ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アラブのムスリムとクリスチャン

6月に関西で開かれる学会に発表を申し込んだところ、受理していただきました。今回は、ご近所の大学(阪大)で開催されるので、聞きに行くだけではもったいないから自分も発表してみようと思ったのです。
毎日、家事や散歩以外、起きている間はずっと勉強の生活です。資料もずいぶんたまりました。あとはどうまとめるかが肝心です。うまくいくといいのですが。
今年は、3月、6月、そして9月と三カ月おきに学会が開かれた/るため、計画的に過ごせそうです。
昨朝は、扇の研究を在野で続けていた90代の女性が亡くなったという新聞記事を主人が見つけて、私を励ましてくれました。「ほら、この人だって、50歳から研究を始めたんだよ。しかも、東京にいたら学問なんかできないって、奈良に引っ越してきたじゃないか。最初は学会でもぼろくそ言われていたのかもしれないよ。でも、だから独創性のある知見ができたんじゃないか。ユーリもがんばれ」。
はいはい、わかりました。でも、残念ながら私の場合は、扇の解釈ほど独創性があるわけじゃありません。単純に、日本では言われていなかったことを外国の追っかけ程度に発表しているだけで、つくづくその後進性に嫌気がさしているところもあるのですが。

さて、昨日に続き、メムリMEMRI)(http://memri.jp)からの記事を2件、転載いたします。今日は「ムスリム・クリスチャン関係」に関する見解です。日本のイスラーム研究者が伝える以上に、アラブにもいろいろな考え方があることがうかがえるかと思います。なお今回は、ポイントとなる箇所、あるいは印象に残る文にあずき色をつけました。

1.Special Dispatch Series No 1123Mar/28/2006

ムスリム国家に教会を建ててはならない―サウジの正式ファトワクウェート議員も同意見―
2000年7月3日、サウジ宗教省の一機関である宗教法務裁定常設委員会(The Permanent Council for Scholarly Research and Religious Legal Judgment)が、ファトワを発表し、ムスリム諸国における非ムスリム礼拝所の建設を禁じた。www.kalemat.org がこのファトワをサイトに掲載したが、アラビア半島に非ムスリムが足場を築くことはもとより、サウジの市民権取得、不動産購入が禁じられているhttp://www.kalemat.org/sections.php?so=va&aid=399)。
更に、クウェート紙Al-Siyassaによると、クウェートの国会議員アル・タバタバイ(Walid Al-Tabatabai)は昨年12月にだした声明のなかで、ムスリム諸国で非ムスリムが礼拝所をたてることに反対する、と述べた(2005年12月14日付 Al-Siyassaクウェート))。
次に紹介するのは、この二つの内容である。
イスラム以外の宗教はすべて邪教
サウジの宗教法務裁定常設委員会がだしたファトワは、次のように規定している。
「主席ムフティのところへ、何人かの人から問合せがあった…アラビア半島キリスト教ユダヤ教など邪教のために礼拝所を建設する問題、団体や企業のオーナーが、邪教の建設労働者に邪教礼拝用の常設地を提供してもよいかという問題などである。
委員会は、この質問を検討した後、次のように回答した。
イスラム以外のすべての宗教は邪教であり、誤りであるイスラム以外の礼拝用に意図された場所は、邪教と誤まりの場所である。イスラムアッラーがさだめられた以外のやり方でアッラーを礼拝するのは、禁じられているからである。
イスラムの法(シャリーア)は、究極の宗教法である。それはすべての人間と霊的存在(Jinns)に適用され、その前に存在したすべてのものを無効とし、廃止する。これは話合いで決めるものではなく、絶対不動の掟である。
