ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ユーリの部屋」再びお休みします

これから、しばらく没頭すべき準備等がありますので、「ユーリの部屋」はひとまずお休みさせていただきます。明日、もし余裕ができれば日文研の講演会に行く予定ですが、この分では多分欠席して準備の続きをすることになるでしょう。また、あさっては梅田で研究発表です。この学会では初めてご披露する内容ですが、従来数年間にわたって、マレーシア研究会でもこまごまと資料を作って発表したものと重複する部分があるので、何とかなりそう、というより、何とかなってほしいです。
それに関連して、2000年秋頃の『ヘラルド』マレー語版(1ページ分)を見ていたら、用語の使い方に発見がありました。これは重要なポイントです、少なくとも私にとっては。
こうしてみると、昨年の今頃、イスラエルを旅しながら、「長期的視野でよい研究をしてください」と諭してくださった80代のT牧師のお言葉が、改めて身にしみます。2000年には、3月、6月、10月から12月までと、3回もマレーシアに滞在したのでした。ところが当時、いくらこちらが頑張ってみたところで、少なくとも首都圏では、責任者の一部のみが密かに議論して対処していた様相だったので、大司教にまで面会を許されたにもかかわらず、目指す結果を出すことがそもそも困難でした。
でも、今ならさすがに、インターネット上での動きもあるので、このテーマの意義を自他ともに認めることが充分可能になってきました。
だからといって、今からこの分野の研究を始めていたのでは、到底間に合わないわけです。というのも、ジャーナリズムの報道は現況だけを見て書き、問題に焦点を当てるために、偏りがあったり、一部に間違いがないわけでもありません。私の分野で最も信用のおける文献は、聖書翻訳者向けのジャーナルと東南アジア研究の学術雑誌と専門書籍です。これだけは、畳二畳分ぐらいの複写を集め、幾つかの段ボール箱にもぎっしり資料やノートが詰まっていますので、今後は、ブログである程度見解がまとまったら、論文用にこれらの整理と分析にかかる予定です。
かくいう私の文章も、ブログの場合は、ある程度は本を引用したりメモやノートを読み直したりして綴っていますが、論文とは違って一文一語を詳細に調べ上げて書いているわけではありません。留意しているつもりでも、こちらの思い込みや勘違いや記憶違いが多々含まれていることかと思います。また、個人攻撃にならないよう(なっているかも?)、数か所だけですが内容を脚色してぼかした部分もあり、それは自分用ノートに覚え書きしてあります。

何はともあれ、何だかんだ言っても、これが私に与えられた宿命および課題なのかもしれません。それならば、この段階に至った今は、迷うことなく突進あるのみです。マイペースでも自分なりに納得のいくよう、努力を積み重ねるだけです。それが一番…。

ところで、シンガポール聖書協会の総主事でいらっしゃるLim K. Tham(林溪潭)先生からメールが届きました(参考:2007年7月13日付・2007年8月7日付「ユーリの部屋」)。昨日までマレーシアにいらしたのですって。「マレーシア教会協議会(CCM)の冊子に先生のお名前が載っていましたね」と手紙に書いて昨年6月の国際聖書フォーラム2007のレセプションでの写真をお送りしたら、喜んでくださいました。昨今では、「マシンド」(Ma・Sin・Indo)という三か国のエキュメニカルな交流が教会指導者レベルで持たれているようで、90年代までの「我々はそれぞれ国が違い過ぎる」という分離的な態度ではなくなったようです。

シンガポールにもしばらく行っていないので、あの辺りの雰囲気を思い浮かべると懐かしいです。それにしても、不思議なご縁でいろいろな方々を知り合いになれて、ありがたいものです。かつて戦争で散々迷惑をかけた地域であり、学校を出て初めての仕事として滞在したので、マレーシア、シンガポールインドネシアには、日本人として格別の深い思いがあります。