ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今日 勉強したこと

今日は、ムスリム・クリスチャン関係に関して、前から評判を聞いていたお二人の英語著作を購入することにしました。主に中東キリスト教イスラームの関係、および西洋とイスラームの関係が中心の歴史的概観です。届くのはどうも6月になりそうですが、とにかく、読めるうちに読んでおかなければ、と思ったわけです。
また、アメリカ・カトリック大学の司祭兼教授の論文も読みました。Fr. Sidney GriffithProf. of Semitic and Egyptian languages and literature)の"Christianity and Islam in Historical Perspective: A Christian view"という14ページの概説書のような文献で、発行年は不明です。非常に穏健で、カトリックらしい従順さとムスリムを最大限尊重する希望的観測の立場をとっています。対話においては、オープンで正直に特定の問題について語り合おう、というのが現在のやり方だそうです。また、相互理解のための対話を続けると同時に、ムスリムイスラーム宣教を、カトリックないしはクリスチャンは、イエス・キリストの真理を伝えることをやめてはならない、という趣旨のようでした。
私がいつも感じることとして、過去の対立や相違を強調するやり方ではうまくいかないので、徐々にこのような方向に変わっていったということなのでしょうが、この立場をとる論者の盲点は、共通項を接点として話し合うことに重きを置き過ぎるあまり、現実に起こっている差別や抑圧の問題に対しては、ほとんど語っていないということです。むしろ、問題を意識するからこそ、視点を変えて協調関係をということなのだろうと思いますが、対話の席では共通項を話し合っても、席を離れたら、それぞれの「真理」を宣教しているとしたら、何だか光景を想像するだけでも、おもしろいですよね。まあ、現時点ではそれしか方法がないのと、接点としてのパイプだけはつないでおかなければならない、ということなのでしょうが。
ただ、この司祭教授の説明では、よほどひどい反イスラーム的著作一冊を除き、楽観的な概論だけで終わっていることがやや気になります。Kenneth Cragg氏の著作でも、ムスリム支配下におけるアラブ系クリスチャンの曖昧で抑圧的な立場を具体的にはっきりと書いているのですが、どういうわけか、ムスリムに好意的であるかのように紹介されているのです。Cragg氏の場合は、ある中東ムスリムグループからはオリエンタリストだと酷評されていると別のジャーナルで読んだことがありますが(Heather J. SharkeyArabic Antimissionary Treatises: Muslim Responses to Christian Evangelism in the Modern Middle East'International Bulletin of Missionary Research" July 2004, Vol.28, No.3, P.104)、このギャップをどう解したらよいのかよくわかりません。そもそも、「ムスリムが気がつくまで、私は待つ」とCragg氏が語っていたインタビューを読んだこともあるのですが。この辺のところは、問題の先延ばしになるのか、それとも何らかの変化を待つということなのか、なかなか難しいと思います。
どなたかこの分野の権威がいらして、とくと説明してくださればありがたいのですが。