ユダヤ人やキリスト教徒の言うことにも一理あると主張する者は、それが誰であろうと、コーランとスンナそしてムスリム共同体の共通認識を否定しているのであるアッラーは次のように申されている。
〝汝(ムハンマド)を遣わしたのはほかでもない。すべての者に対して或いは喜びのたよりを伝え、或いは警告を与えさせるためであった〟(コーラン34章28)、〝これ皆の衆よ、この私はお前たちすべての者のために、アッラーから遣わされた者である〟(7章158)、〝アッラーの宗教はイスラムである〟(3章19)、〝イスラム以外のものを宗教にしたいと思う者は、全然受け納れてはいただけない〟(3章85)、〝信仰に背いた啓典の民ユダヤ人とキリスト教徒)と多神教徒は、ジャハンナムの火(地獄の業火)に落ちて、そこに未来永劫に生きる。彼等こそ最悪の創造物である〟(98章6)。
宗教は不信仰を禁じなければならない。これによって、イスラムシャリーア以外のやり方による礼拝を禁じる必要が生じる。それには、ユダヤ教キリスト教その他の廃止された宗教法に従った礼拝所の建設禁止、も含まれている。それが教会であろうが何であろうが、この種の礼拝所は、邪教の礼拝所と考えられる。そこでおこなう礼拝は、イスラムシャリーアを破ることであるからだ。シャリーアは、その前に存在したあらゆる宗教法を全部廃止しているアッラーは不信心の徒と彼等の行為について、〝彼等がやったすべての行為に手をくだし、粉々にして吹き飛ばす〟(コーラン25章23)と仰有せられている。
こうして、イスラム法学者達(ウラマー)は、ムスリム国家でキリスト教の教会のような邪教の礼拝所を建てたりムスリム国家で礼拝の方向が二種類同時に存在し、教会その他邪教のシンボルがあってはならない、と認めている。宗教法学者達は、イスラム(出現)後に建てられた教会など邪教の礼拝所を破壊するのは義務であり、破壊問題で支配者に反対するのは、禁じられている。従わなければならない。この点で宗教法学者の見解は一致している。
アラビア半島で教会のような邪教の礼拝所を建てることは、最も重い罪であり、最悪の犯罪である。これも宗教法学者の見解が一致するところである。アラビア半島で二つの宗教が存在すること(即ちイスラム以外にほかの宗教が存在すること)を禁じるという明快且つ断固とした預言者の言葉(ハディース)があるからである。イマムのマリークによる預言者の言葉の伝承、サヒーハイン(ムスリムとブハーリが厳選した、スンニムスリムにとって最も重要な二つの伝承集)に明示されている通り、アラビア半島に二つの宗教が併存してはならない。
アラビア半島は、イスラムの聖域であり、その土台である。十字架礼拝者の教会建設はいうまでもなく、不信仰の者がここへ侵透(ママ)したり、市民権を取得或いは不動産を購入することは許されず、固く禁じられている。アラビア半島には二つの宗教の併存する場所はなく、ひとつだけ、即ちイスラムの宗教だけである。預言者ムハンマドを通してアッラーによって送られた教えだけである。この地には礼拝する方向が二つあってはならず、ムスリムの方向たるメッカのカーバの方だけである。支配者をして純粋にイスラムの地から邪教礼拝所を駆逐せしめられたアッラーの御名をたたえよ。
教会などのイスラムの敵が、多くのムスリム諸国へもってきた邪教礼拝所について、(我々は)アッラーに訴え、彼等の狡猾と欺瞞からイスラムを守り給え、とお願いしている。
我々が、ムスリム国家で教会のような邪教礼拝所設置を認め或いは許すならば、(礼拝所用の)固定した場所を割当てるならば、それは不信仰者に対する手助けとなり、(コーランに公然と反した)彼等の祈りのまきちらしなど、最悪の状態が現出する。〝汝ら良きおこないのために互いに助けあい、アッラーを懼れかしこみまつれ。アッラーは厳しく罰せられるからである〟(コーラン5章2)とあるではないか。
