ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

いずみホールでのリサイタル(1)

昨晩、庄司紗矢香さんとイタマル・ゴラン氏のリサイタルが、大阪のいずみホールで開かれました。
客席800席の豪華シャンデリア付ホールがほぼ満席(99%)。年齢層は白髪シニアから小学生までと広く、しかも平日とあって、仕事帰りのサラリーマン風の背広やジャケット姿の人も多く、落ち着いた雰囲気。休憩時間には、半数の人が席を立って外へ出て行き、残りの人達は、ほぼ一様に、プログラムの解説をじっと読みふけっているような客層でした。かくいう私も、一人参加のため、解説を読んで、前半の余韻に浸っておりました。
先日の西宮では(2009年1月13日・1月14日付「ユーリの部屋」)、開演前に、神尾真由子さんがどうのこうの、うちの子もコンクールで入賞したの、とか何とか、何やら自慢げに大きな声でおしゃべりしていたオバサン達がいて、ちょっと興ざめでしたが(しゃべるのがいけないのではなく、声を落として話してほしい!バスの中じゃないんですから)、今回はさすがに、そういう人々はいなかったように思います。
小学生は女の子ばかり見かけましたが、多分、3年生から5年生ぐらいではないかと思われます。私の子ども時代や、今の中国や韓国の状況、つまり、いかにも教育ママが自分の出来なかった夢を押し付けているかのような親子連れではなく、あたかも「将来の庄司紗矢香」を目指しているかのような、しっかりした自覚を持った感じの女の子達でした。ヴァイオリンを担いだ人も数名いましたが、昨日はサイン会がなかったので、レッスンの帰りなのかもしれません。(サイン会がないのも、すっきりしていて後味がいい!サイン会があると聞けば、せっかくなので私も列に並びますが、ないと決まっていれば、演奏に集中できます、お互いに。フェスティバル・ホールもサイン会のような「通俗的」なサービスはしないようです。格式が違うから?)
ちなみに、今回は、CD販売もなかったようですし(私は3枚持っているので、買う予定は始めからなかった)、プログラムを500円で別途販売ということもありませんでした(プログラムは、見本を見てから、内容如何で買う買わないを決めています)。いずみホールそのものは、バッハの合唱曲で前にも来たことがありますが(2007年8月5日・8月6日付「ユーリの部屋」)、その時には、曲を理解したいと思って、CDを購入しました。
前置きが長くなってしまいましたが、今回の日本ツアー最終日のプログラムは....

(午後7時5分開演で終了は9時10分)

シューベルト「ヴァイオリン・ソナティナ」 第3番ト短調 Op.137-3, D.408.
ブロッホ「ヴァイオリン・ソナタ」第1番
メシアン「主題と変奏」
ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ」第2番イ長調 Op.100.

アンコールは、①シューベルト「ヴァイオリン・ソナティナ」第1番 D.384よりアンダンテ ②クライスラー「ウィーン奇想曲」クライスラー「ウィーン風小行進曲」 ④エルガー「愛の挨拶」の4曲でした。
結論をはじめに一言で書くなら、「すっきりと満足できる演奏会でした」「後味のよい演奏でした」ということになるかと思います。もう、庄司さんもこれで4回目。毎回の成長ぶりが、とてもおもしろいです。イタマル・ゴラン氏は、テレビでおなじみ。でも、ご本人を直接拝見したのは、今回が初めてです。ガザ問題のためか、ツアー疲れなのか、深々とお辞儀もせず、ふてぶてしく、客席をじろじろ眺めまわしているかのような態度でした。白髪が増えたかな....。ちょっとピアノが粘着気質のように聞こえたのですが、この二人の組み合わせについては、既にCDとテレビ放送で見慣れていることもあり、特にコメントはありません。

シューベルトについては、しばらく前の『音楽の友』のインタビューで、「今夢中になっているのはシューベルト」という話が出てきたので(2008年10月号 p.22-23)、楽しみにしていました。
シューベルトと聞いて思い出すのは、学校で教えていても、授業中にメロディが思い浮かぶと、着ていた白ワイシャツのカフスに、さらさらと五線譜を書いてしまう姿ですが(子どもの頃、テレビの白黒映画で見た)、ピアノで言えば、いかにも夭折が暗示されているかのような透明感と、力強さの陰に潜むはかなげな印象があります。シューベルトは、私の中では、歌曲とピアノ曲交響曲が通例でしたが、今回、ヴァイオリン曲を紹介していただいたおかげで、アンコールも含めて2曲、もっと聴きたいと思うようになりました。こういう演奏会こそが、いいのです!
しかし圧巻はやはり、ブロッホでしょう。このスイス生まれ米国市民のユダヤ系作曲家(1880-1959)のソナタは、イタマル・ゴラン氏の粘りのあるピアノの音色と庄司紗矢香さんの内側から湧き出る芸術気質の情熱とがうまく調和して、実に激しいパッションが会場いっぱいに飛び散っていました。超越技巧とか何とか言っている暇もないぐらい、呼吸をするのも忘れて、舞台の二人が奏でる音の世界に引き込まれてしまった、というのが偽らざる実感です。第2楽章は、一転して穏やかな調子になったものの、それを挟む第1楽章と最終楽章は、何と言うのか、音の連続ガス爆発という形容がぴったりでした。
ここで一休みして、後で続きを書きます。