ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ガザ問題について(2)

メムリ」(http://memri.jp)
Special Dispatch Series No 2205 Jan/26/2009

「ガザの死者は被害者か殉教者か―アラブ世界に湧きあがる宗教論争」

今回のガザ紛争時の死者の定義をめぐってアラブ世界が二つの陣営に分裂した。その分裂は、アラブの衛星テレビが使う用語の違いで、如実に示される。アルジャジーラは、カタールをスポンサーとしてハマス・イラン・シリア枢軸と立場を同じくするが、ガザで殺された者を‘殉教者’(Shahid)と呼び、これと対蹠的にサウジ所有のアルアラビヤTVは、この用語の使用を避けている。
アルアラビヤはヘブライ放送局―ヒズボラ書記長
 アルジャジーラの局長シェイク(Ahmad Al-Sheikh)は、‘殉教者’の用語を使う局が批判されていることに対し、AFPのアラビア語版に「何故我々が殉教者と呼ぶのかとたずねる代りに、(カザ住民の)殺害をやめよと言ったらどうか。そうすれば、殉教者などいなくなる」と答えた。更にこの局長は、アルジャジーライスラエルのスポークスマンにも時間を与え、客観的報道姿勢に徹していると指摘。ほかの局はイスラエルを恐れているので、ガザの戦闘について現実に即した報道をしている唯一の局が、アルジャジーラであると主張した※1。
 一方、アルアラビヤTVを偏見報道と非難する者もいる。例えばヒズボラ書記長ナスララ(Hassan Nasrallah)は、演説のなかでアルアラビヤをガザ住民に対する偏見報道と呼び、語呂合わせよろしく、アルアラビヤをアルイブリヤ(ヘブライ)放送と呼びかえたらどうか、と言った。イスラムオンラインも、サウジの?インターネット活動家?が開始した反アルアラビヤTVキャンペーンについて報じた。この‘活動家’達は、紛争で殺されたガザ住民を‘殉教者’と呼ばないとして、同局に文句を言っている。
アルジャジーラプロパガンダ放送局―アルアラビヤ局長
 アルアラビヤTV局長ラシード('Abd Al-Rahman Al-Rashed)はロンドン発行アラブ紙Al-Sharq Al-Awsatの前編集長でもあるが、サウジ日刊紙'Okazに次のように語っている。
 「アルアラビアヤは報道番組を専門にするニュースチャンネルである。他局(アルジャジーラ)は電波を戦時体制化とプロパガンダの手段に使っている。事実を無視し、報道倫理をないがしろにして戦時体制化に使い、人民を予め決めておいた目的へ動員していくテレビ局とは、大違いである。
 アルアラビヤは、さまざまな角度から映像を流し、視聴者は、パレスチナ人に対して大きい犯罪行為がなされていることについて、独自に判断できる。しかし、パレスチナ人擁護がイラン等の利益のためエジプトとサウジを踏みつけにするものであってはならない」※2。
 アルジャジーラのニュース番組司会者ベングエナ(Khadija Ben Guena)は、アルジェリア日刊紙Ennahar El-Djadidのインタビューで、ラシードの批判に間接的に触れ、次のように言った。
 「アルジャジーラは、ガザの殉教者を‘被害者’と呼ぶ代りに‘殉教者’と呼んだため批判にさらされている。私はガザの犠牲者のみがこの呼称に値すると思う。無力の女、子供、一般民を殉教者と呼ばずして誰をそう呼ぶ。私は、殺す者と殺される者を同列に論じることを拒否する。武力で占領されたパレスチナ人と、攻撃するイスラエル人を同列に扱えるものだろうか。こんなことは筋が通らないし、受入れられない。
 アルジャジーラは動員をかけるテレビという人がいるが、結構ではないか。テレビ局にとって名誉なことだ。局はアラブと世界の世論を動かし、虐殺と破壊の規模を世界に示したのである。アルジャジーラは創立以来一貫してパレスチナの死者を殉教者と呼んできた。これが開局時からの姿勢で、誰でも知っている」※3。
・殉教者と呼ぶのは非イスラム的―サウジのコラムニスト
 この論争はアラブ各紙の論壇にも波及している。サウジ所有のロンドン発行紙Al-Sharq Al-Awsatのサウジ人コラムニスト、ショバクシ(Hussein Shobakshi)は、1月12日付紙面で、誰が殉教者かどうかはアッラーだけが決める特権であり、人間が誰かを殉教者に指定するのは非イスラム的であるとし、次のように論じた。
