経験の複雑さ
昨日も、T先生にお誘いいただいていた会合に出席しました。
全く知らなかった二人の知識人に関するご紹介のようなお話だったのですが、なかなか惹きつけられる内容で、すっかり集中してしまいました。専門ではないのに、どうしてここまで興味が持てるのか、自分でも不思議なのですが、最も大きな理由は、本来、このような方面の本を学生時代に読んでいたこと、そして、思考の深さや多様性と自由度にあると思います。こうしてみると、年齢を重ねるのも悪くもないなあ、と感じた次第です。
その後のディスカッションも、例によって黙って聞いていたのですが、割合に本音に近い話も聞かれ、疲れ具合が全く違いました。一番よかったのは、「これは私の専門ではないので」という断りが冒頭で聞かれたことです。こういう率直さ、範囲の設定をきっちりと出すことは、繰り返しになり、当たり前のようですが、基本中の基本ではないでしょうか。
会合で疲れるのは、知っている話が繰り返し持ち出されて新鮮味がない時、思いつきのように連関なく発言される時、先行研究や現地事情をしっかりと吟味せずに、一時的経験談や耳学問的な発想が見られる時、などですが、その点、昨日は、会場で知り合ったM・Y先生との会合後のお喋りで、払拭されました。
どこでどのように人がつながっているのかは、わかりません。「連絡をください」と言われて、帰宅後に調べてみると、なんとK家の息子さんと共著のある方でした。また、地域は少し異なるものの、学会や研究会や興味のある守備範囲に接点があり、なるほど、話が弾んだわけだ、と納得。
それにしても、T先生のご慧眼には敬服します。いつも、T先生が紹介してくださる会合では、必ず話の通じる人と知り合いになれるのです。地域も専門も違うのに、どうしてなのかな、と不思議に思って考えてみると、物事の本質を考え抜く習慣を身につけていらっしゃるからではないか、と。つまり、表面的なことではなく、深層部分でとらえていらっしゃるので、ということです。
地域が異なり、専門が異なれば、考え方や結論も違ってくるように見えますが、実は、立場が異なれば必ず対立するかといえば、決してそうではありません。たとえ、ある時期に喧嘩になって口もきかなくなったとしても、どこかで、共鳴している部分もあったからぶつかったのでしょうし、喧嘩することで理解が深まるという面もあるでしょう。例えば、私自身の例では、学問的な仕事としては尊敬するけれども、思想内容が現実に合致していない、少なくとも、中東でならよいとしても、万華鏡のような東南アジアの地域性には合わない、というような...。それは、リベラルだとか寛容だとかとは、全く範疇の違う話です。むしろ、にこにこ会合だけ数を重ねても、まるでわかっていないということもあり得るのです。
昔、母校の留学生センターで日本語を教えていた頃、よく、日本側のお膳立てとして、出身国が同じ留学生をまとめて同じグループにすることがありました。ところが、クラスやパーティーなどで観察していると、どうも一見距離のある国同士の留学生が親しそうにしている様子が見られたのです。例えば、インドネシアの女子留学生とポーランドの男子留学生が、授業に行くと、いつの間にかとても仲良さそうにくっついていました。ヨルダンの女子学生とドイツの男子学生、インドネシアの女子学生とドイツの男子学生、この二組はその後、結婚しました。コートジボワールの女子学生と旧宗主国であったはずのフランス人男子学生とが、場所が日本だからなのか、本当に親しそうにフランス語で話し合っていたことも覚えています。「アフリカの人は、ヨーロッパの植民地支配に対して憤っているはずだ」という思い込みは、ここで見事に粉砕されました。
年頃だから、という要因を除外しても、普通は、東南アジア国は東南アジアで、ヨーロッパはヨーロッパで、と日本側は固めてしまいがちです。心理的にも言語上も、その方が楽だからだろう、という見立てからです。ところが、実際には全く違ったのです。かえって、同国人同士固めずに、自然発生的にした方がうまくいったかもしれません。例えば、国は遠く離れていても、日曜日に行くカトリック教会でいつも一緒だったから親しくなった、という事例もあります。大学近くの禅寺に連れて行ったところ、仏教徒のミャンマー(ビルマ)の留学生が、突然一人で深く跪拝を始めたことも覚えています。次いで私に「仏教徒ですか」とこっそり耳打ちしました。
マレーシアに4年間住んでいた私も、ある時、「日本人同士だから」と、親切にもおせっかいなマレー人のおばちゃんに、紹介されたことがあります。ただ、滞在目的が全く違うのと、日本国内でなら、まずは話すこともないだろうという人だったので、挨拶した後に自然消滅となりました。
さて、M・Y先生とのお喋りで盛り上がったのは、インド系のカースト問題についてです。「外から見たら差別かもしれないけれど、当事者にとっては、内部秩序が保たれている」という考え方が、南アジア研究者にはあるとのこと。(それを鵜呑みにして、「だから、マレーシアもあれでいいのだ」とはおっしゃらないでくださいね!マレーシアの問題は、また別次元の領域です。)考えてみれば、マレーシアでも、モダン・シークの人や、ブラーミンおよび高カーストのヒンドゥ教徒など、本当にさまざまな人々と知り合いになったのに、なかなかその経験が活かせないままになっています。もったいない話です。マレーシアのインド系といっても、スリランカ系タミル、南インド系タミル、マラヤリ、テルグ、シンディ、パンジャビと民族もさまざま、宗教も、仏教、ヒンドゥ教、ムスリム、キリスト教、シーク教など、実に多様です。どういうわけか、仏教の人とは親しくなる機会がありませんでしたが、いろんな人達と、若さにかまけて自由に交流していました。なのに、研究/仕事としての形をつける必要性からか、いつの間にか固定化されたレッテル付けに自分も染まっているのかもしれません。
また、マスコミで有名になったある先生に関して、「相手のことを聞かないで、いつも同じ話ばかりする」という点でも、話が盛り上がりました。一方、「ディシプリンはないかもしれないけれど、その地域をじっと見てきた者には、知っていることがある」とM・Y先生。それなら、私にだって、もっと言えることがあるはずなんです。その一部が、このブログで開陳していることですが、果たしてその成果は?
「同じ話ばかり」される先生について。一つは、それを売り物にして名を挙げられたこと(だから、都合の悪い事例を突きつけられても、今更おいそれとは変更できない)、忙し過ぎて新たな領域の勉強をする暇がないこと、などが考えられるかもしれません。ですから、時流に乗っかって発言するのも、善し悪しです。そして、この問題の解決には、やはり実証的に誠実な記述を積み重ねていくことではないかと思います。「後世が判断することですから」と。
昨晩から、『共感覚者の驚くべき日常−形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック(著)山下篤子(訳)草思社(2002年)を読んでいます。少し古くなっていますが、おもしろい本です。