ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

人のふり見て我がふり直せ

今冬は寒いと言われていたものの、外に出ると、いつの間にかほのかに春の香りがします。都心ではなく、山々に囲まれた自然と水の豊かな土地に住むことの幸いは、樹木や花々や鳥たちの生態状況を通じて、敏感にいち早く季節を感じることができる点にあるかと思われます。

昨日、ある学会から送られてきた会報を読んでいて、古きよき時代の感慨をしみじみ思い起こしました。それは、手書きで封書を書いていた時代を振り返っての、ある先生の思い出です。会員一人一人を思い浮かべながら、隙間の時間を見つけては封筒に住所と名前を書いていらしたとのことです。切手もわざわざ美しいものを取り揃えて貼られていたとか。大変な手作業だったそうですが、一面、人と人とのぬくもりがあり、すべての方の近況もよく把握していらしたとのことでした。また、学会誌を送るのに、ポストを満杯にしながら、他のポストを探してそこも満杯にした時代があったそうです。迷惑をかけながら、と添えられている点にも、その光景を想像するだにほほえましく思われます。

一見、たいしたことのない不合理性の思い出しをしているかのように感じられる向きもあろうかと思いますが、私にはそう感じられません。こういう機微こそが、人生を形作り支えていくものであり、今のような時代でこそ、非常に大切な一面であろうと思われるのです。

ところで、2008年2月21日付「ユーリの部屋」でご紹介した随筆やエッセイの本を読んでいたら、ますます落ち込んでしまいました。昔からその傾向があったのですが、優れた本を読んだり、すばらしい人にお目にかかったりすると、(ああ、もうどうして自分なんか生まれてきちゃったんだろう!何にも取り柄がないじゃないか、私)と後ろに下がりたくなるのです。
「それはおかしい。どうしてそう思うんだい?」と主人に諄々と諭されつつ、「大丈夫だよ。ユーリのこと、誰もそんなに気にしていないからさ。どうしても間違っていたら、ちゃんと教えてあげるよ」と励まされて、ようやく気を取り直す、これの繰り返しです。でも、そういう主人の方がずれていたらどうするのよぉ!取り返しがつかないじゃない?

このブログも、主人に背中を押されて、恥ずかし気もなく披露することにしたのですが、単なる自己主張や自己紹介という文章は、上記本によればダメなんですね。そうしてみると、消したくなる文章もいっぱいあって、(もう、どうしよう!)です。

ただ、ここで一つ言い訳をお許しください。昔流に黙って控え目にして、自分の分に応じて与えられた場で黙々と努力しているだけでは、蹴っ飛ばされたり、公然と無視されたり、事実無根の失礼な対応をされたりすることも世の中には多いのだということが、だんだんわかってきました。それだけならまだしも、問題は、そういう待遇を受けることで、全体の流れから遅れを取ることです。その方がむしろ深刻です。判断を誤ることもあるからです。

例えば、確かに学会費を払っているのに、ある重要な任務についている先生から「あなたは学会に入っていないから、だめよね」と正面切って言われてしまいました。「いえ、私、会員なんですけど…」と言っても、「なんていう学会なの?」と、あたかも大したことのない形式学会であるかのように看做されて、本当に憂鬱になってしまいました。その先生が役員をされている学会なんですよ!上記の「学会」はまた別で、私にとっては、れっきとした由緒ある学会なんですけれども…。

こんなこともあります。某件について、ある時、親切心のつもりで翻訳ミスを指摘したところ、いくらなんでもという返答が戻ってきたのです。その人の知り合いだという人に伝えたら、「ガセネタ扱いされたのでは?」とのこと。これまた失礼じゃないかと思ってしまいました。そもそも、私は軽々しく‘ガセネタ’などを流すようなタイプに見えるんでしょうか。むしろ、その人がガセネタを撒かれるような環境に置かれているという可能性はないのでしょうか。その方達は、ある分野で責任ある地位についているのです。それなのに、特に立場を持たない者に対しては、平気で「ガセネタ扱い」してくるという点を、逆に問題視したいのです。

若い時なら、「そんなのは相手にするな」と戒めてくださる方がいらしたので、いささか安心でした。また、70代後半や80代ぐらいの方達、すなわち戦前の教育を受けて荒波を乗り切ってこられた世代は、今でも、「いや、立場の問題じゃなくて、その人の顔つきや話し方を見れば、わかるでしょう?」と言ってくださいます。ですが、最近はどうも、どこかそれが崩れているような気もするのです。

20代や30代の研究者と話していて気になるのが、せっかく顔と顔を合わせているのに、「あ、それはメールで議論しましょう」などと避ける人がいることです。話せばすぐにわかることも、わざわざ部屋に戻ってパソコンを立ち上げて、文章を練り上げて送信して、それを読んで返信して、という経過を、なぜ相手に辿らせるのでしょうか。

一方、遠方でなかなか会えない場合ならば、メール交信も重要な手段です。その場合にも、こちらは大事な話がまだ終わっていないつもりなのに、受け手が一方的に、「では、時節柄、くれぐれもご自愛くださいますようお祈りいたします」と挨拶を送ってくることがあり、(え、ちょっと待ってよ。そっちから振ってきたのに、その話はどうなったの?もう続けたくないのかな)と中途半端な気分を味わわせられることもなきにしもあらずです。忙しいなら忙しい、時間がないなら時間がない、その件は深く考えていないのでわからない、などと、それぞれに返答の仕方があると思うのですが。

電話は、昔ならば、親しい友人以外は、かける時間も受け取る相手のことも考えて、緊張しながら手に汗を握らせていたものです。今思えば、それがよい訓練になったのかもしれません。切る時も、受け手が受話器を置いてからこちらも置く、という風に教わったのですが、今は誰でも、ほぼ間違いなく、用件が終わったらさっさと「プチリ」というボタン式で終わってしまいます。新聞社などは、たいてい向こうから「ガシャリ」と音を立てて切りますね。社員教育は、そこまで必要ないのかもしれないんでしょうか。

今では、そういう面にも、自分でおさおさ怠りなく気をつけていく必要があるのかもしれません。思えば、大変な時代になってしまいました。

PS:そういえば、院生の時にも、変なことを言われていたのでした。都市郊外に家があったので、住所だけを見て「グン、グン」と会う毎に言ってこられた某助教授。もともと代々その土地に住んでいたのではなく、何を意図されているのかもわからず、私がぼんやりしていたため、わからせようとして何度も言われたのかもしれません。今なら、下手をすると場合によっては、パワハラとかアカハラの一種として訴えられるかもしれませんが。また、別の教授の授業で、テレビでの小塩節先生のお別れの挨拶「ごきげんよう」を取り上げたら、「あの方はお父様が有名なキリスト教の牧師で、上流階級なんです。ユーリさんとは違うのです」とクラスメートの前で指摘され、まったくがっくりきてしまいました。もちろん私は、「ごきげんよう」を使ったことがありません。第一、テレビにも出ないし...。でも、上流階級であろうとなかろうと、小塩力先生もご子息の小塩節先生も、本やテレビやラジオを通して、聖書とキリスト教とドイツ語の師として、当時から、密やかに尊敬し敬愛申し上げていたのです。なぜ、そこで‘階級差’を持ち出されなければならないのでしょうか。丁重さや話者の品位を問題にしたかったのに。それこそ、小塩両先生のお教えが生きてこないではないですか。
…と今なら反論できるのですが、当時は言われっぱなしでした。悔しくてなりません!