ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

よしなしごと

すっかり涼しく過ごしやすくなりました。うだるような暑さの中、民博へ通い詰めていた日々が懐かしいほどです。実は、まだ作業が終わっていないのですが、いったん離れて整理をつけて、それから続行しようかと考えています。
シンガポール人の友人から、またもや喜びのメールが来ました。彼女なりに、私の家族が何をしているかなど、こちらが言わない限り聞いてはいけないように心得ていたようなのです。主人や弟のアメリカ留学や研究や仕事の話などを思い切って書いてみたら、「親しく打ち明けてくれてありがとう!」と。マレーシアでは、知り合いから尋ねられれれば、状況に合わせてそれなりに答えていたのに、聞かれない以上は、彼女にはあまり言わない方がいいのかなあなどと、こちらも遠慮があったのですね。いわば一種のミス・コミュニケーションです。
昭南島時代のことがひっかかって、申し訳なさのあまり、どこかで引いてしまうメンタリティが私にあるのと、20年前の学生時代に、彼女から「日本人の学生って、着ているものはお金のかかった立派な服なのに、頭は空っぽ」などと辛辣なコメントを受けていたこともあり、あるがままを思い切って言えないことがありました。今なら言えます!「日本だって、勉強している人はすごく勉強しているよ。ただ、そういう人にまだ会っていないだけじゃない?」と。主人に言わせれば、「まあ、そのコメントは合っているなあ」ですが...。
シンガポールは小さな国なので、政府が市民のことをしっかりと考えて、どんな環境になっても生き残れるよう、さまざまな方策を考えて実践していることを、彼女自身、とても誇りに思っているようでした。現状に応じて政策をすばやく変化させ、成果を出せば、報償として、見聞を広めるべく、政府が学校の先生達に資金を出して、積極的に海外へ送り出すのだそうです。「どんどん出て行って、何でも学んでこい」という方針のようです。
これも、実にうらやましい話です。グローバル化時代には、日本よりもシンガポールの方が、絶対に有利です。43年という若く困難な国造りの道のりを、よくここまでやってきました。日本人の端くれとして、私自身はもちろん、シンガポールの方が気質的には合っているはずなのですけれども、今となっては、これも仕方のないことでしょう。
マレーシアでは、マレー人に機会を与えて伸ばすという口実の下に、せっかくの非マレー人の能力を押さえつけしまっているので、本当に残念です。資源にも土地にも恵まれているために、かえって暢気なことをしてしまうのかどうか、よくわかりませんけれども、もったいない話です。
それに、彼女がそれほど美術や芸術方面に才能があったなんて、20年前には想像もできませんでした。もし、私も日本語教育の方で生き残りを賭けていたとしたら、仮に何らかのポジションを得ることができたかもしれず、対外的には今よりももっと安定していたのかもしれないとしても、一方で、視野が固定化され、日本語能力をパイプにして見てしまい、彼女とはコミュニケーションが滞りがちになり、うまく意思疎通できなかったでしょう。

昨夜は、2007年3月のイスラエル旅行ノートを読み返していました。あの頃は、夢中になって作ったノートで、わからないことも多々ありましたが、今はすっきりと明快に理解できるようになりました。それだけ、時間が頭を整理してくれたということなのか、気分が落ち着いてきたというのか....。イスラエルシンガポールは類似点があると、よく言われます。いずれも、小国であること、現代独立国家としての歴史が浅いこと、人材こそが資源のため非常に教育熱心なこと、周囲をムスリム諸国に囲まれていること、しかし高度に発展した国であること、などです。どうも、日本の論客は、売れる本を出そうとするためなのか、ねたみやっかみなのか、シンガポールについてもイスラエルについても、冷ややかな文章が目立つように思っていました。ただそれは、私自身の無意識の選択でもあったのかもしれませんし、「視野にバランスをとるため」と称して、無責任なイデオロギーに寄りかかったようなものにさえ、目を向け過ぎていたのかもしれません。