ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ドイツ再統一とバビ・ヤールと

昨日は、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの再統一へと歴史が動いた20周年記念でした。この日が銘記すべきなのは、私の誕生日と同じだからということもあります。
今でも、学生時代に頻繁にドイツ語で手紙のやり取りをしていた、ベルリン、ドレスデン、ライプチッヒ在住のペンフレンド達は、一体どうしているだろう、と気になります(参照:2007年10月23日・2008年5月6日付「ユーリの部屋」)。
経済格差が、20年たった今も解消されないどころか、まだ「心の壁」がある、と昨夜のニュースでも報道されていました。1999年8月にベルリンを訪問した時には、S-Bahnと呼ばれる市電に乗ってみても、東側と西側の違いは歴然としており、旧西ベルリン地区は、日本の大都市の繁華街そっくりの活気がある一方で、旧東ベルリン地区に入ると突然、風景が暗く沈滞ムードになっていて、建物も古く、地図や地名を知らなくても自ずと知れる状態でした。優秀なはずのドイツ人なのに、どうしてこうも復興が遅れているのか、不思議でなりませんでした。東側を見て、(これで「共産圏内で最も豊かな優等生」と言われていたのか)と、愕然としました。
フランスなどの周辺諸国にとっては、あの勤勉で体力のあるドイツ人が統合されたら、また強大な国ができることになる、とヒヤヒヤもので、従って、今のようにどこか分裂したままのドイツの方が都合がいい、とも聞いたことがあります。
しかし、現在の報道は、経済問題に集中し過ぎではないでしょうか。確かに、パンなくしては生活が成り立たないものの、思想の自由が保障され、自発性の伴う行動原理によって、経済もおのずと活性化する、というのが、冷戦当時の自由主義圏の主張ではなかったでしょうか。

さて、それに関連して、昨日の予告どおり、ショスタコーヴィチ交響曲第13番について、簡単にご紹介します。今、CDを流していますが、いかにも旧ソ連体制の音楽といった沈痛で重苦しい調子です。しかし問題は、雰囲気ではなく、曲のメッセージなのです。

「……それでもやはり、人々は祖国へ思いをはせ、郷愁に心をかきむしられるのである。この郷愁が重要なものであると思われる。そしてもちろん、もしもユダヤ人が、自分の生まれたロシアで平穏に幸福に生きてゆければ、よいことだっただろう。しかし、反ユダヤ主義の危険については、いつでも思い出されなければならないし、そのことをいつでも人々に思い出させなければならない。なぜならば、この伝染病は生きているし、それがいつ死滅するかはわからないのだから。
それだからこそ、エフトゥシェンコの詩『バービイ・ヤール』を読んだとき、わたしは嬉しくなった。この詩はわたしを震撼させたのだった。この詩は何千という人々を震撼させた。バービイ・ヤールのことは多くの人人が知っていたが、しかし、すべてを根底まで知りつくすためにはエフトゥシェンコの詩が必要だった。バービイ・ヤールについての思い出を根絶すべく努められたが、それを行なったのは、まずドイツ人であり、それからウクライナの政治権力であった。しかしエフトゥシェンコの詩のあと、人々はバービイ・ヤールのことをけっして忘れられないということが明らかとなった。そこに芸術の力がある。
エフトゥシェンコの詩が発表されるまで、人々はバービイ・ヤールのことを知ってはいたものの、沈黙を守っていた。この詩を読んだとき、沈黙は破られた。芸術は沈黙を破るものである


ソロモン・ヴォルコフ(編)・水野忠夫(訳)『ショスタコーヴィチの証言中央公論社 1980年 pp.230-231)

内容の真偽性が問題視されたこの書についての雑感は、2007年8月28日・9月9日・9月20日付「ユーリの部屋」において私なりの決着を記しました。
そして、その「エフトゥシェンコの詩」とは、亀山郁夫訳によれば、次のようなものです。

