ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ヨナ書と大贖罪日

ユダヤ教では新年を迎えたばかりです。今年で、ユダヤ暦5769年とのこと。さすがは時間感覚が長いわけです。

ところで、大贖罪日(ヨム・キプール)には、会堂(シナゴーグ)で、ヨナ書が朗読されるのだそうです。
ヨナ書といえば4章しかない短い物語ですが、ヨナが大魚に呑みこまれたり、とうごまの木が生えたり枯れたりして、なかなか興味深いお話です。「宗教改革者にとって重要」な書だと、ある聖書概説書で読みましたが、それ以上に、ヨム・キプールでも読まれるのだとは、最近まで知りませんでした。ヨム・キプールそのものは、『アンネの日記』に出てくるので、小学校5年生の頃から知っていたのですが。聖書は、学ぶなら、徹底して事実をしっかりと学ばないといけません。
ヨナ書の終わり方が中途で途切れているように思えて不思議だったので、その旨、マレーシアで出会ったある牧師夫人に尋ねてみました。十数年も前のことです。「もし、神のことばなら、どうしてここで中断しているのですか。もしかしたら、この続きがあったはずなのに、写本が失われたのではありませんか」。すると、お返事は「そういう風に考えるのは、マスターレベル以上の神学の学位を目指す人であって、人間的な考え方です。私達は、神様に従うべきです」。なんだか腑に落ちない、というのか、それでは答えになっていないように思われたのですが、当時は、反抗的だとか、和を乱す人、と思われたくなくて(別に思われたって構わないと今なら考えますが)、そのままにしてしまいました。
別の概説書には、次のように書いてありました。
「保守的立場のように歴史的事実として主張もできず、他方、神話として片付けるわけにもいかない。救済史が語る歴史、神がそこにおいて語りかける説話、伝説として受けとめる」。
はい、最初からそのように教えていただけたなら、下手に頭を悩ますこともなく済んだのかもしれないのに、と悔しさ一辺倒です。
蛇足ですが、ギドン・クレーメルユダヤ系だったと、先日借りてきた三冊の本を通して知りました(参照:2008年9月26日付「ユーリの部屋」)。独特の感性と、内向き外向き両面の複雑な気質と、女性に対して積極的な態度など、なるほど、と思わされます。翻訳がいいこともあり、楽しくすいすい読めてしまいます。
昨日は、『みるとす』第100号が届きました。新鮮な物の見方や別の角度からの情報を知ることができ、おもしろく読ませていただいています。もちろん、拙稿も欠かさず掲載されています。