ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

シャガールの展示会(於:京都)

後回しにならないうちに、シャガールについて。
「愛をめぐる追想:日本未公開作品を中心に」と題する展示会を、4月16日の最終日に、京都高島屋7階で45分ほど見て回りました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120416)。
チケットの裏には、次のようにありました。
20世紀前半のパリやロシアで前衛芸術の洗礼を受けながら、あらゆる芸術理論や主義主張を超越し、近代絵画史にユニークな位置を占めるシャガール帝政ロシアユダヤ人居住区に生まれ、パリで学び、両大戦という過酷な時代を生き抜いて色彩豊かな独自の幻想世界を語り続けたこの画家は、世界でもっとも愛されている20世紀の巨匠のひとりです。」
今回の展示会は、スイスの個人所蔵家よりお借りした39点で、1930年代以降に力点を置いたとの由。ほかにも、岐阜県美術館所蔵の版画「サーカス」シリーズの全38点を合わせた計77点を公開し、その主題は、「男女の愛、家族間の愛、宗教的な色彩をも帯びる隣人愛や人間愛など」に関する問いかけだそうです。
今回、記念に2枚の絵葉書を2組ずつ買いましたが、その一つは、「婚約者たち」(1927年ごろ)です。これは、39年の絵画展「カーネギー・インターナショナル」で3等になりました。その賞状を見せたところ、当時、ユダヤ人弾圧の強まったフランスで、市民権を奪われて警察に拘束されていたシャガール一家に、アメリカ亡命への道が開けた、とのことです。また、作品は故郷やユダヤ神話にまつわるものが多く、幻想的な世界観を色彩豊かに作り上げた、とも描写されています。(以上は、2012年3月15日付『朝日新聞』夕刊「文化」欄より)(ユーリ注:カーネギー賞について、会場で私は「三度目の挑戦で4等」とメモしています。) 

マルク・シャガール(1887ー1985)Marc Chagall
ロシア領ベラルーシのヴィラブスク(人口6万5千人)郊外のユダヤ人居住区シュラットル(人口4万人)で9人兄弟の長男として生まれた。父方の祖父はユダヤ教の説教師。父も熱心にシナゴーグへ毎朝通った。
本名:モイシェ・セガル(Moishe Segal)
イディッシュ名:モイシェ・ハツケレク
ロシア風名:モイセイ・サハロヴィチ
*「シャガル」の意味は「闊歩した」
欧風化:モイシェ→マルク
「モイシェ」とは、旧約聖書ヘブライ語聖書)の「モーゼ」を指す
・ニースに「シャガール・聖書の言葉国立美術館」がある
旧約聖書に偶像禁止の記述があるため、ユダヤ人が画家や彫刻家になれなかった時代があった
・キリストが十字架に縛られたように、画家も画架に縛られている
・ライフワークのテーマ:聖書・サーカス・動物・ロシアのイコン
詩編ダビデに敬意→竪琴・ユダヤ教の燭台
・人類の愛と調和
・『聖書』の挿絵の仕事のため、4度イスラエルを訪問。
・ハシディズム(敬虔主義)の祈り:笛吹き
・1917年のロシア革命では、当初、ユダヤ人への差別が撤廃されたかので熱狂したが、各地でポグロムが発生し、安住の地がなくなったため、失望に変わった
・1943年からの三部作のテーマ:レジスタンス・復活・解放
ピカソの『ゲルニカ』を見て、政治的に触発された
・「革命の中で逆立ちするレーニン」は「キリストの磔刑」と「復活」のテーマへ
・トーラーとラビ:ユダヤ民族の殉教・ユダヤ人のキリストは腰にタリト(礼拝の肩掛け)
・モティーフ:ロバ・母子像・ヴァイオリン・蝋燭・花嫁
・幻想性・宙に浮く・生命
・緑色を多用することの意味と解釈の多義性
シャガールの言葉「私がアメリカでパリを夢見、そして今、パリで豊かに過ごすことができるのは、あたかも、新たな涙を流すために古い涙を拭い、生き返る必要があったかのようです。これら全てのことが、私の中で目覚め、私の思考と私の人生の中に決然と留まるためには、不在と戦争、苦悩が必要だったのです」
・「シャガールは大変内気で恥ずかしがり屋で孤独な人柄」
(以上、展示会場にあったパネル説明をメモしたものの要約)

シャガールについては、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090705)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120416)に少し記述があります。