ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

相手の身になること

大学病院から、主人に生じた新しい症状と、それに対応して飲む新しい薬の効能を調べるための書類が届きました。
症状に伴う時間を一ヶ月間、日誌に記入しなければならないので、少し面倒です。でも、科学性と客観性の保持のために、これは大事な務めだと思って、がんばって書いています。書類に一つ不備があったので、こちらでコピーを取り直し、ホワイトで消して、新たに記入欄を作りました。
薬局まで薬を取りに行ったり、健康ノートに症状やお医者さんから言われたことを書き留めたり、署名運動に参加したり(といっても、街頭に立つのではありません)、患者友の会の会報を読んでお礼状を書いたりするのは、私の仕事です。正直なところ、こういうことがなければ、もっと勉強も進み、もしかしたら外での仕事もできたかもしれないのに、と思うことはあります。三十代の頃は、特にその点で葛藤がありました。それのみならず、マレーシアからは、私の言っていることが本当かどうか確認したいから、ということで、大学病院の診断書を大学宛に送るように、と指示されたりもしました。そこまで疑われているのか、と、本当に屈辱的な思いがしました。好きでなった病気ではないのに....。マレーシアでは、人を騙す人が多いからなのか、それほど、証拠を大事にする習慣があるからなのか、その辺りはよくわかりません。

ところで、お医者さんの中には、患者会から「最新の正確な情報がほしい」と要求されると、どういうわけか、学会で公表したデータをそのまま出してくる方がいらっしゃるようです。おととい読んでいた会報に、そのような記事が掲載されていました。こちらの言っているのは、そういうことではなくて、患者が理解できるような、具体的で信頼のおける説明を望んでいるだけなのですが。まるで、一般向けの説教で、聖書学の専門知識を披露するような牧師(がいると、どこかで聞きましたが)、大学の講義と学会発表を混同しているかのような教師(もいると、二十代の頃、玉川大学出版の本で読みましたが)と少し似ているかなあ、と感じました。
会報を読んでいても、そういう記事は大変疲れます。また、データがリアルで細か過ぎるので、かえって、将来が非常に不安になってきます。専門用語が頻出で、薬の名前も多く、何が何だかよくわかりません。恐らくは、こちらの能力不足というよりも、多分、読み手のニーズを考えていない、ということなのでしょう。編集部は、患者および患者の家族ないしは遺族の方がボランティアでやっていらっしゃるようなので、問題は、そのような原稿を出した医師側にあるかと思われます。
もしも、お医者さんが研究志向であって、臨床経験が少ないのであれば、それを補う橋渡し係の人がいてくださると、助かります。
そして、患者会から感謝されて好評なのは、やはり、患者の身になって真剣に研究に勤しみ、できる限りわかりやすく研究成果を分かち合ってくださるようなタイプの専門医です。評判は、当然のことながら、保健師さんにも伝わっていますし、患者会でも口コミで広まっていきます。そういう意味において、人間社会は、想像以上に信頼できると感じます。
会報で一つうれしかったのは、署名運動の時、予想以上に、高校生達や茶髪の若い兄さん姉さん達が、非常に協力的でやさしかった、という記事です。伝え方一つで、こんなにも理解してもらえるというのは、大きな励みです。