ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

もしこれが事実なら.....(2)

「メムリ」(http://memri.jp

Special Dispatch Series No 2740  Jan/18/2010


アフガニスタンのCIA基地自爆犯の遺作記事


オンラインのジハード主義フォーラムは2010年1月7日、(09年12月30日に起きた、アフガニスタン東部)コストの米中央情報局(CIA)基地爆破犯アブーダジャナ・ホラサーニー(Abu Dajana Al-Khorasani)が、自爆ミッションに出かける直前に書いた記事を掲載した。ジハード支持の輝かしい著作で知られるアブーダジャナは、自らが説くジハードを実践しないジハード唱道者としての心の葛藤を吐露した。
彼はこう書いた。


「私はもはや書くことはできない。私は(人生の)早期の引退に送られることを望む・・・こうした感情が私を悩ましーー私はもはや耐えることができない」


「私は『試練の時は隠れることを求めよ』と言うハディースに従い、用心のため、この記事の発表は避けようと(いったんは)決定した。しかし、サルとブタの兄弟たちに爆弾で殺害された、ガザのムスリム、小さな子供たち、女性、力のない人々の流血の光景が、この記事の発表を私に促した。というのも、この記事の発表が(敵との戦いの)前線のたった一人のムスリムであれ、その決意を強めるかもしれない。また、この記事の発表によって、その報酬を私がアッラーから頂くためだ


「私はもはや書くことができない。私は(人生の)早期の引退に送られることを望む。私は破産した。私は萎えた。私は疲れたし、飽き飽きした。私が記事を書こうとすると、1行か2行書いただけで、私の言葉はわけのわからないものになる。私があたかも知的な盲目や感情の混乱を患っているかのようだ。私が書いてきた文章は私の肩に重くのしかかり、話してきた言葉は、いつも目を瞑ると私をさいなむ。こうした感情が私を悩まし――私はもはや耐えることができない。私の言葉は弱々しくなり、力を失った。これらの言葉は、その作者の目の前で死んでいく。私は、人々が、この老人は同時代人が既に亡くなったとささやく老人になったと感じる。私がジハードから身を遠ざけている間に、毎日が過ぎて行き、次第に私から生命、健康、決意を奪っていく。私が夢見ることと現実の私とのギャップが日増しに大きくなる・・・」


「私が最も恐れるのは、私がベッドで死んだ後、私の言葉に影響されて、殉教者として死んだ人に会うことだ」


「私の心は、ジハードに対する愛のため燃え尽きる。おー、ジハードについて書き、人々にジハードを促すあなた方、私と同じ罠に陥らないよう気をつけよ。私が最も恐れるのは、私がベッドで死んだ後、私の言葉に影響されて、殉教者として死んだ人に会うことだ。これが悪夢となって私は眠れず、私の神経は衰える。復活の日、私は(自分の)山のような罪の前に立ち、そのひとつひとつ、その全てを釈明するよう求められるだろう。長い釈明となるだろう。彼ら(殉教者たち)が永遠の快楽の中で、天国の部屋を動き回る一方、私は汗にまみれるだろう。彼らの1人はもう1人にこう言う。『かつてアブーダジャナ・ホラサーニーと呼ばれ、ジハードに赴くよう人々に促した人だ。彼をどう思うか』。もう1人が、こう答える。『しかし、彼はベッドで死んだ。ジハードから身を遠ざけた、卑しむべき死だ。彼が自分の言葉で得をしたら良かったのに。彼は、よその人々に光を与えるために自らを燃やす灯心のようだ』・・・


「私が恐れるのは、自分が敵の兵器によって殺害されないなら、復活の日の裁きの場で、(私の罪が)暴かれ、恥辱を受けることだ。私は嘘つきと呼ばれるだろう。私が語ってきた言葉が、自分の有罪の証拠になるだろう。私は誰かの死を耳にする時いつでも死ぬ。また、どんな病気であれ、耳にするとーー私は病気になる。毎年、私は10歳も歳を取る。これが、ジハードから身を遠ざけている者たちに関するアッラーの審判である・・・私の言葉は、私の血で救わないなら死んでしまう。私の感情は、私の死によって点火しなければ、消えてしまう。もし、私がこれまで書いたことに、自分が偽善者でないとの証明を与えないならば、これらの記事は私に対する不利な証言となるだろう・・・


「私か、それとも私の記事かだ。双方ともに存在することはできない。どちらかが死なねばならない。片方(記事)が生き続けるよう、私が死ぬことを望む」


「(殉教の)報酬には、預言者ムハンマドといっしょになる・・・最高位の天国も含まれる


「神かけて、アッラーのための殉教の報酬が、仮に罪の許しと罪の釈明の免除だけであったとしても、そのために私は財産と生命を犠牲にすべきだ。その報酬には最高位の天国も含まれるから、なおさらである。(その最高位の天国では)預言者ムハンマドといっしょにいられるから、なおさらだ。さらに(審判の日に)大きな心配を免れることも含まれる。というのも(報酬には)家族の成員70人のためにとりなす権利が含まれるからだ・・・私の大家族を数えると、死者と生きている者合わせて100人以上になる。しかし、ひとりとして殉教者はいない。父(の親族)にも、母にも、兄弟にもいない。私の親族70人のうち、私をとりなしてくれる殉教者はひとりもいない。(これを)私が心配しないでいられようか。不安を持たずにいられようか。心が揺さぶられずにいられようか。というのも、大きな、とりなしの門は私の面前で閉じられているからだ。


「おー神よ、あなたに懇願するのはただ、あなたのための殉教者として死ぬことだ。おー神よ、あなたの敵を殺戮する(機会を与える)よう懇願する。そして、破壊されたビルの廃墟の下で、ユダヤ人と十字軍によって殺害されるよう懇願する。救援の人々は私の死体を廃墟から取り出すことができず、その結果、私の死体は人間肥料となる。この人間肥料の上で果実が育ち、その果実をムスリムの子供が食べて成長し、ジハード戦士になるだろう


「私は、できるだけ多数のユダヤ人を地獄に送り込むタクシーのような車爆弾(になりたい)」


「殉教――自由な男たちは、それになんと魅了されることか。それは彼らの全存在をいっぱい満たす。彼らは眠る前、起床後、夢の中でさえ、それを得ることを考える・・・


「これまで、私はガザにいようとは望まなかった。しかし、今日、それを望む。私は迫撃砲弾━信徒たちがアッラー・アクバルと言いながら発砲する迫撃砲の砲弾になりたい。はたまた、できるだけ多数のユダヤ人を地獄に送り込むタクシーのような車爆弾(になりたい)・・私はガザの方角から天国の芳香を嗅ぐように感じる。あたかも、天国の門が、アッラーの人々、また、(天国の門の)最前線でアッラーに選ばれた人々を歓迎するために広く開かれているように・・・(天国の門の)最前線が予期しているのはアブームスアブ・ザルカウィ(Abu Mus’ab Al-Zarqawi)、アブーライス・リービー(Abu Layth Al-Libi)、オマル・ハディード(Omar Hadid)、イマド・アケル(’Imad ‘Akel)のような人々だ。おー、アッラーのための殉教こそ、あなた方の望みとせよ」

(引用終)