ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

安定した皇統の存続と婚姻

西洋社会は病んでいる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180319)。決して日本は後追いをしてはならない。堅実な実践によって、世界への静かな発信を義務としたい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180313)。

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少子化によって国を滅してはならない」
2018年4月3日


・日本で少子化が進んでいる。この国が開闢して以来のことであろう。


少子化に歯止めをかけるために、2年前に警視庁、自衛隊消防庁などの幹部のOBたちが立ち上って、「一般社団法人日本官婚推進協会」を設立して、男性公務員を対象として、身元が確かな女性との縁結びの場をつくる活動に、全国で取り組んでいる。代表理事の尾形明氏が神奈川県警察本部の元警部補、理事に自衛隊の元陸将補、元空将補、東京消防庁の元消防司令長、大手百貨店の元外商部長などが並んでいる。私は求められて、会長をつとめている。


・ボランティアを日本語でいえば、国家、社会や、人々のために自己を捨てて、献身的に働く「奉仕」のことである。日本で「奉仕」は、古い言葉だ。平安時代後期の説話集である『今昔物語』が、「奉仕すること、片時も怠る事」があってはならないと、諭している。


・日本は常世の神信仰から、海原の向こうから幸がもたらされることを、古来から尊んできたから、日本語のなかに外国語が氾濫しているのに、目角を立てるべきでないのだろう。


・なぜ、今日の日本で適齢期の多くの男女が、伴侶を求めることができないでいるのか。やはり家族、一族の絆や、地域社会の繋がりが弱まって、自分しか頼れない個というか、孤の時代が到来したのだろう孤独、孤立、孤食孤独死といった言葉が、頭を掠めた。かつて日本は「家族国家」と呼ばれたが、今日の日本は私にとって異界に生きているように、感じられる。


・明治に入って、西洋から日本に存在しなかった事物や、観念が、巨大な津波のように押し寄せて、先人たちが明治翻訳語と呼ばれる新語を大量に造ったが、「個人」という言葉も、その1つだった。それまで日本には、個人が存在しなかった。今日の日本の若者たちは、不慣れな個人の役割を演じなければならない。


少子化の原因として、多くの若者が所得が低いために、結婚できないというが、にわかに信じられない。


・どうしたら少子化を阻止することが、できるものだろうか。日本列島を生んだ伊弉諾命(いざなぎみこと)と伊邪那美命(いざなみみこと)は、出産奨励金や、家族手当がなかったのに結ばれた


・現行憲法の第24条「【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】」は、第1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」と、規定している。これは、アメリカ占領軍が、家族制度が日本の危険な国家主義の基礎となっていると信じて、日本の伝統社会をつくり変えようとして、家族制度を破壊するために、定めたものだった。現行憲法は、原文が英語――外国語で書かれている、世界で唯一つの珍しい憲法だ。


・『君が代』は婚礼の祝い歌
君が代』の歌詞は、1000首以上を収録した、西暦905年の『古今和歌集』に載っていますが、もとの歌は『わが君は千代に八千代に‥‥』と始まっています。この和歌は庶民を含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、唄われてきました。明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えました。同じ寿歌が1100年以上にもわたって、唄い続けられている国は、世界のなかで日本しかありません。古い伝統を大事にしてきた、国柄を示しています。


・おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿がれるものでしよう。結婚するから、家族(ファミリー)が絶えることなく、人類が存続でき、未来を確かなものにすることができることを、理屈抜きで知っているからでしよう。


・日本最古の歴史書の『古事記(ふることふみ)』のなかに、そよ風――凪(なぎ)を司る伊弉諾(いざなぎ)と、波の神の伊邪那美(いざなみ)の2人の男女の神が出会って、戯れるうちに、恋に陥って2人が結ばれ、私たちの美しい日本が生まれたという、麗しい神話が載っています。日本では、2人の男女が結ばれるたびに、新しい日本が生まれます


・夫と妻の2人が心を合わせるほど、贅沢なことはありませんよい伴侶を求めて、素晴しい新しい日本をつくって下さい」


・現行憲法によれば、親や兄弟や、一族は、2人の結婚とかかわりがなく、2人の結婚に干渉してはならないことと、されている。今日では結婚は、男女2人の一過性の快楽のために行われる、軽い結びつきに変わった。2人が人類を未来へ継いでゆくために、結ばれることがなくなってしまった。結婚相手として、ふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家族(ファミリー)が切り離された。


