国文に近い調べごとを始められたら、ということです。そのための関西移住でもあったわけで...。実際のところ、なかなか、そううまくはいかないでしょうが。