イブン・タイミーヤ(Sheikh Al-Islam Ibn Taymiyya)は、「教会はアッラーの家で、アッラー礼拝の場所として使われるとか、ユダヤ人とキリスト教徒のおこないはアッラー崇拝であり預言者に忠実であるとか、(邪教徒)の開設を認めたり開設に手を貸してもよいとか、これが(アッラーへ)近づく道とか恭順などと考える者は、すべて不信仰者である」と言った。
イブン・タイミーヤは「ズインミー(ムスリム支配下にある一神教の非ムスリム)が彼等の教会を訪れることはアッラーへ近づく道と考える者は、すべて背教者である。これが禁じられていることを知らぬ者には、教えてやらねばならぬ。それでも考をあらためぬならば、その人間は背教者である」とも言った。
我々は正しい道から逸脱しないように、アッラーに加護されている…〝こうした御導きが明示された後になって、後を見せて逃げ出す者は、皆シャイタン(悪魔)にたぶらかされて、暫くの間だけ、いい気分になっているだけのことである〟(コーラン47章25)。〝アッラーの啓示を心よく思わぬ連中に、「ことの次第によっては、おぬし共に従ってもよい」と言ったのが(そもそもの間違いで)、いくら隠そうとしても、アッラーはすっかり御存知〟(47章26)である。〝天使に召し寄せられ、顔といわず背中といわずめった打ちにされたら、どうするつもり〟であろうか(47章27)。〝アッラーが御怒りになるようなことばかりして、アッラーの御機嫌をそこねることをするから、アッラーはせっかくの仕事もすっかり反故にされた〟(47章28)のである(2005年12月14日付 Al-Siyassaクウェート))。
ムスリム国家では、非ムスリムの礼拝所設置は厳禁クウェート国会議員の見解
クウェート議会の人権委員会委員アル・タバタバイ(Walid Al-Tabatabai)は、次のように言明した。
クウェートに非ムスリムの礼拝所を設置するのは、イスラム法に違反する。これは(イスラム法学者の)共通認識であり、宗教省のファトワに言明されている通りである…これは、非ムスリムの礼拝を禁じるという意味ではない。礼拝は許されて然るべきであるが、当地の法と規範に従ったものでなければならない。
今日クウェートには教会が20ある。つまりクウェートキリスト教徒5人にひとつということだ。ここには100人ほどしかいないのである。外人労働者のなかにキリスト教徒がいるが一時滞在者であるから、いずれは国へ戻る
人権委員会は本件を話合ったことはない。従って、決議されたわけではなく、批准されたわけでもない。誰かが認めた、賛成したとしても、それは個人的意見である。
信仰の自由、礼拝の権利は世界中誰にでも認められている。しかし、礼拝所の設置問題は、シャリーアにもとづかなければならない。 

2.Special Dispatch Series No 1460 Mar/5/2007
教皇が教えた、ムスリムに対する寛容の実地の教訓
イラクの改革派コラムニスト、アブド・アル・ハリク・フセイン(’Abd Al-Khaliq Hussein)は2006年12月20日リベラル派ウエブサイト、エラフ(Elaph)に掲載した記事「教皇ベネディクト(Benedict)16世から得た、ムスリムに対する寛容の実地の教訓」で、イスラムの拡大に果たした暴力の役割に教皇が言及したことに、ムスリムが脅迫と暴力で応じたと嘲笑したフセインはまたこの記事で、アラブとムスリム世界の宗教少数派に対する人権侵害と差別を述べ、欧州と教皇自身こそ真の宗教的寛容の模範だと述べた。以下は、この記事の抜粋である。※1
イスラム諸国は・・・歴史上、最大の書籍の火葬場であり、最大の自由思想家の屠殺場である
「政治的イスラム主義者はイスラムが寛容の宗教と言いながら、大騒動を引き起こす。と同時に、わずかでも彼らを批判する者には、たとえ、それが単なる質問でも、宗教思想に関する疑問でも、記事の執筆でも、本の出版でも、斬首の脅しを掛ける。果ては、質問者や(記事の)著者の殺害を合法とするファトワイスラム法判断)が発出される