・世界のどこへ行っても、結婚は今日のように一時的な快楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だった。


・結婚は責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。


・国民が刹那的な消費文化によって、すっかり蝕まれてしまった。刹那という言葉は、仏教の梵語からきているが、指で弾くごく短い時間を意味している。刹那的な物欲によって駆り立てられて、荒んだ国をもたらした責任は、国家の大本である国防を忘れて経済大国をつくってきた、私たちの世代が負うべきものである。


・第一歩が大切だ。

(部分抜粋引用終)

http://agora-web.jp/archives/2031830.html


リベラル皇室の光と影「続・平成皇室論」(特別寄稿)
八幡 和郎
2018年3月31日


・平成皇室のフィナーレは、眞子さま婚約延期問題の混乱で、生前退位問題についての議論も、雅子さまの御不調に伴う皇后陛下の役割いかんという課題も吹っ飛んでしまう混乱状況のなかで終わろうとしている


・月刊誌「新潮45」4月号に『「リベラル皇室」の光と影』と題する小論を書いた。そして、その内容の多くは、4月8日発売の『誤解だらけの皇位継承』(イースト新書)でも多くの部分を採り入れてある


眞子様騒動のとき、週刊誌が疑問を報道したり、私などが疑問を解明すべきだというと、多くの人から「婚約の前に宮内庁が身元調査をしたはずだから大丈夫のはずだ」「だから、心配することは必要ないし、すべきでもない」といわれた。「皇族方から宮内庁の職員や政府に相談があって調べてくれといい、職員も眞子様つきあっている男性がいるようだが、調べてみましょうと申し出る」という当たり前の関係が成立してないことを知らない一般国民にとっては不思議な事件であったが、その後、状況が明らかになって、現在の皇室が当然そうあるべきように機能していないことが明らかになったのは幸いだった。ともかく、このままではダメなのである。


・幸いなことは、平成という時代が、陛下の退位という形で終わることから、安心して、こういう議論が出来ることである。


天皇の即位礼を京都でするべきであり、その準備は陛下の生前から始めないと間に合わないというプロジェクトに関わっていたが、表だった議論は不可能で、1986年のサミットを京都で行い、その過程で即位礼挙行の条件整備を図るということを試みるしかできなかった。


・皇室という場合、皇族(厳密には天皇は皇族といわないが本稿では含める)、宮内庁、政府の協力によって運営される組織全体を指し、宮内庁という場合は事務方をさすものとしている。


・皇室の抱える問題については、両陛下を含む皇族にも宮内庁にも歴代の総理を含む政府にも責任があるが、誰が悪いという議論は建設的でない。


昭和天皇崩御されたとき、多くの国民が新しい陛下が昭和天皇と同じように国民統合の象徴たりうるかを密かに心配していたが、陛下が実践された天皇像は、満を持しての即位にふさわしい説得力あるものだった。しかし、それは、あるべき象徴天皇像として普遍化されるべきものでないというのも大事なことだ。メリットもあればデメリットもあるのは当然であるし、時代の違いも個性もある


・今上陛下の示される天皇像の基調は、祈りの重視とストイックで素早い行動重視の公務への姿勢である。



・今上陛下は「祈り」を重視され、伝統的儀式に熱心に取り組まれている。明治天皇大正天皇は、神事はあまりお好きでなかったし、昭和天皇も、宮中祭祀に熱心でないとして、母親の貞明皇后は、「神罰あるべし」とまでいわれたこともある。


・今上陛下は、神事を大事にされ。また、明治以来、皇室との関係が薄れていた寺院についても、熱心に訪問されている。


・陛下の理想とされる君主像のヒントとなるのは、「雍正帝」(宮崎市定著)を印象が深かった本として上げられたことだ。清国で康煕帝乾隆帝の間に位置する名君だが、中国史もっともストイックな働き者といわれる皇帝だ。ただし、雍正帝は非常な現実主義者だから、理想主義的な陛下とは方向性が少し違うような気もする。


・カリスマ性高く国民が仰ぎ見る対象だった昭和天皇の姿も間違っていなかったと思うし、皇太子殿下には別のお考えがあるだろうし、妃殿下のご体調からいっても、同じスタイルは無理でもあるから、普遍化すれば、昭和天皇を否定することになるし、新陛下も困った立場に置かれることになろう。


