ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシアの勉強ノート

昨日は、近所の小高い山へのお散歩以外には、一日中家にこもって、読んだ本から参考になりそうな部分をワードに入力していました。こうしておくと、いざという時のレジュメ作りが楽になるのではないか、と思ってのことです。以前は大学ノートにコツコツと書きためていました。ノートは書き加えが自由なのと、すぐに取り出して見ることができるので、好きでした。字形も変わってくるため、その時の気持ちまで蘇ってきます。少しずつ自分なりの理解が深まっていくのもおもしろいです。このノートは、もう10数冊以上になり、目次を見ていると懐かしくてたまりません。もちろん、マレーシア関連です。
改めて思ったのは、マレーシア社会の怖さです。私など、慣れてしまっているので、(あ、またか)と思う程度でしたが、問題点や事件や判決事例を時系列に並べてみると、同じパターンが繰り返されて何らの進展がないものの、当事者の思考面やメンタル面をそいでいるという点で、中には破壊や殺害の事例もあるという点で、やはり恐ろしいと思います。
「もう、そんな国のことを勉強している人も、その程度なんじゃない?」「私は先進国の研究をしているから、精神的に余裕があるのよね。知的にも上かもしれない」などという意味のことを言われたことがありますが、まったく失礼な話です。(自分で言うのと人から言われるのとでは、次元が違います。)マレーシアで何か起これば、直接間接に日本にも影響するのが現代というものですから、普段からしっかりと情勢を見極めておく必要があると思って続けてきたのに...。
例えば、アフリカ研究や中南米研究をしている人を、(あの人もあのレベルなんだ)と思うでしょうか。私など、マレーシアの方がはるかに恵まれていて、申し訳ないような気がするのですが。
何度か言われているうちに気づいたのが、本当に優秀な人はそういうことを絶対に言わないということです。中途半端に自分はエリートだと自負しているようなタイプが、最もやっかいだと思いました。

もう十数年前のことです。京大を出られて今は阪大の教授をされているベトナム研究の先生が、講義でおっしゃいました。「ここに来る若者(当時は、私も一応その部類だったのでしょう)は、他の学生とは違うと聞いていた。東南アジアのことを勉強していると、周囲からバカにされる。もう、泣きながら勉強したものだ」と。それを聞いた時、(そんな人達なんて、相手にしなければいいのに。どうして、先生は立派なキャリアをお持ちなのに気にされるのかな)と思いました。ところが、しばらく経つうちに、この私まで似たようなことを言われていたことに気づいたのです。