ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

シンガポール代表団の帰国

今日のお昼前には、このたびの国際美術教育学会シンガポール代表団は、帰国の途につくことになります。
昨晩は、何とか間に合わせようと思って、8月7日の夜に撮ったディナー写真を数枚、友人やメールアドレスを教わった人達に添付して送信しました。
すると、真夜中に友人からメール返信が。「実は、グループの人達が、出発前にユーリに会えなくて残念だったって。でも買い物を夜9時半までしていたので、一緒に来なくてよかったと思う。とにかく、この短期滞在で出会った日本人とは違って、ユーリはおもしろい人だと言っていたよ」。
大阪より京都の方が自宅は近いですし、大阪の繁華街のような賑やかな所よりも、静かで落ち着いた場所が好きだと私が言ったためもあってか、友人は「私も大阪より京都の方が気に入った。明治風の家並みはとてもきれいだった。また京都に来てみたい」と書き添えてくれました。確かに、京都はそれ風に造られた部分もありますし、対外向け演出もあるでしょう。人々が観光客慣れしていますから、外国人にとっては居心地がいいのでしょう、特に短期滞在ならば。
一昔前は「日本人は海外でも集団行動をとる」と、いい意味でも悪い意味でもモノの本にはよく書かれていましたが、私の接触した範囲内では、華人だって、たいてい集団行動です。一方、私の少し上の世代ぐらいからの事例に漏れず、私は、シンガポールでもマレーシアでも、リサーチ目的の訪問滞在のために、ほとんど常に単独行動です。知り合いから食事に誘われたりすれば、また別ですが。どちらかといえば、自分なりの独自の経験を積みたいために、団体行動を選択しないのです。結婚してからも、旅行と言えば、国内国外問わず、主人と二人だけです。唯一の例外は、イスラエル旅行で、それは治安と聖書的な専門知識の問題があったからです。
あれこれ反省していた私に、「古いアルバムなんてよく持っていったなあ」と主人が呆れ返っていました。「そりゃ、学会って言ったって、ユーリみたいに生真面目なタイプは珍しいよ。特に学校の先生達なんだろう?発表さえ済ませたら、あとは夜なんか気楽に買い物したり、いろいろ社会見学したいのが普通の感覚だよ。ユーリの昔の写真やマレーシアとシンガポールの写真を見て喜ぶ人なんて、その友達だけじゃないか?あ、でもそんな気にすることないよ。一緒にご飯を食べて、楽しく過ごせれば、それで充分だよ」と。
でも、友人の気配りもあってのこととは思いますが、あるがままの気取りのないものを見せたことで、かえって「日本人」に対しても、一種の新鮮さを感じてもらえたようで、本当に安心しました。
第一、あれほどシンガポールには日本人の駐在員やその家族、日本人の大学関係者も住んでいるのに、不思議なことに、交流そのものがないのだそうです。本当に信じられないのですが。マレーシアなら、人にもよりますけれど、日本人の方から地元に溶け込もうと努力する人々もかなり増えてきたように感じています。クアラルンプールの日本人学校も、時折、交流会を持つようにしているようです。
...と書いていたら、たった今、飛行機の中から友人より電話がありました。便利になったものですね。携帯ですから、聞こえにくい面もあるのですけれど。「疲れたけれども、京都は本当によかった」と喜んでくれました。次にシンガポールに来られるのはいつかわからないけれど、絶対に連絡してね、と。
東南アジアの人々は、とても温かくおおらかで、一見、何でもベラベラ喋るように見えますが、当然のことながら、相手によって、踏み越えてはならない部分については無関心を装ったり、特に干渉したりはしないような心配りがあります。この点、かつての、そして一部の日本人の方が、経験の浅さのためか、平気で土足で上がり込むような無礼さがあったのかもしれません、政治的にも経済的にも軍事的にも。
私も本当にたくさんの失敗や赤恥や反省を繰り返しながら、ここまで来ました。これからもあるでしょう。でも、今回、美術担当の学校の先生達がシンガポールから来てくださったことにより、私も国際美術教育学会について少しは学ぶことができましたし、国際学会と名のつくものの運営方法について、海外から参加した方達の目を通して、参考になったこともあります。私は部外者ですから、自由に私的レベルで交流できたのですが、それがかえって、友人達にとっては一種のリフレッシュになったようです。何はともあれ、よかったよかった。
昨年の今頃は、主人のいとこが30代の若さで病気のために亡くなって、本当に大変でした。それを思うと、私達はとても幸せな人生を与えられています。二十年前からの海外の友人とこうして日本で再会でき、しかも、双方の両親や家族も健在なのですから。