ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

豊かな天性に感謝しつつ

先程、N響アワーを録画しつつ、放送を食い入るように見ていました。そうです、庄司紗矢香さん特集で、6月1日と6日にN響と共演したリゲティの協奏曲とプロコフィエフの協奏曲第1番が紹介されていたのでした。プロコフィエフの方は、当日、ラジオで生放送を聴きながら録音もしました。しかし、テレビの映像で見ると、また違った印象があります。
何よりも、このブログでも書いたように(参照:2009年5月28日・6月2日付「ユーリの部屋」)、東京は無理でも、大阪のシンフォニー・ホールでリゲティを聴けて本当に幸せだったと改めて思いました。テレビも今回おもしろかったけれど、音色の美しさは、やはりホールで直に聴いた方が断然いいですから。私にとっては、大阪の方が、生で拝見できたこともあり、より余裕を持って集中して聴けたと思っています。テレビでは、なぜかハラハラさせられました。すごく緊張した感じが伝わってきたからです。大阪では、指揮者を時々にらみつけていて、確かに大変そうな演奏ではありましたが、テレビでは途中で泣き出しそうな感じで、音も緊張のあまり思うように出ていない箇所があったのではなかったと...。
ドレスも、大阪での大胆なワンショルダーの真っ赤な姿とはこれまた全く違う、ウエディングドレスのようなきらびやかで華やかな衣装。かと思えば、プロコフィエフでは、黒地にかわいらしい薄桃色の花柄が散りばめられた地味と言えば地味なスタイル、と自由自在な内面が表出されたような感じでした。こういう自分のスタイルと感覚を大事にするタイプで、人から何か言われても、聞ける所は聞いても、あくまで自分が主体なんだなあ、と納得。プロコフィエフの時の衣装は、ラジオで山田美也子氏がうまく表現されていたので、どんな風かなあ、と楽しみに想像していましたが、やせて小柄な体型からは、もっと華やかな色の方が舞台では映えるのではないか、とも感じました。もっとも、インタビューの時などは、黒っぽいかっちりしたブレザー姿で出てくることが多いのですが。
リゲティの時、大阪では、前髪をライトできらきら光るこげ茶色のピンで後ろに留めるいつもながらのスタイルでしたが、テレビでは、片方をそのまま垂らす感じで、それがまた、ヴァイオリンに時々かかるので、はらはらさせられました。上手に振り払うのですが、こういうことは、プロの方から見て、どうなのでしょうか。
というのは、たまたま昨日、録画してあったライプチッヒでのアンネ=ゾフィー・ムターの成熟したメンデルスゾーンの協奏曲をアイロンをかけながら見ていましたが、ドレスは大阪でも見たブルーの人魚姫スタイル(参照:2008年6月8日付「ユーリの部屋」)。でも、とても落ち着いて安心して見られたのです。髪の長い人は、ヘアバンドで留めるなり、途中でハラリと落ちないように固めるなりしっかりと結うなりしてもらわないと、演奏中、弓と弦と髪の毛がいっしょくたになるのでは、と余計な気を逸らされてしまうからです。
一方、プロコフィエフの時には、後ろできっちりと髪をまとめていました。これなら安心して見られますが、ドレスが地味だったので、もう少しどこか華やかにバランスがとれれば、とも感じました。
これも演出なのか、結局のところ、音楽がきちんと仕上がっていれば、その他は細かいことはなし、の世界なのでしょうか。私は、彼女の前髪が演奏中にハラリと乱れて終わる点が、いつも気になって仕方がないのですが。その前までは、ドレスの肩紐が落ちかけるのを直す音が、気になっていました。かわいらしい顔立ちと笑顔で相殺されているとも言えますが。

さて、今回のおもしろかった点は、1999年にパガニーニ国際コンクールで優勝した初々しい姿が冒頭で流れた所と、インタビューとリハーサルの様子でした。
あの、16歳の時の映像は、録画こそできなかったものの、「おはよう日本」で三宅民夫アナウンサーが興奮気味に報道していたことを、今でもはっきりと覚えています。この時、体全体で伸び伸びと楽しそうにヴァイオリンと歌っている演奏姿が印象的でした。また、その後の短いインタビューで、はにかみながらも本当にうれしそうな表情で、「偉大なヴァイオリニストになりたいと思います」と低く落ち着いた声で言っていましたが、その「偉大な」という語彙の使い方が、翻訳調というのか、今時の16歳にしてはすごい表現をするんだなあ、とびっくりしたことなどに強く記憶に残り、今までの単に早熟なヴァイオリン少女とはひと味違う、新鮮な感じがしました。それ以降、インターネットの充実もあいまって、演奏会に何度も出かけ、その成長ぶりや変化を楽しみにしているわけです。
それにしても、懐かしい映像が出てきて、よかったですね。あれ以来、私のクラシック・ライフが劇的に変化しましたから。
リハーサルでは、緊張気味でしたが、楽譜からリズムをとって胸の上で指を動かす表情は、集中力が漲り真剣勝負そのもの。その時の簡単なインタビューもどきでは、正直に話す点、好感を持ちました。
小学生の時に初めてリゲティを聞いて、(いつかは弾いてみたい!)と思い、演奏したい曲目リストに入れていて、やっとその願いが承諾されてうれしかったこと、ただし、楽譜を読むのが大変で挫折しそうになり、夜寝ていても、(あ、間に合わない!)と何度か目が覚めたこと、「死ぬ気でがんばりました」などと、笑いながら率直に語っていました。楽譜は大阪の時と同じく3種類で、総譜と、ヴァイオリンパートと、拡大コピーして一ページずつ厚紙に貼り付けたような自家製楽譜を譜面台に並べていました。
確か、19歳でショスタコーヴィチの協奏曲をN響と初演した時にも、事前のインタビューで「難しいですけど...」「スコアの勉強している時、自分が死ぬ夢を見たんです。息が止まるところまで覚えていて...」などと言っていたことが思い出されます。そういう風に、音楽に対して常に正面から熱心に取り組み、決して「私は何でも弾けるのよ」などと豪語したりしない謙虚さ、それでいて本番ではきちんと完成の高みへと仕上げていく過程が、彼女が演奏家として好かれる理由なのでしょう。
しかし、大阪でのパンフレットには、「リゲティをレパートリーに入れ」云々と書かれてあったので、すごい度胸と思いつつも、だけど現代曲なら舞台で楽譜を見ながらでもいいのかなあ、などと余計なことを考えていたりもしましたが、その時に感じられた意気込みと、今回のテレビでのお話とでは、ずいぶん調子が違っていますよね。そこもまた魅力なのでしょう。飾りっ気がなくて、かえっていいと思います。

