ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

御即位に備えて

フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からの転載を。
重要な記事で新たに学ぶ事柄が多かったが、「崩御」を「死去」とするなど、いい加減な表記が気になった。

日経電子版(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30580930W8A510C1000000/


「詳しく解説 天皇退位と即位・改元
2018/5/17


・2019年5月1日に新たな元号


・19年1月7日に予定している昭和天皇の死去から30年の式年祭
←「崩御」では?


皇室典範特例法は、退位後の天皇、皇后両陛下の呼称を「上皇」、「上皇后」と規定した。敬称をこれまでと同様に「陛下」とし、皇族の地位にとどまるが、象徴として行ってきた公務からは退かれる。


皇位継承順位1位となる秋篠宮さまは「皇嗣」となる。待遇は皇太子並みで、皇族費は3倍に増額される。


・特例法は付帯決議で皇位継承策と女性宮家の創設などについて、陛下の退位後、速やかに検討するよう求めている。
←「女性宮家」には反対論が多いのでは?


・近代以降では初めて、新旧の天皇が併存することになる。古来、退位した天皇上皇が政治や宮中に混乱を招く要素になってきたことから、明治時代からは天皇が逝去した時のみ皇位が継承される終身在位の原則が定められた。


・陛下は退位後、象徴としての全ての公務を新天皇となる皇太子さまに譲る考えを示されているといい、即位関連の儀式にも出席されない見通しだ。
←「譲る」お考えならば、「退位」ではなく、「譲位」では?


天皇、皇后両陛下は、皇太子ご一家が暮らす赤坂御用地内(東京・港)の東宮御所を「仙洞御所」とし、お住まいとされる。


上皇上皇后を補佐する組織として、65人程度から成る「上皇職」が宮内庁内に置かれる。皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまのご一家を補佐する「皇嗣職」も新設され、人員は現在の約20人から、約50人に拡充される。新天皇、新皇后を補佐する侍従職は75人程度を見込む。


・皇太子が不在となるため、皇太子家を支えてきた東宮職はなくなる。


・2019年4月30日には、憲政史上初となる退位の儀式「退位礼正殿の儀」が、皇居・宮殿で最も格式が高いとされる「松の間」で執り行われる。
←「平成31年」?結局、「退位」の儀式となる?


・翌5月1日には天皇陛下から皇太子さまへの皇位継承に関する儀式が続く。まず「剣璽等承継の儀」が行われ、皇位継承の証しとして歴代天皇に伝わる三種の神器のうち剣と璽、天皇が公務に使う印章の御璽、国の印の国璽が引き継がれる。
←一日、空位が生じる?


・19年11月には、新天皇が即位後初めて国民の安寧や五穀豊穣を祈る「大嘗祭」が営まれる。


・「皇帝が時を支配する」という発想だ。日本では天皇中心の国づくりを進める意味合いもあり、7世紀の「大化」から始まった。「平成」まで247を数え、2019年5月1日からの新たな元号は248番目となる。


使われた漢字はわずか72字。そのうち21字は10回以上も使われている。最多は「永」の29回。27回の「元」「天」、21回の「治」と続く。奈良時代に「天平感宝(てんぴょうかんぽう)」「神護景雲(じんごけいうん)」など漢字4文字の元号もあったが、ほとんどが2文字だ。


・出典となったのは漢字で書かれた中国の古典で、「古事記」や「日本書紀」など日本の古典が用いられた例はない。


・不吉な出来事や災害が起こると、社会の雰囲気を明るくするために天皇が存命中に自ら改元した時代もあった。明治以降は天皇一代に一つの元号を使う「一世一元の制」になった。


・第2次世界大戦後、元号は長らく法的根拠がなかった。元号に関して定めた旧皇室典範が廃止されたためだ。政府は1979年に元号法を施行。


・5月17日の新元号への円滑な移行


天皇が存命中に退位するのは1817年の光格天皇以来、約200年ぶりのことだ。
←「譲位」?


・政府内には死亡者の案は使わないとの不文律があり、候補から除かれるとみられる。


・「平成」と書いて「へなり」と読む地名が岐阜県武儀町(現・関市)にあると判明した。同町は1991年に「日本平成村」を名乗り、観光客が全国から殺到した。こうした事態を避けるため、俗用の確認を定期的に続けるとみられる。

(部分抜粋引用終)

昭和の頃、「明治は長かったけれど、大正が短かったから、昭和の次の御代は短いだろう」と聞いていたが、三十年間の「平成」として結実した。

大正天皇については、大正時代の社会情勢については習ったものの、あまり存じ上げないままだった。この頃、歴代の皇族方や華族の御事蹟について、これまで買い求めた本を少しずつ読みながら学んでいるところであるが、もっと早くから基本だけでも知っておきたかったと思う。古いものを見ることが好きで、古典や歴史に興味があった方だったと思うが、それでも若い頃は他の事柄に夢中で、御年配の宮様の御名前もなかなか頭に入らなかった。日本の伝統の骨格でいらっしゃるのだから、せめて毎日の新聞やテレビ・ラジオのニュース等で、皇族方への敬称や語法も含めて正確な報道を日々積み重ねることで、国民一般に最低限の知識が普及するような努力が望まれたのではないだろうか。
昭和時代は、敗戦によって、米国による急激な日本改造政策が導入された。精神的空洞と日々の困窮を生き延びるのに必死だった国民も、その後は経済にのみ集中し過ぎて、徐々にアイデンティティないしは国体の崩壊が進んでしまったと思う。
また、「菊のカーテン」から「開かれた天皇家」として皇族方も一般国民の中に入って来られるようになり、「象徴天皇」と「国民主権」という矛盾した憲法条項のために、敷居があるようなないような、むしろ、天皇皇后両陛下の方が被災者よりも低く膝をついて御見舞いされるなど、位置関係の逆行が見られるようになった。
今の皇族方の抱える諸問題は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180507)、敗戦直後のGHQ改革の時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=GHQ)、既に気づかれ、予見されていたことが時の流れに沿って顕現化していると言える。
また、メディアと教育によって、国民の側も深く考えることをせず、単に報道されたニュースに反応して、その場で感想をいい加減に述べているに過ぎない。
「デモクラシー」「自由」の内実とは何なのだろうか。秩序を立て直さない限り、このままではなし崩しに平板になっていくばかりであろう。