ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

諏訪内さんとイタマール・ゴラン氏

昨晩は、『N響アワー』の後続番組を見てから続きを書こうと思っていたのに、つい睡魔に負けてしまいました。『ラ・ラ・ラ...』なんとかという番組は、『おかあさんといっしょ』のクラシック版もどきのようで、あまり好きではありませんが、だからといって無視できるような内容でもない、という微妙なラインが難しいところです。
外山雄三氏には、何年も前に一度だけ、梅田の劇場ホールのN響出張演奏会(?)の際、お目にかかったことがあります。非常に端正で、落ち着いていて、無理なパフォーマンスがなく、厳しい訓練と日本風のよさがにじみ出た指揮ぶりだと思いました。もちろん、例の太鼓囃子の曲も披露されていました。ああいう曲を、西洋の方々はどのように受けとめられるでしょうか。武満徹氏は欧米で受けがいいようですが、それとて、実際のところはどうなのか、気になるところではあります。(これも実は、昨日書いた、ある米国人の方の著作で触れられていることでもあります。)

名古屋のしらかわホールでのプログラムは、びわ湖と多少違っているようでした。以下に、びわ湖での演奏曲目を記します。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 op.47「クロイツェル」
(20分の休憩)
バルトーク(セーケイ編曲):ルーマニア民俗舞曲
ブロッホ組曲『バール・シェム』より第2曲「ニーグン」
・エネスコ:ヴァイオリン・ソナタ第3番 イ短調 op.25「ルーマニアの民俗様式で」
(アンコール)
クライスラーシンコペーション
ドビュッシー/ハルトマン(編):亜麻色の髪の乙女

(後注:ドビュッシーの編曲者は、「ヘルマン」と記してあるプログラムも、別のホールで見ました。今回は珍しく、アンコール曲をメモしないで帰ってきたため、正確なところはわかりません。「亜麻色の髪の乙女」は、その昔ピアノで習っていた上、試験にも出たほど、ポピュラーな割には、案外に難曲。ヴァイオリン編曲については、楽譜を調べない限りわからず、どうぞご容赦ください。)

クロイツェルは、非常にアップビートされたテンポで、研ぎ澄まされたような激しさ。ちょっと焦ったような感も。どういうわけか、「アパショナード」というイタリア語が思い浮かんだほど。今だからこそのテンポ設定なのかな、と思いながら聴いていました。
黒地に大柄の模様の入った大きなハンカチーフを顎当てにのせた諏訪内さんは、ちらりと時々、客席に視線を走らせながらも、意外と体を斜め前後に揺らしながらの演奏スタイル。髪型が自然で若いというのか、前髪を瞳ぎりぎりの長さまでまっすぐ垂らして、両横を黒ゴムできっちりと後ろに結び、自然なストレート・ヘアで、いかにも東洋美人の典型だな、と(後注:このインタビューの写真とは違います(http://saf.or.jp/arthall/event/event_detail/2012/m0424_int.html))。もちろん、一切乱れることのない髪型で、そうでなければ熱演も冷めてしまう、と...。女性の場合は、なかなか難しいところですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070921)。
これがあと10年も経ったら、どういうテンポになるのだろうかと、楽しみでもありました。
第一楽章の末尾では、弓を弦から離しても、ビブラートが2-3小節ぐらい、かかっていました。あれは、生演奏でなければ、ちょっとわかりにくいところですね。
第二楽章に入ると、途端に明るくつややかな音色。ここでも、突然、「チェーホフの小説が好き」とインタビューで語っていた諏訪内さんを思い出してしまいました。(全然脈絡がないのに...)
終盤に差し掛かると、誰かが間違えてなのか、拍手してしまっていました。ご愛敬?でも、ちょっと恥ずかしいですよね。
また、右腕が非常に鍛え抜かれた筋肉質だということも、今回、よくわかりました。それに、曲の中途で、弓の毛が一本切れてしまったのですが、合間にさっと引きちぎって床へ。(ずっと前に、どなたかのホームページの投稿欄(当時は、各人のブログではなく、一つのサイトに皆で演奏会の感想などを投稿していました)で読んだには、諏訪内さんのファンが、休憩時間に長い棒のようなもので、床に落とされた弓の毛を拾っていたとか...変なことを思い出すものですね?)
ゴラン氏のピアノは、やっぱり粘着質というのか、やや音量が大き過ぎないかな、とは思いましたが、相変わらず、指は非常によく動く方です。
3時5分に始まって、3時48分終了。カーテンコールは一度(でしたっけ?)
舞台でにこっと微笑むと、基本的に、非常に訓練された明るい感じの女性だな、と諏訪内さんに好感を持ちました。(本当は、もっと神経質で細くて冷たいクールな音色の人かな、と思っていたので。)
休憩時間には、開場前にもチェックしておいたCD売り場へ。混雑していました。なぜか、大きなポスターまでいただいてしまった!何年も前から、図書館で借りて聴いていたものが多かったので、やはり買うなら、新譜じゃないと意味が無いと思い、奮発しました。
4時10分から第二部。
諏訪内さんの方が、ヒールのためもあるのでしょうが、ゴラン氏より背が高いんだ、と発見。譜めくりの黒づくめスーツの若い女性が、楽譜持参で後から登場。(この、譜めくり係も、2月の児玉姉妹の時には、大変に粗雑な感じで、何度も紙の音が入ってしまい、実に興ざめでした。たかが譜めくり、されど譜めくり、です。)
バルトークルーマニア舞曲は、人口に膾炙した、短い6曲。しかし、ヒラリー・ハーンも西宮でプログラムに入れていましたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090114)、どの演奏家にとっても、思い入れの深い曲なんでしょうねぇ。エネスコの「ルーマニアの民俗様式で」の伏線として置かれたのかもしれません。と、思っていたら、舞台上で一礼。そのままブロッホに入りました。
私にとっては、今回のプログラムの目玉商品は、やはりブロッホ。個人的に、深い思い入れがあります。もともと、私の気質の深いところで、こういう感じの曲に惹かれるところがあるんだって、大人になってから特に明確に、気づくようになりました。つまり、寺西基之氏のプログラム解説によれば、次のようです。

