ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

我が家流のおせち料理

男性に比して、女性の生き方には、これという尺度がなく多様なため、長いスパンで柔軟に対応できる能力の方が重要だというのが、ささやかな自論です。家にいる時期なら家庭の仕事に専念し、外で働く時期には、置かれた場で吸収できるものは吸収して自分なりの貢献を、という内面の充実度が大切なのだろうと思うからです。
いただいたお年賀状を見ていても、男性軍は、型通りの挨拶以外には、自分の業績一覧を麗々しく並べている人もいて、それはそれで社会における自己の位置づけが第一義なのだろうと拝察いたします。ただ、男女平等が唱和されているからといって、私にまでその基準を要求されても、戸惑ってしまうというのが正直なところです。女性からのお年賀状は、身の周りの近況が多く、その人らしさが出ているものがほとんどです。

物理的時間としては、諸事情により、家にいることが多い私ですが、主婦業の楽しいところは、新聞や雑誌を読んで、家事や料理などの工夫や知恵を仕入れては、自分流にアレンジして、どんどん試していけることです。もっとも、主人がうるさく言わずに、全面的に任せてくれるからでもありますが、文字通りの陋屋であっても、小さな新しい仕事を見つけ、リストを作って次々に片づけていくのが、結構おもしろいのです。外で仕事を持っていた時期には味わえなかった喜びです。外での仕事は、何よりも給与をいただく以上、社会的責任があります。若かったので、下積み時代には何でも引き受けなければ、と張り切っているうちに、家ではぐったり疲れて休息の場と化していました。今は、その逆です。それもまた楽し、です。
さて、今朝の新聞には、暴力や圧政がはびこる現在のイラクで、難民と化したキリスト教徒の家庭が紹介されていました。若い人が外国移民として優遇されるので、家族が離散してしまっているのですが、絆となるのは、お母さん手作りのイラク料理。おいしそうな大皿が写真にありました。アメリカに移住した娘さんも、国際電話で「お母さんの料理が食べたい」と甘えてくるのだそうです。それもそのはず、移住先での暮らしが厳しいからです。
また、同じ新聞の投稿欄には、「おせち料理」と題する文章が集められていました。読んでいるだけで、こちらも楽しくなりそうな、足りない腕を奮って何か作ってみたくなるようなページでした。
実家では、核家族だったこともあり、おせち料理を暮れから作って重箱に詰めるという習慣はありませんでした。むしろ、「人が箸で突っついて冷めたものを毎日食べるなんて、不衛生だ」という母の意見が強過ぎて、重箱すらありませんでした。もともと、普段忙しく働きづめのお嫁さんが、せめて三が日ぐらいは、台所に立たなくても済むように、という配慮から生まれた重箱のおせち料理だそうですから、その道理からすると、合わないといえば合わなかったのでしょう。
その代わり、おせち料理のおかず、といっては何ですが、数の子、田作り、いくら、昆布巻き、レンコン煮、甘栗などの小品が毎度、食卓に並び、お赤飯やお雑煮も取り混ぜて三が日を過ごす、というパターンでした。また、二日目には、「将来に備えてフルコースの料理をいただくマナーを覚えなさい」と、よそゆきに着替えて、ステーキ屋さんに家族一同で行ったりもしました。ただし、小中学校の頃までは、割合に親の言うことに従えるのですが、高校になると、フルコースのマナーより、山のような宿題や試験の準備で忙しくなり、大学に入れば、お正月アルバイトでお小遣いを稼ぎたくもなり、家族で過ごすより友達づきあいの方が大事になってきて、それも崩れてきました。卒論の提出が、確か一月十日だったこともあり、年をとるにつれて、伝統の習慣を守れなくなるのは、半ば必然的でした。私は第一子のため、私が経験することは、家族にとっても初体験でした。末っ子の弟などは、その点、気の毒といえば気の毒だったと、今にして思います。
さてさて、我が家流のおせち料理ですが、基本的には実家のやり方を踏襲しています。暮れには、買い物リストを見ながらお正月食品を買い求め、その都度、調理していただく方針です。先程も、小皿に並べるのも何だしと思い立って、れんこん、ごぼう、大根、人参、じゃがいも、百合の根、こんにゃく、鶏肉、椎茸、かまぼこ、昆布、白菜を切ってお鍋に入れ、黒砂糖と有機醤油と日本酒とみりんとで味付けした即席煮物を作り、お赤飯と一緒に出しました。やっぱり、和食は簡単でおいしい!おやつには、昨日買った京菓子とお抹茶で、一服します。
十数年前、マレーシアに仕事で滞在していた頃、お正月といっても、亜熱帯気候のために、さっぱり気分も出ず、げんなりしていました。お年賀状だけは、ワープロで印刷して日本に送りましたが、それも(マレーシアにいると忘れられてしまうかもしれない)という、何とも身勝手な自己防衛意識からでした。
と思っていたら、同僚が電話をくれました。「おせち料理、作り過ぎたから食べに来て。本当に何も要らないから、空腹の体だけ来てくれたらいい」と、何とも寛大なご招待をいただいたのです。異国で働く若い独身女性というのは、楽しくお仕事をしているように見えて、案外孤独なものです。けれども、私の場合、ありがたいことに、こういう機会にも恵まれ、思い出深く過ごすことができました。
もう一つの思い出は、マレーシアでのおもちつきです。青年海外協力隊の人が、手際よく、日本から小さめの臼ときねを持って来たらしく、これも電話でご招待をいただき、同僚の車で出かけて行きました。順番が回ってきたので、私もつかせてもらいましたが、まさかこの暑いマレーシアでおもちつきをすることになろうとは、想像だにしておりませんでした。実は、この時初めて、きねを持っておもちをついたのでした。実家では、父方の祖父が、自宅でついたお餅を持ってきてくれていたので、それで充分間に合っていましたし、母方の方では、祖父母が庭でついているのを眺めていただけで、触らせてもらえませんでしたから...。

随分前から気になっていた現象は、元旦早々、受験塾で勉強している子ども達の姿です。きょうだい三人、主人も含めて、誰も塾や予備校に通った経験がないため、かえって不気味に思います。自分のことを棚に上げて、上記と矛盾するようですが、やっぱり、お正月はお正月らしく、普段とは違ったリズムで過ごすのが順当ではないかと...。最近の日本の政策に妙なものが増えたのも、恐らくは、そのようにして受験競争を勝ち抜いてきた人々がお役人になって、頭でっかちの議論をしているからではないでしょうか。