ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

若い音楽家の人生から学ぶ

さまざまな分野の本をぐいぐい読む。いい音楽を積極的に聴く。幾つかの外国語の勉強を続ける。人の思惑を気にせず、自由に文章を書いてみる。それと並行して、自分の専門テーマをコンスタントに続けていく。義務として、ある程度まとまった主題について、定期的に発表する。
こういう時間が少しでも長く続けられたら、本当に幸せです。体の不自由な夫の世話(?)と家事さえしっかりやっていれば、本代稼ぎのための不定期の自宅アルバイトを除き、残りの時間は、何も煩わされずに静かに過ごせる今が、とってもありがたいです。
もちろんこれは、多くの心配材料を抱える緊張感と隣り合わせだからこその醍醐味。好きなことだけのんべんだらりとやっていたら、何も身に付きません。

ヒラリー・ハーン「先生をがっかりさせたくなくて、一生懸命練習しました」
庄司紗矢香「がんばる」
最近、直接お目にかかった若手ヴァイオリニストお二人の言葉です。「ヴァイオリン弾き」(fiddler)と「ヴァイオリニスト」の違いは何か。
単に器用に楽器を奏でるだけならば、フィドラーに過ぎません。でも、舞台に立った時の風格や人間性そのものが表出されるという点で、総合的な資質もさることながら、並々ならぬ鍛練の連続を一生涯続けられるか、その決心ができるかどうか、それを小学生時代に既に決めなければならないという、大変厳しい人生に賭けているわけです。
天才少女などと勝手にレッテルを貼られても、それはそれとして放っておき(?)、とにかくこれと決めた対象に全力を投入して努力できる、それこそ本当に才能だと思いますが、次元は全く異なるものの、私にとっても、お二人のインタビュー記事は、編集されているものとはいえ、読むたびに、非常に勇気づけられ、励まされます。
紗矢香さんの場合、ヴァイオリンに詳しい人の話では、まだ荒削りな面もあるそうですが、私が注目することになったきっかけは、16歳当時の演奏。パガニーニのヴァイオリン協奏曲を聴いた時の気風のよさです。
小柄で愛らしい素顔のまま出てきて、一見おとなしそうなのに、ヴァイオリンを構えるやいなや、思い切って勢いよく伸び伸びと大きな音を響かせるところに、とても惹かれました。それまでの日本人の若い演奏家の場合、私が知る範囲内では、「先生がそう言ったからこう弾く」というような優等生的な技術先行の演奏が多かったように記憶しています。その状況下で、紗矢香さんの登場は、実に新鮮でした。
(へぇ、この人、本当にヴァイオリンで歌っている)と感じられたのです。ビオラのように大きく見える楽器から、あんなに小さな体で、どうやって大きな音を出すのだろう、と今でも不思議でなりませんが、歌を歌いたくてヴァイオリンと共にいる、という感じがします。テレビのインタビューでも、10代のかわいらしい女の子にしては声がしわがれて低かったのですが、最近では、年齢に合って落ち着いて聞こえるようになってきたので、子ども時代の経験と鍛練が充分生かされていると思います。
彼女の場合、専門的に完璧を目指すというより、表現したいものがたくさんあって、その手段としての技術でありヴァイオリン、という位置付けのようです。だから、毎回、演奏会が楽しみでおもしろいんだろうな、と思います。それも、演奏家の魅力であり、時の運というものなのかもしれません。

彼女と一緒に室内楽でピアノを担当しているエレーヌ・グリモーは、子ども時代から非対称性が我慢できないという強迫神経症のような症状を抱えていたそうです。心配したご両親の元でさまざまな試行を経て、ようやくピアノがぴったり自分に当てはまることが判明。それからは夢中になって練習に励み、最年少でパリ音楽院に合格。最短距離で課程を修了。同時に、読書が好きで、聖書も含めて何でも次々と読破していたそうです(エレーヌ・グリモー(著)北代美和子(訳)『野生のしらべランダムハウス講談社, 2004年 pp.28-31)(参照:2008年6月29日付「ユーリの部屋」)。
紗矢香さんも、「情熱大陸」をテレビで見ていた時、ちょっと風変わりな娘さんだな、という印象を持ちましたが(参照:2007年8月19日付「ユーリの部屋」)、画家のお母様がそんなお嬢さんを大切に育み、「何をするときにも、キャンパスいっぱいに、大きく描きなさい」と小さい頃から教えていたそうです(『いずみホール音楽情報誌 JupiterVol.113, 2008.12-2009.1, [楽器拝見 vol.49] , p.10)。また、お祖母様が歌人だったとは、この記事で初めて知りました。やっぱり、インターネット情報はいい加減な点があり、きちんとお金を払って演奏会場へ赴く努力をしてこそ、初めて得られるものもあるんですね。欲しいものがあったら、やはりそれ相応の努力をしなければ…。
おもしろかったのは、イタリアから帰ってから入学した日本の小学校時代の話。「元気のいい子ども」だったものの、「落ち着きはない」上、「何か言うたびに周囲からヘンに思われる」経験をしたそうです。「それがつらく、中学からはおとなしくなろうと自分でつとめたのです」とのこと。
ただ、英才教育を施されずにヴァイオリンを習っていたので、家族も注意せず、表現先行でいたそうです。ここからが非凡ですが、「13歳」ぐらいで、「いま自分は、技術を身につけることに専念しなければ」と考えたとのこと。
そこに至るまでは、「まじめにやるなら楽器を買ってあげる」と言われ、「夢中でした」。中学進学を前に「どうしてもヴァイオリニストになりたいなら、コンクールで一位になりなさい。無理ならきっぱりやめなさい」と申し渡されたのだそうです。
ここが違うんですね。普通の親だったら、ほいほい喜んで親戚も巻き込み、ほれコンサートだの、やれコンクールだの、どれ高価な楽器を買ってやるだの、さてドレスもかわいいものを、じゃあ練習部屋を防音装置付きに改造しよう、留学先はどの国に、などと、先走ってお膳立てしてしまうのではないでしょうか。でも、庄司家は違いました。プロの道の厳しさをこんこんと何度も言い聞かせたのに、それでも「やりたいやりたい」と言った紗矢香さんの強い意志にびっくりされたようです。
先生でさえ、「大人の楽器になるまで待ちなさいよ」とおっしゃったそうなのに、なんと分数ヴァイオリンで日本学生音楽コンクール一位になったとのこと。小学6年生の時でした。
いやもう、すごい才能ですね。持って生まれたものが違うんですね。それに、中身に自信があるのと、ヨーロッパで修業を積んでいるためか、妙齢になってもほとんど化粧っ気がなく、練習やインタビューでは、地味な黒っぽいセーターかTシャツにジーンズのような格好で出てくる。ここも本当にいいです。
ここまで、ヒラリー・ハーンさんに1月12日の演奏会で紹介していただいたアイヴズのヴァイオリン・ソナタを聴きながら書きました。週末に、主人が購入してくれたものです。