・ストイックすぎるスタイルは、高齢になられて、その美学を貫徹するためには、制度改正による退位を希望されざるをえないという無理もあった。


・平成の皇室は意外に政治的であった。象徴天皇制の原則から言えば、かなりきわどい性格のものだった。


リベラルな姿勢は、昭和天皇というカリスマを失って不安定化していた皇室に左翼からの攻撃の余地を与えないために有用だったと思う。1989年に昭和天皇崩御を受け即位された翌日、陛下は「さきに,日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しました」と宣言されたが、大正天皇昭和天皇の即位の勅語には大日本帝国憲法は登場しなかったのでその政治性に驚いた


日本国憲法天皇の政治機能を全面的に否定しているが、ふたつだけ隙間があると思う。それは、複数の憲法があった場合にどの憲法天皇は従うかということと、複数の首相を名乗る者が出た場合にだれが首相かの判断だ。このふたつは、ほかに判断する者がいないから、天皇は自分で判断するしかない。そして、自分は日本国憲法無効説には荷担しないという判断を示されたとしてもおかしくない。


・新憲法昭和天皇の関与のもとで、旧憲法を改正するかたちで合法的に誕生したことを再確認したということであった。もちろん、それは、憲法制定に不適切な押しつけがあった可能性を排除しないものの、無効論は否定されたのである


・沖縄について、2003年の天皇誕生日に際する記者会見にて「私にとっては沖縄の歴史を紐解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」と仰ったが、歴史的に皇室の威光が及ばず、また、地上戦で多くの県民が犠牲になり、復帰が遅れた中で昭和天皇がそれを肯定するような発言をされたともいわれ、県民にとって引っかかりになっていることを考えれば、このような沖縄への思いを語られたことは、皇室への県民の皇室への信頼を確保するために有益なものだった。ただ、薩摩の人にとって遺憾だったともいえる


・陛下は太平洋戦争の激戦地を盛んに訪れられ慰霊の旅を続けられた。2000年に、かつて昭和天皇が卵を投げつけられたオランダをご訪問なされた時、戦没者記念碑にご供花なさり、1分間にわたる黙祷を捧げられたお姿が感動的でオランダでは好評だった。


天安門事件の余韻がさめやらぬ1992年に訪中されたことや、副主席時代の習近平が来日したときに、慣例に反して予定を変更して会談したのは賛否両論があった。


・2001年、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と仰った「ゆかり発言」は、韓国民の皇室への悪感情を緩和することに役立ったのだが、一方で、日本の皇室が百済王家の分家であるがごとき馬鹿げた歴史認識に悪用された。


・2005年にサイパン島当初の訪問予定になかった韓国・朝鮮人慰霊碑に立ち寄られたが、これが、御自身の意向と報道されたたことは外交的判断を陛下がされたことになり、好ましいことではなかった


・最近では、一部の野党やその支持者が、憲法改正の関係で、両陛下を第9条の守護者のように扱う傾向がある。



・日韓関係が成熟した結果として天皇訪韓はあるべきで、和解のための武器として使うべきものではないと思う。



・御退位についても、陛下がビデオ・メッセージのかたちで希望を表明されたことは、結果的には象徴天皇制にとって疑問だった。


陛下のご希望なのだからそのとおりすべきだという、象徴天皇制の下であるまじき議論が横行したのは残念だった。


平成の皇室は、雅子妃の不調や眞子様結婚延期騒動のようなプリンセスたちの悩み、退位の是非をめぐる論議、そして皇統断絶の危機に見舞われた。


・現在の制度や慣習からして、予定されていない本人の資質とか考え方、周辺状況の相手と結婚しようとされ、また、そうするなら事前になされるべき話し合いや調整がされないことだ。


・従来の制度や慣習を前提にして問題が少ない皇族の結婚相手を探し、また、候補者と調整を行うシステムが存在もしていないことだ。雅子妃を現在の状況にしたことは、すべて予想の範囲内であって、意外なものではなかったはずだ。


眞子さま結婚延期事件もよく似た背景だ。婚約延期になった直接のきっかけとみられるのは、小室氏母親の借金トラブルだが、本当の問題は、資産と本人の収入見通しを考えれば、とうてい、未来の天皇陛下の姉としての体面を維持できる生活は成り立ちそうもないことだ


・陛下の長女である黒田清子さまの結婚も遅かったし、三笠宮家の2人、高円宮家の3人の王女さまたちも、いまのところ、1人しか結婚されていない。このままでは、悠仁さまのお妃選びも難航することが容易に予想される。