画展の紹介も兼ねて、西村朗氏とのインタビューが流れました。ショスタコーヴィチの協奏曲を弾いた19歳の頃は、若村麻由美さんとのインタビューで、話す前に唇がブルブル震え、アラン・ギルバート指揮のブラームスの頃も「インタビューの時、カメラが回っていると、とても緊張するんですけど」などと森田美由紀アナに言っていたりしましたが、さすがにもう26歳、背筋をピンと伸ばして、落ち着いて話していました。
小さい頃から一人でいることが多かったこと、いつでも車で移動する家族だったこと、「おばあちゃん」(お母様のご出身である和歌山の新宮市?)の所へ行くにも、山越え谷越えの大変な旅(田舎道?)だったこと、元気だったけれどもアレルギーがあったことなど、「いいですか、こんな話しても?」と断りつつも、新しいエピソードを語ってくれました。とにかく、クラシックばかり聴く子ども時代だったそうで、ブラームス交響曲を聴けば、薬として車酔いなどもすぐ治ったとのこと、などなど。
「おばあちゃん」といえば、「(和歌山の)祖母の家へは生後7ヶ月の頃から、父の車で行きました」などと何かのインタビューで読んだ記憶があります。白いブラウスにスカート姿で、小型ヴァイオリンと弓を持って直立不動のポーズをとっていたかわいらしい小さな紗矢香さんの写真付きでした。いかにも真剣そのものの表情で、こんなに小さい時から「ヴァイオリニストになりたい」と心に秘めていたらしい感じが伝わってくる写真でした。それに、アレルギーがあったと聞いて、もしかしてお母様とイタリアに住んだのも、お母様の美術の勉強のためばかりではなく、一種の転地療法の意味もあったのかなあ、などと勝手に想像してしまいました。それならば、お父様一人、日本に残していった経緯も理解できます。なかなか、普通の一般家庭ではしたくてもできないことですから...。
また、西村氏いわく、「本当は歌手になりたかったそうですよ」「人のいない所で歌っているんだって言ってました」とのこと。確かに、幼少期に住んだシエナで音楽院から流れてくるカンツォーネをよく聞いていて、幼稚園でも歌をよく歌ったものの、自分は声が低くて歌には向いていないから、ヴァイオリンを選んだという経緯も、どこかで読みました。ピアノを習わされていたけれど、それはおもしろくなかった、とも。ラジオの「深夜便」でも、いつか話していました。「パガニーニは、技巧的だとよく言われますけど、私にとっては、歌。歌ですね」と。

彼女のおもしろいところは、毎回、新しい話が聞けたり読めたりすることです。演奏会もその都度変化があります。その代わり、音楽以外で周囲と集団行動するということは、ちょっと難しいタイプかもしれませんね。小学校から高校初期まで、よく日本の公立校に通えたものだ、とびっくりします。「自由過ぎる」と先生からいつも言われているような、集団からはみ出す子だったと述懐されているように、確かに、ちょっと風変わりな感じもありますから。今回も、テレビ撮影もあるというのに、ほとんど化粧っ気なしで出てきました。
表現主体としてのヴァイオリンと出会えて、本当によかったですね。
最近は、絵も披露するようになって、ますます自分自身の時間が充実していそうな...。演奏会に向けて毎日練習する本業の傍ら、ものすごい勢いで本を読み、美術館にも行き、合間を縫って共演する指揮者の演奏会の下見に行き、楽器の音を出せない夜はキャンパスに向かうという...。どこか、エレーヌ・グリモーにも似ていますよね(参照:2008年5月30日・5月31日・6月29日・7月18日・2009年1月20日付「ユーリの部屋」)。こういう、自分だけの世界を豊かに持って、一人の時間も決して孤独ではないという...。
今の時代でよかったですよ。天満敦子さんの本を読んでいると(参照:2009年6月18日付「ユーリの部屋」)、私も身に覚えのある、あの古い音楽界の師弟関係の窮屈さがありありとうかがえて、天満さんももう少し若ければ、もっといいレッスンを受けられただろうに、なんて思ってしまいましたから。
それにしても将来、紗矢香さんはどんな風になられるのでしょうか。最近、女性版ナイトに相当する称号を授与されたピアニストの内田光子さんのように、知的かつ情熱的で研究熱心な息の長い演奏活動をしていただけるといいのですが。内田光子さんも、化粧っ気のほとんどない、すっきりした衣装で舞台に出て来られて、しかもインタビューが実に高度で密度が濃いです。こういう演奏家がもっと増えてほしいものです。