ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

お正月 二日目

三が日が晴天に恵まれると、幸先がよいように感じられます。
主人は今日、実家のお墓参りに。私も行くつもりでいたのですが、どうも母と息子で積もる話があるようで、「今日はいいよ。ゆっくりしい。こっちもわかっているしさぁ」と、免除してもらいました。さすがは、次男坊です。お母さんの方も、主人の兄と私が、全く話も相性も合わないことがわかっているので「いいよ。無理しなくても」と。こういう、シンプルなおうちでよかった、と思いますが、子どもがいたら、そういうわけにもいきません。これも、時代の趨勢です。
とはいうものの、我が家は二人で、よくしゃべっています。休日はお互いにのんびりすることに決めていますが、主人の方が「うちは、よくしゃべるよねぇ。だから遅刻した」と、自分でも言っています。家の中でしゃべるだけなら、お金もかからないし、秘密が漏れる心配もないし、結構なことです。
何をしゃべっているかと言えば、私のライフワークとなってしまったマレーシア事情についてとか、その思い出話とか、独身時代の先生や級友の思い出とか、学校の給食に何を食べたか、など、他愛もないことばかりです。その他には、読んだ本に書いてあったことや、聞いた話などについて、です。我々のおしゃべりの題目に最近、加わったのが、「ユッキー」こと「ぽっぽ先生」とその一族について。葬儀などで何度か訪れて、雰囲気が大好きだった岡山の真庭郡(今は真庭市と改称)から、「ぽっぽ兄弟」のご先祖が出たということが、何だか急に誇らしく感じられるようになったんです。あそこは、種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」を地でいくようなところでした(参照:2009年11月16日・12月10日・12月17日・12月31日付「ユーリの部屋」)。

ここで念のため、今ではなく、あくまでご先祖ですよ。特に、おじいさまの一郎氏とそのお父様(つまり曾祖父)。単純ですね。孫兄弟は、これからが正念場だというのに...。ただし、兄ぽっぽ先生や弟ぽっぽ先生の政策や政治動向では、我々二人とも、ある程度冷めた目で見ています。「あれ、あんなこと言って大丈夫か?」「学者肌だから、できると自分では思っているんだよ」というように....。
私は、父方母方共に岐阜系統ですが、主人の家は両方とも岡山系統です。主人方はルーツが古く、書き物にも記されているらしいので、私にとっては興味津々です。でも、長男の嫁ではないために、その分、気楽に好き勝手させてもらっているという...。

もとい。本当は、家でする用事があるので、今日は役割分担することにしたのです。この忙しい世の中、一緒に行動するばかりがよいとも言えません。

「ぽっぽ家」の成功の秘訣は、嫁選びの嗅覚にあり、しかもその選択が、時代の一歩先をいっている点だと思います。幸夫人も、「バツイチ」だとあっけらかんとおっしゃるものの、「初めの時は、結婚の意味がよくわかっていなかったのね」「お見合いで、まあ、これならいいかな、という感じだった」と、実に率直なところに好感が持てます。それだけに、「ユッキー」の度量の広さも感じられますし(だって、ああいうおうちの人が、初婚同士ではないって、普通は隠しておきたいモノではないでしょうか、60代という世代からしても...)、同時に、意気込みも(双方?)相当なものだったのかもしれません。選挙民には、「実は私、略奪婚でして...」とまで言ったとか(参照:大下英治華麗なる鳩山一族の野望徳間文庫2009年)p.150)。

私がこのように書くのは、マレーシアはともかくとして、昨年10月にシンガポールで出会った人々が、このたびの政権交代に対して、好意的に期待を寄せていることを知ったからなのです(参照:2009年10月17日付「ユーリの部屋」)。「奥さんがいつも明るく手を振って、ちょっと変わったおもしろい発言をする」という点も、日本国内でなら、エキセントリックとか、妙なカルトに染まっているのではないか、などと悪く言われそうであっても、アジアの旧植民地にとっては、逆に新鮮味が感じられるようなのです。「日本人にもいろいろな人がいるんですね」というように。これが、どれほど我々庶民にとって、ありがたく助かることか、それは、いったん外に出てみないとわからないことです。日本国の代表者が何か失言するたびに、(きゃぁ!)と、こちらは耳をふさぎたくなるような思いをしているのですから。

よい方向へ向かいますように、何事も。