ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

いわゆる「スカーフ問題」に思う

以下は、数年前に書きかけて、まとまらないまま放置してあった拙稿です。従って、結論部分は「尻切れトンボ」風であることをご了承ください。(ユーリ)

(仮題)―マレーシアのムスリマ達―いわゆる「スカーフ問題」に思う
 マスコミや一部の日本人研究者が、フランスにおける移民系ムスリマ学生の「スカーフ問題」を取り上げている。書き手が男性であるところに、私は何となくひっかかるものがあった。かつて日本に到着した途端にトドゥンを外したというマレー人女子学生の話を聞いていたからでもある。(この種の話は、マレー人学生の間であっという間に広まる。だから、私のような部外者にまで、こちらが尋ねたわけでもないのに、何となく伝わってきたのだ。)「学校にいる間だけ取ってください」とは絶対に言えないのか、と尋ねた私に対し、その非ムスリム日本人研究者は「宗教ですから」といささか勝ち誇ったように言い放った。その時感じた強い違和感を私は忘れることができない。宗教とは、それほど画一的な絶対規律を要求するものなのだろうか。

 やや旧聞に属するが、2001年11月18日付『朝日新聞』の記事(大阪本社発行)をご記憶の方もいらっしゃるだろう。後半部にマレーシアの女子留学生との触れ合いが綴られた「いつもそばに本が ㊦」という米沢富美子氏(理論物理学者)のコラムである。ご存じないかもしれない方のために、該当箇所を抜粋する。
 「ムスリムといえば、昨年、大学での留学生対象の補修授業でマレーシア人女子学生二人を担当した。女性の選択肢が限られている国から女子学生が理工学部に留学してくるのはすごい。彼女たちと読む本は「電磁気学」や「力学」だ。授業にもヒジャーブ(ベール)姿で来る。女性差別の象徴みたいなそんな布(きれ)を被(かぶ)ってと言う私に、それは違うと十八歳の彼女たちは幼さの残るかわいい目を丸くして抗議した。私たちは強いと言い、帰国したら会社を興すと話す。手を伸ばして私のスカーフに触れ、私たちも絹(シルク)のヒジャーブがほしいけど高いからと女の子らしい会話もした。日本人の女の先生が黒板いっぱいに力学の式を書き、ヒジャーブのマレーシア人女子学生たちが熱心にノートを取る。暗いニュースで胸の痛む日、彼女たちを思い出すと明日への希望が少し見える。」
 マレーシアからの帰国後、大学でマレーシア人留学生向け授業を依頼された個人的経緯から、この話は、まるで光景が目に浮かぶようだった。米沢富美子氏については以前、NHKラジオでご自身のガン体験にまつわる講演を拝聴したことがあり、生き方からも学ぶところが多いが、「女性差別の象徴みたいなそんな布(きれ)を被(かぶ)って」という率直な物言いには驚いた。しかし、マレー人学生も遠慮せずに言い返すところが、何とも健気で愛らしい。女性同士だからこそ、正面きって話し合えるという利点も預かっているのだろう。
 (メモ)私の教えていた学生のクラス写真:スカーフしている学生の人数・結び方・スカーフの布質や柄・当時と現在との比較・スカーフの色や結び方にも流行あり・華やかなブローチやねじりを入れる・後ろでとめるなど(おしゃれ)
 マレー人要人の奥様方で、普段はかぶらないが、重要な公式行事の時のみ、スレンダーというのか長い幅広の布をふわりと頭に掛けて、片方の端を左肩に流すスタイルがある。これは、宗教的というよりも南アジアから中近東にかけての慣習的なものであろう。インド系女性が、腰から肩の方に巻き付けたサリーの裾を広げて頭にかぶっていることが時々あるが、どうしてそのようにするのかと尋ねたところ、「こうするともっと女らしく見えるでしょう?」とのこと。

