ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

素人だけがダメなのではない

相変わらず元気な池内節!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150406)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150422

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=pb&hc_location=profile_browser


・「中東というとなぜテロしか報じないんだ!オリエンタリズムだ!」と言っていた人が突然「パリだけでなくてベイルートでもバクダードでもテロの犠牲になっているんだ!なぜ三色旗だけなんだ!」と言い出すのは変だよね。
・中東というのは、いろいろ不満を持った人が、日本政府とかアメリカとかとにかくエラい人や組織や国家を罵るためのネタになっているんです。
・日本にはもっと多くの、「閾を越えた」そして「戻ってきた」←ここが重要)専門家・職業人がいなければならないと思っているから、頑張って情報発信をしているが、中東を知らない奴はダメだ、と言うつもりはない。知らないのに発言するのはダメだが。しかし専門家を名乗っていても明らかに知らないことについて見当はずれなことを喋っている人も多いので、素人だけがダメということではない。

(抜粋引用終)
でもねぇ、池内先生、以下のような論者もアラブ世界にはいるってことが、なかなか伝わって来ないんですよ。
問1.この論者は、どのような背景を持つ人なのか。
問2.この発言は本当に信頼できるものなのか。
問3.これだけのことを発言するのに、どれほどの恐怖や家族や親族への圧力を感じなければならないか。
問4.このような考えは、アラブ・ムスリム世界の中でどの程度の比率を占めているのか。
問5.将来的に、この論者の考えの方向に向かう可能性はあるのかないのか。あるとすれば、いつ頃か。ないとすれば、外部の我々は何をすればよいのだろうか。

メムリ(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP622115



緊急報告シリーズ



Special Dispatch Series No 6221 Nov/17/2015



「アラブとムスリムは世界に荒れ狂うテロの直積責任を認めよ―イラク紙編集長の主張―」



2015年11月13日パリでIS(イスラム国)による同時多発テロが起きた後、イラク紙Al-Mada編集長フセイン(‘Adnan Hussein)が、「これは我々の犯したテロである、我々に責任がある」と題して、厳しい記事を掲載した。そのなかでフセイン編集長は、スンニ派及びシーア派を含むムスリム全員が、世界中で猛威をふるっているテロの直接責任者である、と主張した。彼によると、ムスリム世界では、教育カリキュラム、メディアそしてモスクが、人殺しと斬首を容赦する野蛮なイスラムを鼓吹し教えこむ場になっており、平和と憐憫の情を説く別のイスラムの声は、殆んど聞くことがないイスラムの この宗教的過激主義は、ムスリムが諸国民のなかで最高であり、それ以外の者は地獄へ落ちる不信心者である、と説き、ムスリム青少年をほかの人類を撲滅する〝聖なる世界大戦〟に駆りたてるムスリムはこれを認め、学校とモスク及びメディアのレトリックを変える総括的改革に取組むべきであると、フセイン編集長は述べている。以下その記事内容である※1。


著者アドナン・フセイン(source: almadapaper,net)


恐るべきテロがフランスの首都パリを新たに襲った。我々はこのテロの責任をまぬがれない。これまで20年以上も我々の国を含む世界中の様々な地域と国でテロ攻撃があいついでいるが、我々アラブ・ムスリムが直接的役割を果し密接に関わってきた。我々はこの責任を放棄することはできない。



小学校、中学校、高等学校そして後になると大学でも、宗教と歴史の教科で我々は選民であり、至高且つ栄光の民であるとか、我々の宗教が真の宗教であり、(地獄の業火から)救われる正しい民は我々であるとか※2、ほかの民は偽りの民で地獄に落ち業火に焼かれる不信心の民であり、その民の殺害は許され、その民の財産と妻を我々がとっても構わないなどと教えている。学校の教室では、コーランの章句や預言者ハディース(伝承)から引用して、行為の正当化が行われる。歴史の文脈からずれた引用であるのに、コーランハディースを持ちだしてくるので、我々は、判定が絶対的であり、審判の日まで、いついかなる時でもそれを適用しなければならないという印象をうけてしまう。


モスクやフセイニヤ(シーア派の礼拝所)で、彼等は我々の宗派的性向を強める。他の宗教を敵視して敵対行動を煽り、ムスリムでも別の宗派に対する敵意をあらわにして、ハワーリジュと呼び※3、ラワフィド(シーア派に対するスンニ派の蔑視語)、或いはナワシブ(スンニ派に対するシーア派の蔑視語)と言い合い、変節とか背教などと悪態をつくのである。