・早急に美智子皇后を見いだした小泉信三のような有能な顧問を複数任命して対処すべきなのだが、誰も真剣に取り組んでいるとは思えない。


皇位継承問題は、今上陛下の即位の段階で、三笠宮寛仁家に続き、高円宮家も女宮の誕生が続いており(三女の絢子さまは1990年生まれ)、その後も、秋篠宮家には内親王がお二人(次女の佳子さまは1994年生まれ)で皇太子殿下は結婚そのものがひどく遅れたのだから危機感をもって対応すべきだった


女系天皇の可能性については、私は絶対に反対ではないが、それが正統性をもつためには、男系維持のためにいろいろ工夫したがダメだったのでなければ説得力がないと思う。


眞子さまの婚約者がそういう構想には向きそうもない人物だったことは、その問題点を浮き彫りにした


皇位継承問題で疑問なのは、今上陛下の子孫に限る議論がされがちなことだが、これは、非常に宜しくないと思う。(1)男系を維持している旧宮家などを排除し、(2)明治天皇以降の天皇の女性子孫も考慮に入れず、(3)女性宮家三笠宮家や高円宮家の女王による継承は認めず、(4)内親王だけというのはひどく恣意的だし、四人の孫の子孫が一世紀もしたら絶滅している可能性も大である。


古今東西特定の帝王の子孫に将来の継承を限ろうという試みは数々の国家的危機をもたらしてきた。


・21世紀の終わり頃以降になって、平成の陛下の子孫が絶える可能性はそれほど低いものではない


・平成の次の時代の皇室にとって必要なのは、「朝廷」の再建である。皇室が万世一系という安定性を持ち得たのは、帝王が独裁者として君臨する海外と違って、天皇個人のカリスマ性や見識に頼らず、多くの皇族や廷臣たちの意見が反映され支え合う体制だったからだということに異議がある人はないと思う。


・幕末の孝明天皇のように、ご自身の考え方に固執されると、政治が大混乱したりしてきた(佐幕開国か尊王攘夷かで争っている時に孝明天皇が佐幕攘夷という誰も賛同者がない意見に固執されたのがさまざまな混乱が生じ長引いたということ)。


・近代の皇室においても、皇族方にもかなりうるさ型がいたし、元老もおれば、宮内省内大臣を筆頭にレベルの高い陣容で、熟練した侍従もいた。この人々は天皇や皇族に対してすら強く諫言もできる立場だった。また、首相など閣僚も天皇や皇族と直接に意見を言える機会があった。



・皇族のなかで政府と意見交換をされるのが、陛下に限られているらしいというのも不適切だ。皇室のありかたは、憲法上、政府や国会が決める問題だが、皇室は日本国憲法によって創設されたものでなく、もともとあった伝統的なものであるから、陛下も含めた皇室の方々や伝統的にその周辺にいた人々の意見も関係者として尊重したほうがよいに決まっている。


・陛下の意見だけが貴重なのではない。ほかの皇族や旧宮家等関係者の意見だって大事だ。また、帝王教育という観点からも政府関係者と皇太子殿下など他の皇族との交流も必要なことだが現状ではそれが不十分に見える。


今上陛下は、宮内庁長官などの意見をそのまま承認されるのでもないし、逆に自分から意見や提案を仰ったりすることも多いと聞く。では、陛下は誰の意見を参考とするべく聞かれているかといえば、皇后陛下は特別の存在だが、ご学友などの友人や、お気に入りの学識経験者やジャーナリストなどの意見だという。



・歴史などにつき、陛下に意見しているといわれるメンバーを見ると、偏ってないか気がかりでもある。一般に皇族は「左右の極論」を排して外交官などと日本の外交史についての認識を共有するべきだと思う。



・政府が過度に政治利用しても困るので、政府にも陛下や皇族に対しても諫言できる枢密顧問官的な仕組みもあったほうがよいと思う。そういうのは、昔なら実直な官僚出身政治家などの役目だったが、最近、そういう適任者がいるか少し不安ではあるが。


現在の皇室は、個人商店的だ。それを、かつての朝廷や宮中がそうであったように、それなりの企業的な組織にして、安定したガバナンスをしっかりしなくてはこれから永らく皇室制度を維持していけるか著しく不安である。

(部分抜粋引用終)