 1990年代前半に3年間マラヤ大学予備教育課程で日本語を教えていた私は、学生達と6歳ぐらいしか年齢差がなかったせいもあり、ときどき大学寮のオープン・ハウスに招かれた。教室内ではうかがいしれない女子学生達の一面が垣間見えて、いろいろ感じ入ったことを思い出す。Aという北部カンポン出身の地味でおとなしい学生は、友達と一緒に二人部屋に入るや否や「先生は女の人だからいいです」とか何とか言いながら、さっとトドゥンを外した。「あら、雰囲気が変わるのね」と私が言うと、そばにいた数人の女子学生達もキャッキャッとうれしそうに「先生、Bさんは髪の毛長いんですよ」「私も見てください」などとそれぞれの普段顔を披露し始めた。「朝は忙しいのに、大変じゃないの?」と聞くと、「もう慣れました」などと模範回答が返ってくる。いかにも政府に選抜された若いマレー人らしい。「どうやって被るの?」と尋ねると、先のAが自分の白っぽい無地のトドゥンを手に取り、器用に私の頭を覆い首もとでキュッと留めてくれた。ファッションとしての凝った結び方ではなく、いわゆるオーソドックスなスタイルである。鏡を見ても、面長の私にはどうしても似合うとは思えなかったが、学生達はニコニコと面白がっていた。写真に撮らなかったのが今では惜しまれる。そのうち、廊下に男子学生の姿が見えると、トドゥンを外した学生達が一斉に「キャッ」と叫んで頭を覆い始めた。乙女心の恥じらいやういういしさに触れたような気がして、なるほど、と新鮮な思いがしたものである。

 しかしこれは可視的な指標であり、トドゥンそのものが内面の信仰の度合いを示しているかどうかについては何とも微妙なところである。「形式に盲目的に従うのではなく、こういうことは自分で決める」というムスリマを私は知っているし、「トドゥンを被ってしまえば、後は中身で堂々と勝負できる」と教えてくれた人もいる。どちらも筋が通っていて、他人がとやかく口をはさむ余地はない。   

 教えていた女子学生の中で、90年代半ば頃、日本に留学していた一人は、ちょっと事情が込み入っていた。ペナン生まれの彼女は、父親がマレー人、母親が華人であり、姉の一人も同じコースを経て日本に留学していた。父親の仕事の関係で、日本流に言えばいわば転勤族だった彼女の家庭では、姉の方がマレー語で教育する国民学校に進んだのに対し、彼女は自分の意志で常に華語学校を選択したために、華人の友達が多かったそうだ。ところが、イスラームのことになると姉いわく「先生、その話なら妹に聞いてください。私はあんまりよく知らないけど、妹は信仰が強いから詳しいと思います」との返事だった。実情は不明だが、私には、環境の違いもさることながら、本人の性質にもよるのではないかと思われた。さらに話を複雑にするのは、「信仰が強い」と姉に描写された当の本人は、日本にいた頃スカーフを被るのを好んでいなかったことだった。不当に目立ち、好奇の対象にされるのが嫌なのだろう。名古屋で会った時、斜めにねじりを入れた真っ黒のスカーフでおしゃれを工夫している彼女を見て、一昔前のフランソワ・モレシャンみたい、と私は思った。が、部屋に上がらせてもらった途端、「あぁ、もうこれ、宗教だからねぇ」とため息まじりにさっとスカーフを放ったのを見て、心底びっくりした。私の目の前だから意識的にそうしたのかどうかはわからないが、彼女をそうさせたのは、一体何なのか。自分とは異なる人々に対するまなざしを投げかける私達一人一人にも、全く責任がないとは言い切れないだろう。

