ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

渦中にない人の言葉

今日は主人の特定疾患の申請書更新の手続き。事務的処理の後、保健師さんが面接をしてくださるのですが、私の場合、2月頃の過重労働の相談もしていたので(参考:2010年2月4日・2月22日・2月26日・3月3日付「ユーリの部屋」)、たっぷり30分、時間をとっていただきました。
若年性の進行性難病の場合、たとえ仕事が続けられたとしても、何かと精神的な圧迫感が大きく、周囲も当事者ではない以上は、それほど理解できるわけでもないために、患者はいろいろな面で孤立しがちです。しかも、家族にも負担がかかっていることは否定できないため、日々、何かと重苦しい気分が抜けきれません。
病状については健康ノートに細かく記録をとり、すぐに忘れるようにしてはいるのですが、このブログでも綴っているように、「希望を持って」とか「平安のうちに過ごすように」と言葉かけをいただいても、ありがたくもどこかピンとこないような感覚があります。人間が出来ていないと言われればそれまでですが、「こんな人生のために、子どもの頃からいろいろ心掛けてきたんじゃない!」と言いたくもなります。
世の中は競争社会で、ますます加速度化しているのに、それに逆行するような病状なので、現状を受け入れることイコール人生をあきらめることなのか、と思ってしまうこともあります。
自分の歳を考えると、ぎょっとします。この病気がなければ、あと数年は早く、さまざまなことができていたのではないか、と。もちろん、そう考えるのは、主人に酷なことですが。
初めの頃は、まだ自分も若い気持ちでいて、あまり悲観的にならず、考えすぎないようにしよう、と楽天的なところもありました。ところが、今年に入ってから、「あと人生、半分もない!」と実感するようになり、しかも、周囲の客観的な状況から、人はこういう境遇に陥った者を容赦なく切り捨てていくんだな、ということが判明したこともあり、やる気が失せてしまいがちでした。

保健師さんは、私と面接できたことを喜んでくださり、さまざまなアドバイスをくださいました。私も、このような場が与えられていることを感謝しています。ただ、自宅に帰ってから、どっと疲れている自分に気づき、(あぁ、これなんだな)と。

「いつまでも夢を追っかけていていいですね」と年賀状に書いてきた人がいました。ご自分の業績一覧表も書いてあったぐらい、にぎやかなお年賀状でしたから、もちろん、嫌みないしは皮肉でしょう。そういう何気ない一言がずっと心の奥底に沈殿していて、だから毎日気が重くなるのかな、とも思っています。
そのことをふと思い出して、今日、つい保健師さんに言ってしまったところ、ぎょっとした表情をされて、「でも、渦中にない人にはわからないことだから。今はできることを一つ一つやっていきましょう」と言われました。
そのぎょっとした表情を見て、(やっぱり、私は相当ひどいことを平気で言われていたのに、その場では大したことないと思い込んでいたんだな)と思いました。
よく、淡々と黙々と行動で示す方がいい、と言われますが、今の忙しい時代、黙っていると本当に踏みつぶされてしまうことも多いと知りました。こうしてブログに書くことで、少しは伝わるものがあればいいのですが。