ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イラン情勢に対する一見解

メムリ」(http://memri.jp

Inquiry and Analysis Series No 526 Jun/21/2009

イランの大衆抗議デモは市民革命か
A・サヴィヨン(イランメディアプロジェクト長)

2009年6月12日の大統領選挙に続いて、イランで抗議デモが発生した。次は本件にかかわる分析である(本稿はイランの選挙に関する報告の第4部である)。
目下進行中の大衆抗議デモは、これまでのところ三つの大きい特徴を有する。
1 抗議デモは、デモ参加者の支持する指導者達が指示しているわけではない※1。
2 抗議デモは、上級の聖職者に後押しされていない。
3 抗議デモは選挙の不正問題に焦点を合わせたものであり、現体制に挑戦するようなイデオロギー上の積極的提示をおこなっているわけではない。
しかしながら、いくつかの変化が現在起きつつある※2。
1)イランの市民社会は―主に若者、学生及び女性―抵抗をやめず、弱腰の指導者達即ち、元首相ムサビ(Mir Hossein Mousavi)、カロウビ(Mehdi Karroubi)そしてこの2人を支持するハタミとラフサンジャニに対し、先頭に立って大衆抗議をリードせよと要求している。ムサビとカロウビは(ハタミに後押しされて)重い腰をあげつつあり、デモで殺された犠牲者との連帯の意志表示として、喪服姿での平和的デモを呼びかけた(この形の抗議デモは、イラン国民の集団的記憶をよみがえらせるものであり、国民に対して強力なインパクトを持つ)※3。
2 )ムサビは、今回初めて宗教界の一部から支持をうけている。ザンジャニ師(Ayatollah Asadollah Bayat Zanjani)は、自分のウェブサイトに「法にそむく者に対して決然として立上る時がきた。彼等は、利己心から法と人民大多の意志を無視する輩である」と書いた。更に、自分は政権の針路について何年も前から警告してきた。ホメイニの生き方と哲学から益々遠ざかるばかりで、イスラム共和国をイスラム政権に変質させようとしている(共和制の性格をはぎとっているの意)と付記している※4。
サネイ師(Ayatollah Yousef Sanei)は、政権批判で知られるが、同じようにムサビ支持を表明した。もっとも、彼のために祈ると言っただけで、自分(サネイ)は孤立し自分に耳を貸す者は誰もいない、と説明している※5。
3 )抗議は、イデオロギー上の積極的なメッセージを帯びるようになってきた。複数の報告によると、ここ数日抗議デモ参加者が7ケ条のマニフェストを配布している。これまでのところ、誰がつくったのか不明であるが、このマニフェストは、(1)特にハメネイアフマディネジャドを弾劾し、(2)委員会が設立され憲法の見直しがおこなわれる迄モンタゼリ師(Ayatollh Ali Hossein Montazeri)を暫定最高指導者に任命し、(3)ムサビをイランの大統領として承認し、(4)新しい内閣を組閣し、(5)政治犯を全員直ちに釈放し、(6)公然非公然の抑圧機関をすべて解体せよ、と要求している※6。
ここで指摘しておかなければならないが、抗議者(特に若者、女性、学生)が体制のチェンジを求めているのに対し、抗議運動の指導者達(ムサビ、カロウビ、ラフサンジャニ、ハタミ)は、既存体制の枠組を保持したいと考えている。彼等はイスラム革命の参加者であり、それを築いた者であるからだ。これまでこの指導者達は、最高指導者ハメネイ打倒など誰も要求していない。彼等が要求しているのは、選挙のやり直し、国民に対する抑圧策の中止、過去数日間に捕まった拘置者の釈放である※7。
再度指摘しておく必要があるが、抗議デモ参加者はいくつものグループに分かれており、その内数グループは、イスラム共和体制を現在の形で保持することを望んでいる。従ってこの抗議デモがどの方向へ進むのか予測困難である。
これまでイランの抗議デモがセクター的性格(学生、知識人、労働者、女性による)を帯びていて、政権がこれを鎮圧してきたとすれば、今回の抗議はセクターの枠を越え、共通項をもとに発生したといえる。即ち、不正選挙に対する怒りで、イランの市民社会の全セクターにまたがる抗議である。

※1 2009年6月13日、ムサビはコムの聖職者に、選挙で不正行為があったことを非難せよと呼びかけ、沈黙は不正選挙よりも有害であると、述べた。しかし、この呼びかけに対する反応は皆無であった(2009年6月13日付Aftab、イラン)。イランで一番の先任アヤトラであるモンタゼリ師(Ali Hossein Montazeri)すら、慎重である。反政権派ではあり、抗議はもっともであるとしながらも、参加者に公共の秩序を守れと呼びかけた(2009年6月16日付モンタゼリのウェブサイト)。
高名な宗教組織「戦闘的聖職者協会」(Jame-ye Rohaniyat-e Mobarez)の聖職者達は、ムサビを支持するものの、デモに行くな、「暴君政治は無政府にまさる」というイスラムの教えに従って公共の秩序を守れ、とムサビ支持者達に呼びかけた。この聖職者達は、選挙をめぐる烈しい争いは、選挙運動の一環であるが、社会撹乱や騒動は敵を利するだけであるから、これ以上騒ぎを大きくしてはならない、と述べた。この宗教組織は、挙国一致に徹し、最高指導者に従え、と呼びかけた(2009年6月14日付ILNA、イラン)。
コムの宗教セミナリーと連携するイラン日刊紙Jomhouri-ye-Eslamiも、公式にはラフサンジャニを支持してはいる。しかし、抗議の全面的支持は控えている。6月16日付同紙は、この数日テヘランで発生している暴動が国益に反し体制のためにもよくないとし、受入れられないと主張。選挙結果に対する異議申し立てが、衝突や暴動に発展してはならないと書いた。更に同紙は、政府に対して三候補の不服申し立てを調査せよと呼びかける一方、三候補とその支持者達に対しては法の範囲内で行動すべしと強調した。そして、外国メディアでは、抗議デモが政権の終りの先触れのように報道されているから、外国のこのプロパガンダを助長するようなことはするな、と警告した(2009年6月15日付Jomhouri-ye-Eslami イラン)。
※2 過去100年間に発生したイランの抗議運動には、例えばタバコ抗議(1891−2)、憲法革命(1905−6)、イスラム革命(1979)などがあるが、これを調べると、その政治的成否はいくつかのカギ的ファクターにかかっていることが判る。ファクターのひとつが、抗議運動を指揮し、少なくとも支持する最高幹部級聖職者のリーダーシップである。第2のファクターは、既存の抑圧的秩序に代る、或いはそれに挑戦する説得力のあるイデオロギー上の主張が存在することである。今回の選挙で、?第2のイスラム革命?のスローガンのもとで明確なイデオロギー上政治上経済上文化上の主張を国民に提示したのは、アフマディネジャドであり、彼のライバル達ではなかった。
※3 1891−2年のタバコ抗議とイスラム革命時には、経帷子をまとったデモ隊が平和的反政府抗議をおこなっている。
※4 2009年6月15日付 ザンジャニ師(Ayatollah Asadollah Bayat Zanjani) のサイト
※5 同日付サネイ師(Ayatollah Yousef Sanei) のサイト
※6 http://peiknet.net/09-juni/news.asp?id=38278&sort=Iran
※7 2009年6月17日付Ghalamnews(イラン)
(引用終)