 「ガザ回廊におけるイスラエルの虐殺と破壊の結果、奇妙且つ技葉末節的な論争がさまざまなところで起きている。そのひとつが、被害者をどう呼びどう分類するかで、端的にいえば殉教者(Shahid')と殉教者達('Shuhada')と呼ぶ必要があるという主張である。
 そこで、イスラエルテロ軍の蛮行と狂気の攻撃で死んだガザ住民について、(殉教者ではなく)‘被害者’とか‘殺された人’という用語を使えば、異端だ背教だと罵詈雑言を浴びることになる。しかし、尊いコーランを読むムスリムは、アッラーのために殺された者を‘殉教者’として記述したくだりがないことに気付くだろう
 コーランには、ムスリムアッラーのため、たとい不信仰者と戦って死んでも‘殺された’と表現された個所が、沢山ある。例えば、‘もし汝等がアッラーの道で殺されたり死んだりした場合、アッラーのお赦しとお情けは、積み上げた財宝よりもはるかにまさる。もし汝等が死んだり殺されたりした場合、必ずアッラーの御許に呼び集めていただける’(コーラン第3章157-158)とある。‘アッラーの御為に殺された人達を決して死んだ者と思ってはならない。彼等は立派に主の御許で生きている。何でも充分にいただいて’(3章169)といも個所もある。
 コーランの第4章74には、‘現世をすてて来世を願う者は、アッラーのために戦わせよ。アッラーのために戦う者は、戦死しても勝っても、大いにむくわれる’とあり、更にコーラン第47章4は‘信仰なき者共と戦う時は、彼等の首を切り落せ。そして降伏する迄殺しまくれ。(捕虜は)強く固縛し、その後は釈放するなり身代金をとるなりして、戦いが終るのを待て。アッラーが御望みなら、一度に彼等を(御自身で)打って倒されるであろう。しかし、これはお前達を互いにぶつからせて、それを試みとなそうとのおはからいである。アッラーのために殺された者の行動は決して無になさりはせぬ’とある。
 尊いスンナにおいて、気高い預言者は、さまざまな戦いで殺された者を誰ひとりとして殉教者と呼んでいない。尊いスンナにはそのくだりが沢山ある。いつも預言者は‘誰それは死んだ’と言われる。?誰それは殉教した?とは言われていない。
 この問題については、(初期伝統第一主義者)イブン・マスード(Ibn Mas'ud)の言葉が代々伝えられている。‘誰それは殉教者として死んだとか、誰それは殉教者として殺されたなどと言わぬよう。呉々も注意せよ。戦利品をとる為に戦う者、名を上げる為に戦う者、自分が本物の聖戦の戦士かどうかを確かめる為に戦う者もいる’という言葉である。
 コーラン注解で知られる高徳の学者クルトビ(Al-Qurtubi)の話もある。イスラム暦627年ラマダン月第3日(西暦1230年)、敵の攻撃で父親が殺されたので、クルトビが有名なシェイクの一人に相談したところ、そのシェイクは父親を戦闘で殺された者と考えるべきであると言った。クルトビさえ自分の父親を殉教者と呼ぶ程厚かましくはなかったのである。
 サウジアラビアの長老格聖職者であった故ビンウタイミン師(Sheikh Muhammad bin 'Uthaymin)の重要な指摘もある。師はこの問題について次のように述べている。
 ‘我々は、ジハードで殺された者について、たといそれがムスリムと異教徒との戦いであっても、殉教者とは言わない。預言者アッラーアッラーのために傷つく(そして死ぬ)者について一番よく知っておられるからである。最後の審判の日、本人の傷から血が流れる時に初めて(我々は知る)。その色は血の色であり、その匂いはじゃこうの匂いがするのであろう。アッラーアッラーのために傷つく(そして死ぬ)者について一番よく知っておられるという表現は、我々にこれが全く判らないこと、できるのは殉教者として受入れられるのを精々望むことだけという意味である。殺された者は、我々が本人を殉教者と呼んだところで、何の得にもならない。得るものは何もないのである。アッラーが殉教者とお考えになるのなら、殉教者なのである。’
 その意味は明確である。殉教の問題はアッラーの特権であり、人間はあれこれ言う立場にない。あれこれ言う輩が、(真の宗教的)権威がないのに分類したり名をつけたり勝手なことをして、アラブ世界を混乱させたのである。今やベイルートのような都市には、すべての通りに殉教者の名がつけられ、宗派や党にも無秩序且つ出鱈目につけられている。