「こうした理由から、歴史上イスラム諸国は最大の書籍の火葬場であり、最大の自由思想家の屠殺場と見なされる。そして、われわれが知っているように、アラブとイスラム諸国の自由思想家の大半は国外亡命者か、あるいは身の安全のため沈黙を選択してきた人々だ。
「数ヶ月前、教皇ベネディクト16世はドイツの大学で学者たちを前に講義した。14世紀の(東ローマ)皇帝の発言――剣に依存したイスラムの拡大に関する発言を引用し、宗教の拡大においては力ではなく心と説得を用いることが良いと語った。(教皇のこの発言に)政治的イスラム主義者とイスラムの宗教指導者たちが怒った。彼らは、ひざまずいて謝罪するよう教皇に要求した! 彼らはいつものように街路の暴動を煽動した。イスラム諸国では、キリスト教徒を狙った襲撃が発生し・・・教会が焼かれた
「どうして、斬首の脅迫が寛容の精神と共存できるのだろうか」
「こうした抗議の格好の例のひとつにロンドンのデモがある。教皇に抗議し、イスラムの寛容(の主張)を擁護するデモだった。奇妙なことに、イスラムの寛容を疑う者は誰であれ斬首するとの脅迫がこのデモで聞かれたことだ・・・どうして、斬首の脅迫が寛容の精神と共存できるのだろうか。
「加えて(このデモでは)欧州に対する脅迫が書かれたプラカードも掲げられた。『欧州よ、お前は罰を受ける。お前の9・11が近づいている!!』。(実は)このデモの参加者はイスラム政府の抑圧を受けて祖国を逃亡した人々であり、欧州の『異端の』国々に安全な避難所、名誉、パン、自由を見出した人々だ。それなのに、新たな9・11の脅しを欧州に掛ける。他方(彼らが言う)『異端者の』欧州人はこうした脅迫のすべてに真の寛容で耐える。イスラム主義者のような(口先だけの寛容の)主張はしない。(イスラム教徒に)尋ねたい。『キリスト教徒が自分たちの権利を要求してデモが行える国が、イスラム国にはあるか』と。
「なぜムスリム同胞団剣と暴力がイスラムの拡大に果たした役割を否定するのか、私にはわからない」
「なぜ、これらの人々、とりわけムスリム同胞団が、イスラムの拡大に果たした剣と暴力の役割を否定するのか、私にはわからない。アラブ・イスラム史は戦争と襲撃に満ちている・・・イラン・イスラム共和国の最高指導者アリ・ハメネイ(Ali Khamenei)は常に金曜説教の際、剣に代えてライフルを携帯する。同様に、エジプトのムスリム同胞団のロゴには、下記の絵ではっきり見て取れるように、コーランと、交差した剣の絵が描かれている。剣の柄の下には「用意せよ」とのスローガンが見える。これはコーラン第八章六十節『さ、汝ら、彼らに対して、できるだけの軍勢と繋ぎ馬を用意せよ。それでアッラーの敵と汝らの敵を嚇してやるがよい・・・』の始まりの言葉だ。テロリストは、他宗教に属しているという理由だけで罪のない人々を殺害する際、頼りにするのがこの聖句だ。
「これらの人々(つまりムスリム同胞団)がコーランと剣を関連付け、また剣をロゴにしたことで、彼らが知ろうと知るまいと、イスラムに害を与えたと私は思う。商業広告は所定の製品を売るために心理学に頼ることはよく知られている。人間の心に誘いかけるものを使って商品を連想させるやり方だ。この場合、性(本能)のような基本的本能を刺激するものが使われる。たとえば、美しい半裸の女性の絵を使うといったやり方だ。他方、もし競争相手にネガティブ・キャンペーンを仕掛けようと思うなら、相手に悪いイメージを与えようとする。そして、見た人が逃げ出すような、人をむかつかせ、怖がらせるものと関連付けて、その悪いイメージを広げる・・・これは心理学で『関連付けによる広告』と呼ばれるものだ・・・
「われわれは剣が人を怖がらせることを知っている。それが殺害の手段であり、暴力の闘いで斬首に使われるからだ。剣がコーランと関連付けられ、『用意せよ』のスローガンに(内在する)脅迫と関連付けられる時、(期待されていることとは)逆の結果が生み出される。われわれはコーランを見ると剣、暴力、斬首を想起して怯えるようになる。私は、このことでムスリムは自分たちの宗教に二度害を与えていると思う。一度目は、彼ら(ムスリム同胞団)がそのロゴで剣をコーランに関連付ける時。二度目は、彼らが(いつもの主張と)矛盾して、剣がイスラムの拡大に果たす役割を否定する時であり、寛容の精神を示す代わりに世界に暴力で立ち向かう時だ。
