ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ユーリの部屋」を再開します

二日間、お休みをいただいた(正確には勝手に休みをとった)「ユーリの部屋」ですが、ここでひとまず再開いたします。「ひとまず」というのは、3月12日と13日に東京での聖書翻訳ワークショップに出席するため、もう一度お休みするつもりだからです。ただし、いろいろと書くことがたまりましたので、まだ煮詰まってはいませんが、覚え書き程度にまとめておきましょう。

まずは、懸案だったマレーシアの総選挙。これは、本日付の『朝日新聞』朝刊でも、かなり大きな記事が掲載されていました。予想以上に、イスラーム主義党(PAS)も含めた野党勢力が躍進し、民族暴動事件が発生した1969年5月13日総選挙以来の結果となりました。アブドゥラ首相は、求心力低下の批判を受けつつも、続投を表明しているようです。一方、マレーシアの電子版新聞『マレーシアキニ』が選挙投票結果を速報していたのに、突然、接続不能となった模様で、それは単なるアクセス数の急増によるものなのか、あるいは当局による開示抑圧の意図によるものなのかという憶測が流れているようです。
というわけで、このたび初立候補した私の友人は、野党側として優位に立ったと報じられていますが、当否の詳細は現時点で不明です。彼が、いつの間にかホームページまで作ってYou Tubeにも出ていたのには驚きましたが、「与党が我々の動きを主流メディアで報道するのを妨げているため、このようにした」と説明していました。昔の彼ならば、当然与党の華人政党を支持していたのだろうと思われるのですが、やはり世の流れには逆らえず、このような人生行路となったのでしょう。もうこれからは、私がマレーシアに行っても、忙し過ぎて会ってもらえないかもしれませんね。

ブログをお休みした理由は、学会発表のためだったのですが、これは思った以上に、うまくいきました。雰囲気がとても穏やかだったのと、何人もの先生が「気がつかなかった」「勉強になった」「おもしろかった」「これからもずっとこの学会でやっていけばいいのでは?」「○○学会などもありますよ」「いやあ、すごくがんばっているんだなと思いました」などと言ってくださったからです。知り合いの先生や神戸バイブルハウスで面識のあった聖公会の司祭の方もいらして、懇親会も和やかに楽しく過ごすことができました。

こう言ってはなんですが、これまで10年近く毎年発表を続けてきたマレーシア研究会とは、まるで雲泥の差だと思いました。つまり、人を育てよう、理解しようとするか、それとも相手をたたいて押さえつけ、自分を優位に置いて相手を低く見るか、の違いだろうと思うのです。そう言ってしまうと、「いえ、マレーシア研究会も、一枚岩じゃありませんよ」という反論が聞こえてきそうですが、私にとっては、発表後は毎年ぐったりと疲れて、ショスタコーヴィチでも聞いていないとやっていられない気分になるので、やはり何か人的に決定的な違いがあるのでしょう。第一、「ここはゼミじゃないんだから、毎年発表するな」と言われたこともありますし、「こっちの知らない内容を発表するな」なんて言う国立機関の専任研究職の人までいたんですから(2007年9月26日付「ユーリの部屋」)。そういう人達が組織運営にかかわっていた/いるということ自体、学問精神から見れば、実におかしな話なのですけれども。

ともかく、研究は、よい環境の下でするのが、精神衛生上もよろしいですし、よい成果が生まれるでしょう。

ただし、神学部の先生方の前で聖書翻訳について発表する以上、どの資料を使うか使わないか、結構ギリギリまで考えていたので、睡眠時間も切り詰めて夢中になって準備しました。おかげさまで、懇親会から帰ってきたら、緊張の糸が緩んだためか、筋肉まで緩んで痛みが出てしまいました。これは年齢のせいでしょうね。若い頃は、多少無理しても、寝れば治ったのに、今は、休もうとすると、左腕が痛くて痛くて、寝られないのです。これからは気をつけよう!何事も、マイペースが一番、そして無理しないで長く続けることですね。今日の新聞で、人類学者の青木保先生が、「こうしたスピード最優先の時代だからこそ、複雑な情報、じっくりと理解するための情報、つまり遅い情報の価値が逆に高まる」と述べていらっしゃいますから、心強い限りです。