 話は少しそれるが、1991年のインドネシアでの断食を思い出す。ジャカルタのジャワ系ムスリマのMは「断食は神様と自分との関係で決めることなのに、何でマレーシアでは宗教警察が介入してくるの?」とカラカラ笑い、「弟の友達はムスリムだけど、生まれてから一度もプアサしたことないんだって。でもここでは問題ないよ」。スラバヤのジャワ系友人Hは「僕は怠け者だから、一ヶ月全部断食したことない。毎年、一日ずつ延ばすようにしてるんだけど」と言った。二人とも、日本留学経験者のごく真っ当な人々だが、同じマレー系ムスリムであっても、国境を越えるとこうも違うのか、と驚いたことを覚えている。

 宗教的意味での女性の被り物については、カトリックのミサでは、日本でもマレーシアでも、たいていの教会では、レースの白い布を頭にかけている女性を何人か見かける。プロテスタント教会でも、牧師のいないブレズレン教会にはそのような習慣があるようだ。使徒パウロがその書簡で「女性は被り物をして、つつましくしていなさい」と指示している事情が反映してのことであろうかと考えられる。それとて、教会内で被り物をする人としない人との間で、何らかの差異化がなされていると私は感じたことはない。第一、信仰の内情は、他者があれこれ立ち入ることのできる領域ではないし、同じ人でも、信仰のあり方は人生行路上でさまざまな変遷を辿るのが普通で、一概にどうこう言える筋合いのものではないのだ。少なくとも、キリスト教会の枠内で、私はそのように考える。

 10年近く前の話になる。コタバル出身のマレー人の先生が、マラヤ大学キャンパス内で、ご自慢の新車に同乗させてくださったことがある。たまたま、前方をこげ茶と真っ黒の無地の大きな布地で目以外は全身を覆っている女性達数人がバイクで通り過ぎていくのが見えた。すぐさま、先生が私に聞いてきた。「ねぇ、ああいう格好してる女の人達、どう思う?」先生は、少なくとも当時は、私の背景をご存じなかったはずであるので、どういう意図で聞かれたのかはわからない。恐らく、女性同士だから、しかも日本人だから、部外者だから大丈夫、というある種の安心感がそうさせたのかもしれない。が、私はいつもマレー人と話す時には、どうしても遠慮がちになってしまうので、「そうですねぇ、ちょっと暑いんじゃないかな、とは思いますけど…」と言葉を濁した。すると先生は勢い込んで、「あのね、私、どうしてトドゥンを被らないのかってよく聞かれるのよ。それで、ある時、宗教指導者のところへ聞きにいったの、コーランでは本当のところはどう教えているのかって。そしたら、『プライベート・パーツだけ覆えばいい』っていう返事だったのよ」。つい私もそこで応答してしまった、「それって、誰でもそうじゃないですか」《1》 。「でしょ?イスラームでは、人間として当たり前のことを教えているのよ。でもねぇ、いろいろうるさい人が多くて…」。
 1995年のハリラヤの時期には、コタバルに帰るという先生のお誘いに応じて、私もご実家にお邪魔した。太平洋戦争開始となった日本軍上陸の海岸を見たいというかねてからの願いを叶えるためでもあった。さっそく翌朝、クアンタン在住だという妹さんと連れだって、海岸まで車を走らせてくださった。出かける直前、先生が「あのね、ここではKLと違って、人の目があるから、あなたもスカーフをかぶってくれない?」と言い出した。私の要求をきいてくださるのだから、こちらも同じように、と思って承諾した。すると先生が「ありがと。じゃあ、あなたに一番似合う色のスカーフを選んであげる」と言って、洋服ダンスの引き出しを開け、たくさんあるスカーフから一枚取り出してくださった。「ムスリマになったみたい」と言うと、先生と妹さんが顔をちょっと困ったように見合わせていたのを思い出す。今ならば、さすがにそんな軽々しいことは言えないが、無知というのは、本当に恐ろしいものである。

