ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

雅楽を堪能しました

今日は夕方から、第50回記念大阪国際フェスティバル2008で宮内庁式部職楽部を鑑賞する予定です。雨降りの中、ちょっと億劫でもありますが、こんな機会でもなければ、正式の雅楽に触れる機会もないと思いますし、昨年10月27日に電話で予約してあったチケットなので、楽しみにしています。そして明日は、兵庫県立芸術文化センターで、五嶋みどりさんのフィラデルフィア管弦楽団との共演で、ブリテンのヴァイオリン協奏曲を、それにショクタコーヴィチ交響曲第五番を聴く予定です。
その他にもあと二つ、クラシック演奏会が連続してあるのですが、たまたまフェスティバルホールが音楽祭を行うからであって、決して勉強から逃避するためではありません。
つくづく思うのは、できる限り、よい演奏会や美術作品や文学作品や古典に触れる機会を多く作る努力をすべきだということです。常識というのかセンスというのか、何が本当で何が偽りなのかを判断する基準は、普段のこのような心がけから生まれるものだと思うからです。
アルバート博士司祭から、またご連絡をいただきました。電子版論文を送ってくださったのです。実は、昨年3月初旬に、マレーシア神学院の図書館スタッフであるサクティさんが添付で送ってくれていたものなのですが、こういう交流ができるのは、やはり英語で書いてあってこそ、です。共通語として英語を用いることで、書かれた内容や主張に、どれほどの経験と事実の裏付けがあるかが、広く試されるからです。
昨日の夕刊にも、花園大学教授が一神教について何か変なコラムを書いていらしたのですが、それは内向けの論理に過ぎず、正確な事実を反映してもいないのが、非常に残念です。よく、キリスト教関係者の間で時々話題になるのは、「なぜ、あれほど知性もあり社会的地位も高いはずの人が、無責任にも、あんなめちゃくちゃを平気で新聞に書いたりテレビや講演で喋ったりしているんだろう」ということです。私にとっても、それは実に不思議です。公の立場を持てば持つほど、発言に責任が伴うのに、知らないことを知らない、と言わずに、自分の水準に引き下ろして語るんですから。ちょっとその筋の専門家に尋ねたり、少しでも専門書を調べれば、そうではないことがわかるのに、と思います。
ところで、イランではキリスト教に改宗した元ムスリムが逮捕されたそうです("Lily's Room"(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080524)。どういうキリスト教のグループなのかわかりませんが、イスラームに幻滅してキリスト教に移行したからといって、逮捕して人権を蹂躙するなんて、やっていることが逆じゃないでしょうか。

(追記)というわけで、たった今、雅楽の演奏会から帰ってきたばかりです。主人にとっては、中学以来のフェスティバルホールだそうです。もうすぐ取り壊されてしまうということもあってか、あるいは、雅楽に対する民族愛のようなものが人々にあるためか、去年のゲルギエフとマリインスキーのロシア物の時には、6割しか入っていなかった客席が、今日はほぼ満席でした(参照:2007年11月20日・11月21日付「ユーリの部屋」)。
中高年が中心かと思っていたら、さすがに小さい子は来ていなかったものの、20代ぐらいの若い人々も、予想以上に入っていました。パンフレットを千円で購入。広告が多い割には少し高いかな、と思ったのですが、帰りの電車の中で復習がてら読んでみると、なるほどと思わされる文章が多く、納得がいきました。演奏会の思い出と理解を深めるために、買ってよかったと思います。
雅楽は、物心ついた頃から、さまざまな経由で自然に耳になじんでいるので(という人がほとんどだと思いますが)、初めて聴くという感じがしません。独特のゆったりとたゆたうような旋律にのせた笙と笛と太鼓の音が、雅びな古の趣を醸し出しています。第一部は「太食調音取」「催馬楽更衣」「合歓塩」「輪皷褌脱」の4曲で、舞台に四角の枠を立てた中で茶色の装束の16人の男性が演奏されました。今日は特に、湿気が高く、帰りには雨がかなり降っていたので、楽器の調整は大変だったことでしょう。少しでも間があると、筒を回すようにして乾燥させていらっしゃったように見えました。6時から始まり、6時40分で第一部が終了。第二部までに休憩が20分もありました。
旋律は単調で繰り返しが多いように聞こえますが、間がわからないのか、曲そのものを知らないのか、変なところで拍手が起こり、ちょっとうんざりしました。また、お着物姿の方も見かけましたが、案外にラフな格好の人も多かったせいか、自宅でテレビの芸術劇場を見ている感覚なのか、ためらうことなく咳をする人があちらこちらにいて、それも残念でした。また、途中で喋り出す人までいたのには、思わず睨みつけてしまいました。(こういうマナーにはうるさいのです。)ただ、興がのってくると、人々も引き寄せられて集中するために、咳は少なくなりました。
第二部は、舞楽で、約一時間かけて「輪台・青海波」「納曽利」が舞われました。最初は左方の中国系の舞が4人から始まり、続いて別の2人と交替して青海波を披露されました。青海波は源氏物語を彷彿とさせるようです。装束の生地も、自然の草木や花の色から染色したような絹地のすばらしくあでやかなものでしたし、朱色、草色、金色などが見事に混じりあって典雅そのものでした。舞台装置がとにかく立派で豪華で、一度見たら忘れられません。舞はさすがに、誰もが息を詰めて見入っていました。一見、単調なのに、まったく飽きさせないところが魅力です。一つ一つの手足の動きや顔の向け方など、深い意味が込められているのでしょうが、できればそれについても知りたくなってきました。4人がぴったりと動作が合っていたところはお見事でした。
これが35分で終了した後は、右側の朝鮮系の舞に入り、お面を被った2人が舞台に立たれました。どちらかといえば、中国系の舞の方がきらびやかで華やかでしたが、渋めでやや簡素な感じの朝鮮系では、平行に動くのではなく、対として向かい合う動きが興味深く思われました。7時55分に終了。クラシック音楽と違い、もちろんブラボーもアンコールもなく、極めて淡々としていたところに、古代大和民族の王朝文化をしのばせるものがあり、基底文化の原型を思わせました。雅楽のよさを改めて見直した思いです。やはり、行ってよかったですね。
帰りは、結婚前、式の準備のために大阪に立ち寄った私に、主人がお弁当を買ってくれたお店で、夕食としました。
電車の中では、あしながおじさまが2006年10月27日に送ってくださった井上年弘(著)『オランダ歴史物語森の宮通信社2001年)(ユーリ注:原文ではどういうわけか、「20001年」となっています)を読みながら帰ってきました。「おもしろいですよ」と勧められたものの、なかなか時間がとれず今になってしまったわけですが、確かに、つい引き込まれてページを次々に繰っていけるようなおもしろさがあります。おもしろいとは、筋がすいすい追えて、事情がある程度呑み込め、想像力をかき立てられるという意味なのですね。