学会では、関西学院大学の神学部長から、エラスムスの対話集についてのお話をうかがい、うずうずと読みたくなってきました。その他にも、沖縄の教会についての新資料発見と新解釈の問題が提示されたり、日葡辞書や日国大など国文学出身者としては懐かしい資料名が含まれる発表を聞いたり、アウグスティヌス矢内原忠雄キリシタン関連のお話も、それぞれ興味深かったです。
この学会で不思議なのは、どの発表者のお話も、理解不能というものがなく、思い当たる節があるという感じで聞けるところです。キリスト教理解の基本は、まずは聖書。聖書をじっくりと読んでから、教会史や思想史や歴史神学などに入るのが筋だろうと思われます。その点、聖書も読まずに、社会現象としてのキリスト教観察だけで研究成果を出そうとするなんて、土台、むちゃな話ですし、結果的に無駄だろうと思います。

さて、その聖書に関連して、昨日の午後は、大阪のザ・シンフォニーホールで、ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団によるJ.S.バッハ作曲『マタイ受難曲BWV244を堪能してきました。のどびこをふるわせる正統派のドイツ語が聞き取れる喜びばかりでなく、歌詞を見ながら一緒に小さな声で歌えたのが、我ながらうれしかったです。今は受難節なので、時期的にもぴったりの曲を、本場のドイツ語で味わえるというのは、一生のうちにそうそうあるものではありません。ドイツ語の聖書は、以前にも書きましたが、学部二年の頃から読み始めました。そういう土台を作っておいて、本当によかったと思います。
私にとってのライプツィヒと言えば、学生時代に数年間、ドイツ語と英語で文通の続いたミヒャエル君というペンフレンドの住んでいた町です。当時は旧東ドイツの共産圏時代だったため、学校ではロシア語の次に英語だったそうですが、それでも上手な表現を使った手紙が即座に届くので、こちらにとっても励みになりました。というわけで、私の方も英語から途中でドイツ語に切り替えて書くようになったのです。いつの間にか、途絶えてしまいましたが、確か、最後の手紙には、お父さんがガンで亡くなったこと、一人っ子の自分はこれからお母さんと二人暮らしになること、などが書かれていました。今、どうしているでしょうか。
合唱団は、女の子と変わらない高音の6歳ぐらいから9歳ぐらいまでの小さくてかわいい少年達と、声変わりした高校生ぐらいの青年達で構成されていたのですが、彼らを眺めながら、ついミヒャエル君を思い出したというわけです。それにしても、伝統的な世界に誇る聖トーマス教会合唱団なので、青少年達は微動だにせずもっとピシっとしているのかと思っていたら、日本ツアーの最終日だけあって疲れがたまっているのか、肘をついたり、隣同士ひそひそと喋ったり、うつむいたりして、結構動くんですね。まるで、テレビ番組でミッフィーの学校の場面になる時、うさぎちゃん生徒達が微妙に揺れ動いてじっとしていないのとそっくりです。お客さん達の方がじっと身動きせずに聞き入っているのと対照的でした。もちろん、歌う時になると、さっと立ち上がって、声量豊かにぴしっと歌を響かせるところはさすがです。主に群衆のパートを歌っているので、休憩時間を挟んで3時間も続く宗教音楽をじっと聞いていろというのも、年齢からして酷な話でしょう。一人、体調が悪いのか、座っている小さい子がいたのですが、歌う場面では大きな口を開けているところは、幼いながらのプロ意識の表れですね。また、オーボエの男性が、顔を真赤にして演奏していたので、熱があるのでは、と心配になりました。それでも、最後まで奏し切っていたのは、あっぱれです。

ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんのラジオ番組で、「ゴーっと足を踏み鳴らして喜んでくださるお客さん」の話が出てきた時、(何だろう?それは陽気なイタリアの話かな?)と思っていたんですが、今回、合唱団の子ども達が、演奏後にソリスト紹介で拍手する時、両足を踏み鳴らし両手で膝を叩いて喜んでいたのを初めて見て、(あ、これのことなんだ)と納得がいきました。待っている間は、ゆらゆらお行儀悪く揺れているようでも、子ども達なりにちゃんと、ソリストの演奏ぶりを聞いて評価しているのですね。それにしても、すごい忍耐力と精神力ですよ、ドイツの教会合唱団というのは。大人でも、一瞬気が緩む部分がないわけでもないのに、あれをレパートリーの一つとして、何度も何度も国内外で歌っているのですから。日本は、お子ちゃま向けに妥協し過ぎかもしれませんね。

それと、音色が全体としてとても温かかったのが印象的でした。もっと厳しく端正な響きかと思っていたので。さらに、以前も書きましたが(2007年11月21日付「ユーリの部屋」)、ドイツの楽団らしく、やはり終了後に隣同士握手をしていました。合唱の子ども達も同様に握手して挨拶し合っていました。こういう規律正しさは、私がドイツ文化を尊敬する理由の一つです。

さて、今日はこの辺にとどめておこうと思います。では...。