今日我々の子供達や孫達は、学校、大学、モスク及びフセイニヤで、巨大且つ強力な党派的毒薬を投与されている。知性も精神にもまさに命とりとなる。宗派のテレビとラジオは24時間同じことをたれ流し、学校や病院にまわすべき金を活動資金として受けとり、力をつけている。我々の子供達と孫達は、他者の宗教や民族或いは国籍などに関係なく、すべての他者を敵視して、世界聖戦をやっているのである。この環境が過激イスラム集団を生みだした。この集団は、貧困と失業という土壌で発芽し、汎アラブ主義の名においてそして又時には宗教と宗派の名において犯される拝斥、人権強奪、個人及び集団の自由の侵害そして信義の侵害によって育っていく。


我々はテロに対する我々の責任からのがれることはできない。言い訳も役に立たない。まず我々は責任を認め我々自身と他者に謝罪し、今から我々の生き方を改めていかなければならない。そのためには、教育のカリキュラムを再検討し、初等教育から大学レベルまでそれを根本からかえなければならない。それをやらないと何も前に進まない。学校のカリキュラム、大学、モスク、フセイニヤ、ラジオとテレビで表明される宗教上の教えを変えない限り、許しもない。何故ならば、(その各々の場で表明される)宗教は、寛容、平和、調和、責任の分かち合い、他者に対する思いやりの宗教ではないからである。学校のカリキュラム、大学、モスク、フセイニヤ、そしてラジオとテレビで表明される宗教は、斬首と流血の性格を持つ野蛮な宗教である。盗みと強奪、隷属そして強姦を勧め、扇動する宗教である。ほかの(他者を思いやる)宗教は、これこそ本当の宗教と主張する者もいるが、我々の生活のなかに存在しない。存在してもせいぜい弱い声が発せられるだけで、殆んど誰の耳にも届かない。特に抑圧された若い世代には全然聞えない。人間性が貧困と拒否そして権利の否定で傷つけられたうえ、狂気のカリキュラムとファトワで洗脳されているからである。



※1 2015年11月15日付Al-Mada(イラク
※2 ハディースによると、預言者ムスリムの民が多数のさまざまな集団、宗派に分裂するが、そのうちのひとつしか救われない
※3 ハワーリジュは、第4代カリフ(`Ali bin abu Taleb)の支配から分離し、イスラム最初の宗教的対立グループをつくった。

(転載終)
池内先生の論法も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)、下手をすると結局は、逆の意味で「いろいろ不満を持った人」の中に範疇化されてしまいませんか?
過去ブログでの「メムリ」引用は、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=0)。

https://twitter.com/ituna4011

“Jewcentricity: Why the Jews Are Praised, Blamed, and Used to Explain Just Abo...”( http://www.amazon.com/dp/0470198567/ref=cm_sw_r_tw_dp_7Hztwb00PQ2TH …)arrived here today from the U.S..

(転載終)
先程届いたばかりの上記本の著者アダム・ガーフィンクル博士は、ダニエル・パイプス先生の数少ない良好な関係だった、かつての部下。七年間、一緒に働き、共著も複数ある。去る11月4日には、京都の某大学で講演会「アジアでのアメリカ政策」が開かれたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20151118)、早速、デジカメ持参で前方に席を占めて待機した。一般参加者が普段よりも少なくて驚いた。
愛嬌のある顔立ちにむっちり型の体型で、大きな声で話すタイプ。奥様同伴。上昇志向というのか、権力志向は並々ならぬものがあると拝見した。以前のシンクタンクではパイプス所長の方が上司だったのに、『国益(ナショナル・インタレスト)』誌の後続版である『アメリカン・インタレスト』誌編集者としての現在では、ご自分の方が逆転したと思っていらっしゃるのか、終了後、お名前が含まれているアメリカ出版の本(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)を持参した私の質問には、「電車が待っている」とのみおっしゃり、足早に去られてしまった。
実は、その数日前に私の母校でも講演されたようだが、タイトルが曖昧で意味不明だった。せっかくの来日講演会が不調で不満だったのか、愛想はあまりよろしくはないが、親切なアメリカ知識人の一人だとは思った。「アジアでのアメリカ政策」は、結論から言えば、存在しない。「日米同盟の終わりの始まり」を明確に示唆する、警告的な内容だった。その意味では、遙かに男前で格好いいウォルドロン教授に、政治的スタンスは似ていると思った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)。
若い頃のダニエル・パイプス先生のルームメイト(ウォルドロン教授)や同僚(アダム・ガーフィンクル博士)は、当時のあの世代としては少数派だったかもしれないが、今後は三人とも、各専門分野でますます声が聞かれ、読まれていくことだろう。そうでなければならない。