バビ・ヤール


バビ・ヤールに記念碑はない。/切り立つ崖は荒れくれた墓碑のようだ。/わたしは恐ろしい。/わたしは今日、ユダヤの民と/同じ齢を数える。/いまわたしは思う。わたしはユダヤ人だと。/いまわたしはさまよい歩く、古代エジプトの地を。/見よ、わたしは十字架にかけられ、滅び去るのだ。/そして今にいたるも、この体には釘跡が消えない。/ドレフュス、それがわたしであるような気がする。/小市民どもはわたしの密告者にして、裁判官だ。/わたしは鉄格子の中にいる。わたしは罠にはまった。/捕らえられ、つばを吐かれ、罵られる。/ブリュッセル風のフリルをつけた婦人たちが、/喚きながら、わたしの顔を傘でつく。/わたしはベロストークの子どもであるような気がする。/血が流れ、床をつたう。/酒場の主どもが狼藉の限りをつくす。/混じりあう葱とウォッカの匂い。/長靴に蹴ちらされ、力つきたまま/ポグロム主義者たちに空しく掌をあわせるわたし。/「ユダ公を殺せ、ロシアを救え!」、高笑いにあわせ/店の主人がわたしの母をうちのめす。/おお、わがロシアの民よ!わたしは知っている。/おまえは、「インターナショナル」なのだ、と。/けれど、しばしば、手の汚れた者たちは/この上なく清らかなおまえの名前を騙った。/わたしはわが大地の善良さを知っている。/なんたる卑劣さ、眉根ひとつ動かさず/反ユダヤ主義者どもが自称するとは/「ロシア人同盟」を。/


わたしは思う。わたしはあのアンネ・フランクだ、と。/四月の若葉のように、透きとおるアンネ…/そしてわたしも恋をする。わたしも言葉などは無用だ。/要るのはただ、たがいを見つめあうこと。/なんとわずかしか見たり、嗅いだりできないのだろう。/わたしたちには木の葉も、空も許されないのだ。/でも、とてもたくさんのことができる。/暗い部屋で、たがいに/優しく抱きあうこと。/「こっちにくるの?」/「だいじょうぶ。/あれは春のどよめきさ。/春がこちらに向かってくるしるしさ。/そばにおいで。/はやく君の唇をおくれ」/「ドアを壊しているの?」/「そうじゃない、あれは流氷の音さ…」/バビ・ヤールにさんざめく野の草。/裁判官さながら脅かすように見おろす木々。/ここではみなが無言の叫びをあげる。/そして帽子をとると/わたしは感じるのだ。ゆっくりと白髪になっていくのを。/そしてわたし自身、何万という死者たちのうえに響く/絶えることのない無言の叫びだ…/わたしはここで銃殺された老人のひとりひとりだ。/わたしはここで銃殺された子供のひとりひとりだ。/わたしの何一つそれをけっして忘れまい。/「インターナショナル」よ、とどろけ。/大地から最後の反ユダヤ主義が/永遠に葬られるときに。/わたしの血にユダヤの血は流れていない。/けれど、わたしはユダヤ人のごとく憎まれる/荒れくれた敵意で、すべての反ユダヤ主義者どもらに。/だからこそ、わたしはまことのロシア人なのだ。」


マリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団/セルゲイ・アレクサーシキン(バス)『ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調 作品113「バビ・ヤール」(1962年)2005年録音 EMI「ライナーノート」pp.8-9から)

これを読んで派生的に想起したのが、Robert Satloff, "Among the Righteous: Lost stories from the Holocaust's long reach into Arab Lands", Public Affairs, New York, 2006です(参照:2008年2月24日付「ユーリの部屋」)。
そして、今読んでいるエドワード・サイードの『パレスチナとは何か岩波現代文庫2005年/2009年)は(参照:2009年10月30日付「ユーリの部屋」)、サイードの『オリエンタリズム板垣雄三(監修)杉田英明/今沢紀子(訳)平凡社1986年)や『イスラム報道浅井信雄佐藤成文(共訳)みすず書房1996年/2001年)よりは、遙かに読める本だということを申し添えたいと思います。