なぜ、キリスト教徒とユダヤ人、そしてイスラム以外のすべての宗教の信徒は、彼らの宗教指導者が非難され(その信仰に)疑問を提起されても、騒動や暴力を引き起こさないのか・・・
イスラムと他の宗教における寛容の役割に話を戻そう。こんな疑問が起こる。なぜ、キリスト教徒とユダヤ人、そしてイスラム以外のすべての宗教の信徒は、自分たちの宗教指導者が非難され、その信仰の概念について疑問が提起されても、騒動や暴力を起こさず、また罰せずにいられるのか。自分たちの宗教問題に批判や疑問が向けられると大騒動を起こすのはムスリムだけだ。そうでいながら、ムスリムは、イスラムイスラム諸国で宗教と信仰の自由が保障されていると主張する
「この問題に関して最近読んだ記事にアハメド・アル・バグダーディ(Ahmed Al-Baghdadi)博士がアアファク・ウエブサイト(www.aafaq.org)に発表した『無知を通じて宗教を守る』がある※2・・・著者がここで取り上げたのは『クウェート教育省の、高校生の人権カリキュラムから世界人権宣言の18条をはずす意向だった。同条が、すべての人間には改宗の自由を含めた思想の自由があると規定しているからだ。カリキュラム専門評議会会長で法学教授・・・ラシード・アル・アンズィ(Rashid Al-Anzi)は、人権(宣言)の18条がもはや(高校で)教えない理由は、イスラム法シャリーア)に反しているためだとしてこう語った。われわれ(のクウェー社会)は保守的なイスラム社会であり、われわれはイスラム法に沿った宗教的なイスラム信仰を教えなければならない。したがって、この条項は、学生たちはこうなって欲しいというわれわれの思いに調和しない』・・・それでも、イスラム主義者は寛容なのだ。ああ、寛容と自由への彼らの貢献に疑いを抱く者は災いなるかな!
イスラム主義者は(イラクから)キリスト教徒とマンダ教徒を一掃しようとしている・・・こうした忌まわしい行為に(アッラーが)天国と処女で報いることは疑いない」
「エジプトの友人が(エジプトの)国会議員イスマット・アル・サーダート(’Ismat Al-Sadat)がエジプト国会議長に宛てた書簡のフォトコピーを私に送ってきた。サーダートはこの書簡で(国会が)首相を喚問し、もともとのエジプト人であるコプト教徒に対する宗教差別に関して質問するよう要求した。(パレスチナ人のジャーナリスト)アハマド・アブー・マタル(Ahmad Abu Matar)は、この(宗教差別)スキャンダルに関する彼の記事『これがエジプトで起きていることだ!』で、この書簡のフォトコピーを掲載してくれた。※3 書簡には次ぎように書かれている。『エジプト人に対する(一種の)宗教的格付け、つまりファイサル・イスラム銀行コプト教徒の投資家に対し同銀行の株式の購入と同銀行ファンドへの投機を禁じていることに関しーー』。言い換えると、前述の銀行は、コプト教徒が他のエジプト国民のように(自分たちの)国で投資の権利を行使することを、彼らがコプト教徒であるという理由だけで禁止したわけだ。これは、露骨な、疑う余地のない宗教差別だ。
「問題は、われわれがエジプトにおけるコプト教キリスト教徒の苦難を指摘するや否や、コプト教徒に対する宗教差別などエジプトには存在しないというイスラム主義者たちの否認の反応や手紙の洪水に見舞われることだ。(われわれが)アラブ諸国で抑圧される少数派を擁護すると、同じことが繰り返される。政治的イスラムが他の宗教信徒に対し寛容を欠くもうひとつの例だ。