ブロッホ(1880-1959)はスイス生まれの作曲家である。彼の音楽の土台には旧約聖書を精神的よりどころとしたユダヤ民族主義があり、旧約聖書ユダヤ教に関わる素材に基づく作品を数多く残している。1923年の所産である『バーム・シェム』もまさにユダヤ的な題材による全3曲の組曲。題名は18世紀にユダヤ教団において起こったハシディズムとよばれる神秘主義運動の創始者バール・シェム・トヴを指しており、"ハシディズムの生活の3つの情景"という副題も付されている。3曲の中でもこの第2曲「ニーグン」はとりわけ有名。題は即興や朗吟を意味し、情熱的な祈りの感情がヴァイオリンで表し出されていく。」

もちろん知っている曲ですが、諏訪内さんが選曲してプログラムに組み込んだ、という点が、今回新鮮な気がしました。ただ、ここで咳き込みが増え、拍手が早かったところを見ると、会場ではまだ知られていないのかもしれない、と残念に思いました。8分ぐらいの曲。舞台で一礼した後、エネスコへ。
ところでいつも気になるのは、どうして、曲と曲の間、楽章と楽章の間で、あれだけ会場から咳が出るのかということです。集中していれば咳も止まるし、最近のホールは湿度調整がすばらしくて、それほど乾燥もしていないと思うのですが...。
第二楽章は、難曲中の難曲のようで、涼しい表情のまま奏き切った諏訪内さん、さすがだと思いました。弱音器をつける時も、そっと目立たないようにしていて、いつの間にか、という風に。全体として、お辞儀も拍手も含めて、28分ぐらいでした。
その後、舞台袖に戻られて、カーテンコールは二回。二度目には、諏訪内さんの方が、ゴラン氏に向かって拍手。それから、ゴラン氏と二人、手をつないでお辞儀。これは、最近の流行でしょうか、よく見かけるスタイルです。また、本来は禁止のはずなのに、近くに座っていた男の人が、紙袋に入れたプレゼントのようなものを諏訪内さんに渡していました。(私が小学生の頃までは、舞台に向かって花束を演奏者に渡す観客が何人かはいたものですが、今では「固くお断りいたします」とアナウンスの入るホールもあるぐらいです。)
アンコールはないのかもしれない、と思っていたら、舞台からの曲目紹介もなく、そのままクライスラーの「シンコペーション」へ。CDと聞き比べても、かなりゆっくりめのテンポで、かつ、リズムを揺らしていたと思います。おどけた調子が、それで出ていたのかもしれません。何だか涙が出てきてしまいました。理由はわかりません。
二曲目は、弱音器をつけて、実にまろやかで柔らかい音色の「亜麻色の髪の乙女」。へぇ、諏訪内さんって、こういう音も出すんですねって、新鮮な響きがしました。
三度のカーテンコールの後、終了。時計を見たら、5時4分でした。会場からは、男性陣の「ブラボー」が、二、三、飛び交っていました。
その昔、諏訪内さんがテレビのインタビューか何かで、「日本に帰る度に、お客さんの耳が肥えているのに気づいた」とおっしゃっていたのを思い出します。あれから時代が急展開した今、どう感じられたでしょうか。