ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

1800年代の復刻ジャーナルから

昨夕、帰宅してみると、学会からご連絡が入っていました。9月に仙台で開かれる学会で発表を希望する人は、今から準備しておくように、という指示でした。これについては、まだ完全ではありませんが、冬からちょっとしたアイデアが湧き、箱に資料を取り分けてあります。
資料を入手した日付を見ると、随分昔から少しずつ集めてあったなあ、と自分でも驚くやら、来し方行く末を思うやら....。もっとも、その時点では、この程度では断片的過ぎて、せいぜいコラムぐらいしか書けず、何も言えない、とわかっていたので、そのまま保存してあったのです。また、イスラーム研究が流行するようになると、何やらますます傍流化して、物が言いにくくなるテーマでもあります。
しかし、昨年10月に訪問したことで、このテーマに関して、ようやくシンガポールでも、過去の遺物としてではなく、記憶を新たに継承しながら、現況を踏まえて現地視点でフレッシュな見方を提示するモノグラフが出版されているのを知り、勇気づけられた次第です。待ったかいがあった、と思いました。
政治的に旧宗主国から独立したのだから、脱植民地化(?)したのだから、と(勝手に)否定したり葬り去ってしまうのではなく、過去は過去として、真正面から証拠に基づいて記述を試みる作業が必須だろうと思うのです。
それにしても、そのモノグラフ、ざっと読むだけなら簡単に見えても、一つ一つをまとめ上げるまでに、丹念で地道な作業および、根気やエネルギーを要するものであることが、よくわかります。ここ1ヶ月半ほど、そのような文献を読む作業も含めていました。
さて、これから少し片付けものをして、また民博図書室へ行きます。昨日、終わらなかった1800年代のジャーナル復刻版の複写を続けるためです。これも、上記学会で発表するには、必要なステップです。資料を直接引用するかどうかではなく、当時の見方や考え方を踏まえているかどうかは、大きな違いだろうと思います。また、重要な点として、この復刻版ジャーナルは、実は中国および日本にも基督教伝道した宣教師達のことがかなり前面に出ていますので、日本キリスト教史や教会史や宣教師研究や聖書翻訳史の文献を、学部生の頃からずっと眺めてきた者にとっては、1800年代という時期が、ある意味でわかりやすいのです。宣教師の人名が出てくると、相互のつながりが明らかになるからです。
この見地に沿うならば、マラヤ/マレーシアを中心軸に据えて、「そのテーマは、マレーシア研究において、どういう位置づけにあるのか」という苛立ちを含んだ問いの立て方をするのは、あまりにも不当ではないかと思います。
上記学会では、日本語訳聖書がシンガポールのメソディスト出版ハウスから出ていたこともあり、ご年配の先生から、「今でもあの建物はありますか」と、つながりを指摘されたことがあります。もちろん、日本語訳聖書の分冊がシンガポールで印刷されていた時期があったことは知っていましたが、問題は、マレーシア地域研究として聖書問題を扱う場合、そうした広く近しい文脈が無視されがちなことです。発表する場所をよく考えなければならないのは、そういう理由からでもあります。
存じ上げる先生で、マラッカのフランシスコ・シャビエルについて、ヴァチカン資料も踏まえて、綿密で実証主義的な研究を長年続けてこられた方がいらっしゃいます。では、その先生がマレーシア研究の場で発表されるか、となれば、マラッカにも長期間滞在されたそうですが、恐らくそうはならないでしょう。というのも、手法や主眼が明らかに異なるからです。
私の場合も、本来そうすべきだったのかもしれません。反省を踏まえて、遅くなっても前進あるのみ、です。