ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

先達に学ぶ (3)

おととい、我が家に37インチの薄型テレビが入りました。「テレビなんて見ている暇ないし、ニュースは新聞と朝夕のラジオで間に合うじゃない?」と主張していましたが、よくよく考えてみると、ユービキタス大学の生涯学生としては(参照:2009年11月30日付「ユーリの部屋」)、そうも言っていられません。ドイツ語やスペイン語も、もっと硬派で上級のものに触れたいし...かといって、京都にあるよい語学学校に行く時間もない...。
古いテレビは、主人が一人暮らしの頃から使っていたもので、少なくとも、12年以上になります。(本人いわく、1995年に購入したもの。)ちなみに、我が家では、婚姻道具として購入したのは、実家の父の出費による衣装入れの家具二つと食器棚二つのみです。冷蔵庫や洗濯機や掃除機、パソコン、本棚など、日常的に使うものは新たに買いましたが、その他は、それぞれが使っていたものを持ち寄っています。といっても、もっぱら主人のものを利用。テーブルしかり、机しかり、ステレオしかり...。なんと、古いフライパンやお鍋もお皿も、主人側の提供でした。名古屋の嫁はお金がかかるとは言うものの、これも時代の変遷です。そういうことを、あまり気にしない私でもあります。モノではなく、実質が大事ですから。
ところで話はテレビ。とうとう時流に押し流され、はやりのエコポイントもつくということで、商品選びは主人に任せました。(私は、家電製品の並べてある大型ショップは、とにかく疲れるので嫌いです。)ついでに部屋の大掃除もできて、なんだか、テレビを見るのが楽しくなってきました。来年は幸先が良さそうな....
では、昨日の続きです。私が小学生だった頃の古い文章なのに、何だか、現在の日本および世界情勢をズバリと言い当てているようなので、お見苦しい点も多々あるかとは存じますが、ご紹介させていただきます。

昔の恩師の訓えにも、「巧名富貴は全推すべし、苦事難局は独任すべし」とあったのに似ている。世の中の人が、多少でもこんな気持であってくれたら、人の世も随分のどかになろうというものであろうが、現実には他人の非をあげつらうことにのみ急で、自己の責任は棚上げしたがるから世相は益々険悪になる。
我々の住む世界は無数の要素の絡み合いによって動いてゆく。昨今の経済不況にしても、単に産油国のエゴとか完全雇用学説の破綻とかによって説明し得られるものではなく、無数の病因によって惹起された症状の一つに過ぎないと考えられ、世界は一つの生きた有機体であることを再認識しなければならぬ。
責任の自覚、あるいは使命観という点について特に政治家諸公に望みたい。諸公には、一般国民に先んじて少なくとも2,3年先の見通しがあって然るべきだ、そのための情報組織は相当完備しているはずだから。然るに、どうも数年後になって、成程あの政治家の論議施策は賢明であったと、感心させられるものは暁天の星よりも少ない。徒らに大衆におもねり追随することにのみ汲々たるは、ステーツマンとして落第であり、むしろ大衆のお気に召さぬことも断断乎としてやる勇気を要望したいものである。世界という有機体の病根ここに在りと見届けたからには、国手として徒らに患者さんのご機嫌を伺っていたにで、鬼手仏心の手術を断行するのは当然のことであり、一般大衆も、局所的なエゴばかり主張することを慎むようにしなければならぬ。


(「年頭所感」『信濃ジャーナル昭和51年1月)pp.65-66

膨大な赤字国債に依存している国家財政の現状から見て大学の定員や予算を拡充することは至難であると考えなければなりません。この際われわれの心構えとしては池中に潜む蛟竜の如く他年の飛躍を期してその体質を強化し独創的な特色を出すことに専念すべきであろうと考えます。
国立大学というものは国民の税金によって運営されていることは明らかであり、大学に職を奉ずるものは常に納税者の立場を念頭に置き公務員として奉仕する精神を忘れてはならぬことを改めて強調しておきます


(「年頭の辞」『信州大学学報 第262号昭和51年1月1日)p.67

余りにも低俗な週刊誌などの横行は世の識者の顰蹙を買うところであり、正に濁流滔々として真の文芸、個性ある正論を押し流し圧殺せんとしているのが現在の姿ではあるまいか。
昭和50年は、一転して経済界の不況と共に、あらゆる面で従来の放漫な政策が反省期に入ると言われている。識者によれば、今の時代は昭和初期の世界大不況とエログロナンセンスの棄てばち傾向、その裏面で着々進行している戦争準備の状況に酷似していると言うが、人類は永久に反復して愚行を再現するものであろうか
。」
しかし、金権政治とか金脈とかの問題が毎日のように紙面を賑わしているのも空疎な論議のようにも思われる。昔から地獄の沙汰も金次第と言われ財物の供与を受けて怒る人間は先ずいないからであり、政治をよくするためには金を使っても効果がない。莫大な選挙資金を使っても引合わないという土壌を作ることが先決問題であろう。」


(「濁流に抗して」『信州往来昭和50年1月)pp.44-45

《以上》