「湾岸諸国では、キリスト教徒と、イスラム以外の宗教の信徒は教会や信仰の家の建設が許されず、さらには新約聖書や、コーラン以外の聖典の持ち込みが許されない。(これらの書籍は)空港で、もし(当局者に)見つかったら、没収される。おー、イスラムの(良い)評判に貢献するムスリムよ、アッラーの名にかけて、どこに寛容が存在するのか。
イラクについては・・・イスラム主義者――スンニ派シーア派タリバンーーは、ちょうど過去のイラク諸政権がイラクからユダヤ人を一掃したようにキリスト教徒とマンダ教徒ーーイラクのもともとの居住者であり、最初の文明の建設者――を(イラクから)一掃しようとしている。これらのことすべてがアッラーイスラムの名前で行われていること、また、これらのことがアッラーの満足に値すること、さらに、アッラーが、こうした忌まわしい行為に天国と(天国の)処女で報いることは疑いない。
教皇はトルコ訪問中、「宗教、文明、文化間の和解における実地の教訓を教えた」
教皇ベネディクト16世は最近のトルコ訪問で、ムスリムに対するキリスト教徒の寛容の実地の教訓を教えた・・・教皇は脅迫を受けたにもかかわらず、トルコ訪問の約束を違えなかった1980年代に教皇ヨハネ・パウロ2世暗殺を図ったトルコ人囚人(メフメト・アリ・アジャMehmet Ali Agca)も脅迫した一人。(教皇ベネディクトに)特別の書簡を送り、トルコのイスラム主義者は暗殺を企てていると警告、命を永らえるためトルコ訪問をキャンセルするよう忠告した。
「しかし、教皇は生命を賭け、危険にもかかわらず(トルコ)訪問を行った。教皇は、宗教、文明、文化間の和解における実地の教訓を教えた。教皇はまた、イスタンブールのブルー・モスクを訪れた際、宗教の寛容におけるひとつの、インスピレーションを与える実地の教訓を与えた・・・ムスリムとともにメッカに向かって礼拝した(からだ)。イスタンブールのムフティ(イスラム法官)ムスタファ・チャウルジュ(Mustafa Cagrici)はこう言った。ブルー・モスクでの教皇の礼拝は『陳謝の表明よりも意味のあるものだった・・・これは彼の側のすばらしい先触れだった。それを通じてムスリムにひとつのメッセージを送ったのだ』・・・
「おー、ムスリムよ。これこそ宗教の寛容である。あなた方には同じことを行える十分な勇気と謙虚さがあるか。それとも、これ(教皇のイニシアチブ)にベドウィン的解釈を与え、このイニシアチブは教皇の弱さのサインであり、『悪意ある十字軍』に対するムスリムの勝利のサインだと言うのか。
「この時、啓蒙派イスラム主義者の一人である友人は私にこんな手紙を送ってきた。『教皇が道徳の、また他人をどう扱うべきかに関する、深い教訓をムスリムに与えたと私には思える。とくに教皇が全世界に対して陳謝した後、もし(中東の代表的イスラム主義思想家)アル・カラダウィ(Al-Qaradhawi)が、ムスリム大衆を煽動して教皇に反対させるのではなく(教皇イスタンブールで見せたような)役割を果たしたのならもっと良かったろう。しかし、カラダウィはその時、教皇の陳謝の受け入れを拒絶した・・・(教皇は)気高い道徳をもち、屠殺、皮の剥ぎ取り、手足の切断(の使用)を認めない宗教の持ち主であることを証明した』。
ムスリムが世界と平和に生きるために、理性と知恵に支配されるのは何時のことになるのか。ムスリムが、歴史的な文脈で見た聖句の解釈、また現代に沿った聖句の解釈によって(現れる)真のイスラムの本質によって支配されるのは何時のことになるのか。誰か聞いているか。
注: (1)http://www.elaph.com/ElaphWeb/ElaphWriter/2006/12/198693.htm  2006年12月20日
  (2)http://www.aafaq.org/reformist/aa/1758.htm  2006年12月16日
  (3)Elaph.com, 2006年12月17日 (http://www.elaph.com/ElaphWeb/ElaphWriter/2006/12/198001.htm).

(引用終)