ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

どのように人生の整理をつけるか

「しあわせな人生のために健康であることは欠かせません」と、人間ドックや健康診断の勧めのパンフレットには、キャッチフレーズとしてよく書かれています。
20代ぐらいまでは、確かに私もそう思っていました。実家では、一人も入院も事故もなく暮らしていたので、(病気になるのは、その人自身に問題があるからではないか)と密かに傲慢な思いを抱いていました。しかし、主人の発病をきっかけに、必ずしもそうではないことがはっきりとわかり、人生観が変わりました。今回の私の「難病中の難病」とやらも、そうです。普段から、食事など生活に留意しているつもりなのに、どうして原因不明の疾病にかかるのか。特に、私の場合は、ドクターの言われた「こういう人がなりやすい」の諸条件からことごとく外れていて、「私、健康優良児だったんです」と言ったら、思わず苦笑されていました。だからこそ、「難病」と名付けられるのだそうです。
一般通念として、病気は、よくないもの、忌み避けるべきもの、とされているようですが、医学研究者の話では、「次から次へと新しい病気が発生する」というのが現状のようで、それならば、現実を直視してしまった方が賢いのではないかと思うのです。
以前、天皇陛下がいつかの記者会見で、ご自身のガン発病についての公開を、別に特例とは解されていないような意味のことをおっしゃっていました。むしろ、隠し通すのはよくない、というお考えのようでした。お立場上、なかなか難しい面もあるのではないかと思いますが、あるものをあたかもないかのように隠したり、別のものに言い換えて公表するのは、あるべき在り方から外れているというお考えなのではないだろうかと、誠に勝手ながら拝察しました。

そうはいっても、私共も、ここに至るまでには、ずいぶんいろいろな専門家の方にご相談したのです。特に、「ご主人はドクターに診てもらえるし、周囲も理解できるけれども、一見、健康で自由に動き回れる奥さんの方が、実はもっと大変なんですよ」と言われた時には、(あ、そうか!)と我ながら目から鱗(←パウロですね)の思いでした。なぜかというと、診断がついた頃、主人の母の方がおろおろして、電話でも頻繁に「息が詰まるでしょう?詰まるでしょう?」「ユーリさんは運が強い人だけど、あの子はねえ..」と繰り返し言われていたので、(かわいそうなのは主人一人であって、その配偶者たる私は運が良いと思われているのか?)と(今から思えば)チグハグな印象を持たされていたからです。

それに、このブログでも何度か愚痴のように書いていますけれども、当時から、周囲に「いつまで(研究を)やっているのぉ?」「ご主人って、すごく理解のある人なんですね。まだマレーシアなんですか」と嫌味とも嘲笑ともつかぬことを言ってくる人達がいました。それでもキリスト教の教えに従えば、「赦しなさい」「つり合わぬくびきをつけないように」となるので、自分自身、(そんなことを言われるような筋合いはない!!!)と内心反発しつつも、表に出せないので非常に鬱屈した思いだったのです。

ところが、ご相談した専門家は一様に、「これからは、自分にとって心地よい環境を作っていきましょう。不快なことを言ってくる人達からは、心して遠ざかりましょう。世の中の価値観は一つではありません。私から見れば、あなたは非常に強い精神力を持ち、能力的にも、平均以上の並外れた力を持っています。ご主人も、別の意味で、とても強い方です。夫婦が支え合って仲よく暮らしていれば、病気であろうと何であろうと、世間の人は何も言えなくなります。そこがあなた方の強みなんです」と言ってくださいました。また、「若くして働き盛りの進行性難病患者の夫を支えながら、家庭のこともきちんとやり、それでいて、何度も自費でマレーシアまで一人で出かけて現地の人々の協力を得てリサーチも続けているなんて、普通なら、そんなに簡単にはできないことをしているんですよ。あなたは自分では、人より遅れているから、たいしたことない、たいしたことない、と何度も言うけれども、もっと誇りに思ってください。自信を持ってください」とも言われました。

こうして書いてみると、なんだか自慢しているようなのですが、本当に落ち込んで、主人共々、社会的生命も絶たれてしまったように感じていたので、あえて書かせていただきます。同様の環境にあるかもしれない方達へのエールも込めて。

主人の病気を通して、我々二人にとっての人生訓となったのは、「まっすぐ正直に生きていくこと」「自分が本当にやりたいことをすること」でした。主人の場合、ありがたいことに、昔から誰に強いられるでもなく自分に向いた仕事についていました。だから、社会的地位とか立場より、内実に重きを置く生き方を続け、それが許されていたのです。特に、だんだん感覚がより鋭くなって、怪しげな人や不愉快な人や出来事を、事前に察して避けられるようにもなりました。人が見えるようになってきたから、ある面、無駄が省けてきました。元気だと、ついつい余計なことにも係わってしまいますからね。

先月の白方誠彌先生のホスピスでのお話には、「最後に何をしたいか、その人の希望をかなえるようにする」というポイントが出てきました。遠方に行きたいと望まれた事例では、大阪から「鳥取砂丘を見たい」という希望があったそうです。そこで先生も、その人の余命日数を計算して、通常よりもかなり多めに薬を投与して症状を和らげ、旅行に連れ出す許可を与えられたとのこと。実際には、帰って来て予定より早く逝去されたようですが、それでも最後の望みをかなえる手助けをすることは、非常に大事なのだそうです。

それを聞いて思ったのは、(私ならどうするか)でした。実は、行きたい所も読みたい本も聴きたい音楽も勉強したいことも、まだたくさんあって困るのですが、とりあえず、最重要項目として、「不快なことを正当に処理しないまま抑え込み、マグマのように持て余してきたので、それを何とかしたい」というのが一番の希望ですね。もっと具体的には、若い頃から、本当のところはあまり感謝できず、したくもないことに対しても、社交上、ことばの上で「感謝します」「ありがとうございます」と定型句のように言う習慣があったので、潜在意識で蓄積された本音の部分をどう整理したらよいのか、ということです。つまり、正直に生きていなかったことの取り戻しをしたいわけです。

普段の私は、マレーシアの勉強をしたり、その他の日課に追われて忙しく気を紛らわせていますが、時にはこういう内容もいいでしょう。昨年3月のイスラエル旅行の時にも言われましたが、どうやら私は、こういう話をしなければ、外側からはそんなに大変な日常だとは見えないんだそうです。「相当強い人なんですね」「あなたねぇ、普通だったら離婚を考えてもいい状況なのに、よくやっているわよ」とも言われました。だからこそ、事情を知らない人から、軽い気持ちでいい加減なことを言われやすいのでしょうか。頭ではわかっているんですが、心理的には、そんなに生易しいものでもありません。毎日、ただでさえ負荷がかかっている状態なのに、失礼なことを言われてもニコニコしていたなんて。だからこういうことになったのでしょうね。今後は、気をつけよう!