ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

最近の読書メモから

風邪もかなり治り、行動が楽になってきました。ただし、健康診断の結果が戻ってきて、「要医師指導」と出ていました。多分、太り気味だということなのでしょう。明日、町内の医院に相談に行きます。昨年も行ったのですが、その時の数値は問題なく、お医者さんからも「努力の結果、正常に戻りました」と書いていただきました。こういう健康診断の数値って、目安の一つではありますが、案外あてにならないものですね。また水泳でも始めますか。
今日は、ご機嫌直し(?)に、加藤周一氏の『私にとっての20世紀岩波書店2000/2001年)より作成した読書メモから、一部をご紹介いたしましょう。ここに再録する意図は、何よりも自分を戒めるためと、まだお読みになっていない方々へのエールのためです。なお、メモはメモである以上、表記法や句読点も含めて本文を正確に写し取ったものでは必ずしもないことを、予めご了承ください。
複製で何かをいうのは危険。本当のものを見ないといけない(p.4)
誰か人さまのことを書いたり触れたりするとき、また聞きではいけない(p.5)
騙されるのが嫌ならば何事もやっぱり自分の目で見なければいけない(p.6)
人が論文に書いていたら追試する。もう一遍やってみて確かだということを試さなければ受け入れられない(p.6)
国家が主張する善し悪しは一〇年もすれば、逆転(p.10)
セザンヌ:問題はリンゴの見方(p.12)
多数派意見が正しいということでは全くない(p.18)
日本の大衆にはもちろん問題あり(p.23)
まず問題解決、そのために取るべき手段を日本の意見として決める(p.37)
過去の事実、ことに不快な事実を正面から見る習慣がない(p.44)
民主主義には平等主義と人権、個人の自由とがある。平等主義は日本人の意識のなかにはじめからそういう傾向があった。正しさの概念が数から独立していることと、最後の根拠が個人の良心のなかにあることは、浸透しなかった。少数意見の尊重はあまり発展せず。(p.50)
18世紀前半の大阪懐徳堂系の富永伸基翁の文』:中国(儒教)の癖は、ものを誇張すること。インド(仏教)の癖は、空想的で超現実的なこと。日本(神道)の癖は、ものを隠すこと。(p.53)
政府を批判できなければ民主主義ではない(p.54)
戦争中の残虐な経験が彼の人格を破壊したのだ(p.68)
政治学歴史学は、学問が進めば進むほど批判力が低下する(p.75)
専門領域から踏み出したことに意見がないというのは虚偽(p.79)
専門化が進んでいけばいくほど判断停止になる。現状維持、保守主義(p.79)
日本政府そのものが情報の獲得とその分析をまちがえていた(p.86)
しかし誰一人として、「ついては日本に助けを求めよう」といったヨーロッパ人はいない(p.92)
歴史的には民主主義的な国家が対外的に侵略的な攻撃的な国家になることは、しばしばあった(p.94)
知識人の一般的な特徴というのは、知識があることと、それから現実を知らないということ(p.99)
西洋の近代を議論していながら、日常生活で買物をどうするかもわからない。普通の人はもっと健全で、本も読まないし、現実も知らないから、そういう妙な屁理屈をこねることもない。(p.99)
「事実を知っている」とは、ある結論を出すために十分な事実を知っているという意味(p.100)
友達を殺されたことを忘れるなんていうことは絶対できない(p.104)
問題は知らなかったということではなくて、知ろうとしなかったこと(p.105)
死との関係で本当に人間の条件の永遠な部分だけが舞台の上でも訴えてくる(p.110)
西洋崇拝者と国粋主義者:どちらも非現実的。思想として幼稚かつ有害。雑種文化を認めること(p.117)
社会主義は終わったというのは、大変粗雑な考え方(p.133)
社会主義は労働者の競争原理を抑える→意欲が下がる(p.142)
大衆のほうが現実的(p.150)
言葉の水準、つまり正当化の水準では、チェコスロヴァキア側は本当のことをいっているのだから、圧倒的に強い(p.151)
裏のほうが良くて表が悪い(p.164)
タシケントの図書館には巨大な手書きのイスラム文献があるが、全く整理されていない。イスラム史の大事な文献、歴史的な資料がかなり中央アジアには眠っている。それを読んで内容を整理したら歴史に対する大きな貢献となる(p.165)
自主性を認めることで生産は上がるのか上がらないのか(p.166)
中国から日本人へ:敵対的で侵略的な態度をとるか友好的な態度をとるか(p.179)
青天の霹靂←真面目に中国研究の文献を読んでいないから(p.185)
テロリズム:歴史的文化的なアイデンティティの表現の道がふさがれたときの最後の絶望的な反応(p.193)
何か新しいことをやるには世界でやっていないことをやらなければいけない(p.203)
強い主観主義は日本の伝統。決断そのものを評価(p.210)
仏教各宗派の教学は論戦的な性質。他派とは戦い、自派の理論は守る。自分の派の中で批判的展開は少ない(p.215)
どこかに動かない定点を決めておいて、われわれの考えはこの間で柔軟に考えるけれども、これより右へは行かない、これより左へは行かないと原理を定めることが必要(p.223)
ワシントン・ポスト」が発行停止になれば、うちの発行部数が増える、ということで嬉しがるようなあさましい態度とは正反対だった(p.225)
一種の情熱がないと何事もできない(p.228)
伝統的な約束事、社会の価値の上下関係から自由になるということ(p.234)
人生の最期に何をするかというのは面白い(p.235)
(メモの抜粋引用終)

わかりきったこと、当たり前のこと、と思われる文も含まれていることと思いますが、大事なことは、実践できているかどうか、です。忘れっぽいので、入力しつつ、自分を叱咤激励しています。また、固有名詞や主語を置きかえて、我が身を振り返るよすがとしています。