 別の日に、先生がまた私を車に乗せてくださった時、「町のコピー屋さんに立ち寄るから、ちょっと待っててね」と言って複写する本を私に見せた。「これはね、不安な時にするアラビア語のお祈りの本なのよ」。(古今東西、どの宗教でもそういうお祈りがあるんだなぁ)と、人間存在の普遍性共通性に思いを巡らせながら、車の中で待ったことを思い出す。ここで私が言いたいのは、スカーフを被るか被らないかが、その人の信仰心をはかる指標にはなり得ないということ、それと同時に、極めて当然のことであるが、ムスリマにもさまざまな考えを持つ人々がいて、皆それぞれの葛藤や悩みを抱えながらも、本質を求めて生の道を歩んでいるということなのだ。
 カトリックのリサーチセンター内で、マラヤリ系の40代半ばの男性研究員とおしゃべりをしていた時のことである。彼は何人かの女性と交際したことがあるが、結婚には至らず、独身であるという。(注:カトリック教会内では独身者について、一般社会通念とは考え方をいささか異にする。一つはパウロ書簡にある独身の勧めの教えに基づくものであり、もう一つは、司祭、修道士、修道女などの独身者が尊重される教会制度の影響によるものである。さらに考慮する必要があるのは、私と同じ30代(ユーリ注:執筆当時)でも「自分は10人兄弟だ」という人がまだ稀ではないマレーシアで、それ以上の世代が、総じて大家族の中で育った人々であるという背景である。つまり、現代日本の都市部で顕著に進行中といわれるシングル増加とは、意味合いが違うのである。) その彼とイスラームに関する話をしていた時、何の拍子にか、突然私に言った。「全身を布で覆うのは、女性を男性から保護するためであると、ムスリムは言う。だけど、僕に言わせれば、覆ってしまうと逆にあらぬ想像を掻き立てられ、余計にセクシュアリティが刺激される。それが証拠に、トドゥンを被っていたマレー人女性がレイプされることも珍しくはないんだ」。
 そう言えば、セレンバンで家族ぐるみで親しくしていたタミル系ヒンドゥ教徒の家庭でも、奥さんの前でご主人が聞かせてくれた話がある。「マレー人の男は、トドゥンをしていない女性を身売り女みたいだ、と言う。売春婦に見られたくなかったらトドゥンを被れ、と言うんだ。だから、ガールフレンドができたり、結婚が決まったりすると、途端にマレー人の男はスカーフをプレゼントするんだよ」。そこで、その時20代半ばの未婚だった私は、つい急き込んで尋ねてしまった。「あの、質問ですけど、一人の女性としてミスターにうかがいます。奥様や私みたいに異教徒で(注:奥さんの方はカトリックである)トドゥンを被っていない女性に対して、マレーシアの男性は、身を売っているみたいだと本当に感じていらっしゃるんですか」。ご主人は即座に断言した。「もちろん、そんなことはない。売春婦に見えるかどうかは、その女性の態度によるのだ」。奥さんも同調して言った。「本当はね、マレー人女性は男の人から言われてトドゥンを被るのが嫌なのよ。女性同士になると、マレー人はすごくセンシュアルな話をよくするの。こっちが恥ずかしくなるぐらい。普段、社会的に抑圧されているからなのね」。

《1》 ただし、人間社会にはさまざまな文化があるので、一概に「誰でも」とは言い切れない。大学院生だった頃、私は留学生寮の住み込みチューターを1年半務めていて、さまざまな国の主に国費留学生と知り合いになる機会を得た。ある時、北京出身の女子留学生が、国にいる自分の1歳ぐらいの息子さんの写真を何枚か見せてくれた。びっくりしたのは、町の風景を背景にした普通の家族写真でも、単独の写真でも、その男の子だけズボンの前を開けていることだった。もちろん「丸見え」である。驚きを抑えながら「どうしてこうするの」と聞いてみたところ、「小さい子は、顔や服装を見ただけでは男の子か女の子かの区別がつかないから、中国では伝統的に、男の子だとわからせるために、写真と撮る時にはこういう風に見せるの」とのことだった。さすがは現実主義的な中国だ、とその時は思ったが、他にもこのような文化があるのだろうか。

(2004. 03.19)