ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

しばし休憩

いずみホールでの庄司紗矢香さんのリサイタルについては、明日、続きを書かせていただきます。
ホールが発行しているパンフレット(無料)に、なかなか興味深いインタビューが掲載されていましたし、例によって、メモを(お二人が舞台袖に戻った隙を見計らって、皆さんが大きく拍手されている間に)取ってきましたので、ゆっくりと余韻を味わいながら、書いてみたいと思っています。(これぞ大人の楽しみ!学生時代には、いつも抑圧下で、分刻みで追い立てられるような生活で、目を真赤に血走らせながらがんばっていたのに、その挙句が、今のような平凡な日々なのですから、本当に損をしました。もうこれからは、自分の生きたいように生きていくんだ!)

昨日は、入院している義母のお見舞いに行ってきました。2週間もたつと、規則正しくケアしてもらえる環境にあるためか、ずいぶんよくなったと少し安心しました。こちらが何度言っても、遠いからとか何とか言って(本当は、それほど遠くはないのですが)、近場の医師が処方した合わない薬で4,5年過ごしたのがいけませんでした。でも、清潔で落ち着いた病棟で、いろいろ検査してもらいながら、ゆっくりしていると、改善してくるものです。医学と医療の力は、やはりすごい!
1時間ほど、薄型テレビのあるロビーで、3人とも気儘にしゃべりたいことをしゃべっていると、ようやく歩けそうな細木のような感じのおばさんが、よろよろと近づいてきました。胸には手術の跡がいっぱいついていて、痛々しいほど。私をじっと見つめて、何か細い声でおっしゃるのですが、意味がよくわからず、思わず、看護師を呼ぼうかな、と思っていたところ、義母が、「ここに座って一緒に話そうよ」と親切に世話を焼き始めました。しばらくして、「あの人、部屋を間違えるから、ついて行ってあげないと」と、立ち上がって、病室まで義母がそのおばさんを連れて行くのです。
驚きました。お正月の頃には、自分がそういう風だったのに、人の世話を焼くまでに回復したのだ、ということと、(やっぱり、舅姑や子ども達の世話をすることで、長年、生き甲斐を感じてきたんだなあ)と思い知らされたこととに、です。
義母は出された食事は、おやつも含めて、自分できれいに平らげているようですが、そのおばさんは、ご主人が最後まで食べさせているのだそうです。そういうところまで、義母がしっかり観察しているところに、「やっぱり女性だなあ、細かいところを見ているなあ」と、主人も感心していました。と、同時に、「うちも父が生きてたら、母だって、絶対違っていたと思うよ」と。
その病院はセキュリティがしっかりしていて、入口で、お見舞客は名簿のような紙に記入する仕組みになっており、それぞれの科でも、病棟に入る前に、入院患者との関係や名前を書くようなシステムでした。管理体制としてはよくわかりますが、一方で、誰からもお見舞いが来ない患者については、どういう対応をされるのだろうか、とも考えました。
義母は、「どうしてこんな風になってしまったんだろう」「まだ平均寿命からすれば、私も若い方だから、もうひと働きしなければいけないのに」「だけど、あと残りの人生、どうやって生きていけばいいのだろう」と何度もつぶやいていました。子どもが自力でそれぞれに忙しい生活を送るようになると、もぬけの殻のように脱力感が襲ってくる、というのは、誰でも経験することのようですが(私には、そういう経験そのものが、物理的にあり得ないでしょう)、義母の場合、期待していた息子が、予想だにしなかった若年性の進行性難病患者になったという事実が、相当ショックだったようです。
私なんて、子ども時代から、「どうしようもない子だ、バカだ、頭がおかしいんじゃないか」と、事あるごとに、箒や物差しでバシバシ叩かれながら育ったので、そもそも人生に対して、あまり並はずれた期待というものがないんです。とにかく、自分がそのままであっても生存権が許される環境でありさえすれば、その他ははっきり言ってどうでもいい。その点では、非常に打たれ強いと思います。だから、あまり義母とは話が合わなかったのかもしれません、ね。
その代わり、体の不自由な主人を軽蔑するような輩には、体を張ってでも、私が全力で抗議します。人の生存権を脅かすような、気楽に見下すような動きに対しては、対象が誰であろうと、断固許せない。それだけは、共通しているんじゃないでしょうか。
それにしても、アンリ・デュナンの始めた運動が、ここまで大きく開花した病院には、つくづく頭が下がります。また、無償ボランティアが80人もいると、院内新聞に書いてありました。さらに、海外の紛争地域や自然災害地域にも、医師を派遣して治療に当たっているパネル写真が飾ってありました。これは、最近の都市型病院なら、珍しくもないことでしょうが、やはり大切な活動だと思います。ただ、医療に求める水準が高くなっているのに、医療費を下げよという要求もあり、矛盾するものを同時に進めて行かなければならないところに、現在の医療崩壊、過労死する医師の続出などが起こる原因があるのだそうです。

病院の周囲には、高層マンションがきれいに整然と立ち並んでいました。しばらく前から新聞広告で見ていたものですが、(病院の近くにどうして住みたいんだろう?)と不思議でした。ただ、院内を見させていただいて、ここなら裕福な中高齢者の方達にとっては、いざという時も安心なのだろう、と合点がいきました。