 このようなことをしているから、テロリストの首領がシェイクの敬称をたてまつられ、閣下とか猊下と呼ばれる過激主義の御歴々が氾濫することになる。
 パレスチナ問題は極めて重要であり、センシティブな問題である。パレスチナとその住民の支援に力を合わせる必要があるのに、内部紛争に明け暮れ、人間の気持や感情をもてあそび…分裂を煽りたてる。そんな余裕はない筈である。今必要なのは力を合わせること。世界一獰猛テロ勢力イスラエルのやっている流血の惨について事実を知らせるため、統一行動がなければならない」※4。
“殉教者”と言わなければ西側の手先と非難される―Al-Hayat紙コラムニスト
 同じ日ビンサリム(Hasan bin Salim)が、別のロンドン発行サウジ紙Al-Hayatに同じ主旨の記事を書いた。
 「メディアが‘殉教者’の代りに‘攻撃の被害者’とか‘殺された人’という表現を使うため、多くの人が気を悪くする。しかし、我々がこの問題に関して本当の基準を設けたいのであれば、通俗的な感情論ではなく、シャリーアの見解に従ったアプローチが必要である。
 人を殉教者と呼ぶことを禁じるハディース、原典、ファトワがいくつかもある。もっともアッラー預言者がそう規定した者は別である。
 説教で同伴者達に、有名なムアッタ襲撃で指揮官達に起きたことを説明された時、預言者は‘ザイードが旗のぼりをとった、そして倒された。するとジャファルが旗のぼりをとり、そして倒れた。次にイブンラワハ(Abdallah Ibn Rawaha)が旗のぼりをとり、これも倒れた。そしてワリッド(Khaled bin Al-Walid)が指揮官に任命されることなく、旗のぼりをとった。そして勝利を得た、と言われた。(こう言いながら、預言者の)目に涙があふれた。
 預言者はこの指揮官達を殉教したとは言われなかった。今日なら我々は殉教者にしてしまいそうだが、預言者はザイードが倒れ、ジャファルが倒れ、そしてアブダッラーが倒れたと言われた。預言者は我々の良きモデルではないか。
 この点について同伴者達は預言者の例にならった。ムバラク(Ibn Al-Mubarak)とシャイバ(Ibn Abi Shayba)は次のように説明した。アフマシ(Mudrik bin 'Awf Al-Ahmasi)が言うには、ウマルと一緒にいると、(有名な同伴者)ムカリン(Al-Nu'man Ibn Muqarrin)の使いが来た。ウマルは使いに人々のことについてたずねた。すると使いは、誰それは倒れたと言った。私の知らぬ者達も倒れていた。するとウマルは、しかしアッラーは彼等を知っていると言った。彼(ムカリン)は、誰それと誰それは倒れたと言ったが、誰それと誰それは殉教したとは言わなかった。
 ビンサリムは、ショバクシが彼の記事で書いたように、クルトビ(Al-Qurtubi)とイブンウタイミン(Ibn 'Uthaymin)から同じような例証をいくつか提示し、次のようにつけ加えた。有名な宗教法学者でハディースの専門家アルバニ(Nasir Al-Din Al-Albani)は、アッラーの特権を横取りすることがないように、アフガンジハードで死んだ者を殉教者と規定することを認めないと裁定し、次のように続けた。
 この問題でシャリーアの考えに従うことは、パレスチナの兄弟達の不動の精神、抵抗そして犠牲の過小評価を意味しない。この‘殉教’という用語を使う者は、(パレスチナ人)のこのような態度を評価する真の基準と考えたのだ。(この人達によると)犠牲者を殉教者と呼ぶ評論家、新聞或いはテレビ局は、高貴さ、誇りそして抵抗を象徴して、そう表現しているのである。その逆は、脱走者、こびへつらう者、西側の手先である…」※5。

※1 例えば、2009年1月10日付Al-Jazirahサウジアラビア)、2009年1月8日付Al-Ghad(ヨルダン)
※2 2009年1月15日付www.islamonline.net
※3 2009年1月29(ママ)日付Ennnahar El-Djadidアルジェリア
※4 2009年1月12日付Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)
※5 2009年1月12日付Al-Hayat(同)www.alarabiya.net に再録
(引用終)