ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『ペルセポリス』の本2冊

昨日は、ふと気になって昼間のうちに、1月14日に主人と見たコミック映画『ペルセポリス』のメモをワードに入力して整理しました。映画のみならず、講演会でもクラシック演奏会でも、忘れないようにメモをとる習慣がありますが、映画館内は特に暗いので、広告の裏を何枚か使って、音を立てないようにマジックペンでメモをとるのです。案の定、主人が鞄を膨らませて、仕事から遅く帰宅しました。最近、こういうタイミングが抜群にいいのです!鞄の膨らみは、注文してあった『ペルセポリス』の本2冊のためです。主人の会社経由で頼むと、書籍が一割引になるという仕組みです。
・『ペルセポリス1イランの少女マルジ』『ペルセポリス2マルジ故郷に帰るマルジャン・サトラピ(著)園田恵子(訳)バジリコ 2005/2007年 

夢中になって読み始めた私を見て、主人が「ユーリにとって初めての漫画だね」と笑っていたのですが、もちろんそんなことはありません。あまりお小遣いももらえなかったので、自分では買うことはありませんでしたが、中学や高校の頃、クラスメートや部活で一緒だった友達が、気を利かせて何冊か回し読みで貸してくれていました。こうして考えてみると、随分いろんな人達に助けられて育ったという感じですね!
ともかく、この映画は、主人の社内報でも紹介されていたものですし、2008年1月11日付『朝日新聞夕刊』にも大きく記事が掲載されていました。だから、主人の会社から原本の漫画を購入したとしても、ちっとも問題ではないのです。
映画も本も、白黒モノトーンですが、イラストの雰囲気は、映画の方がもっとやわらかくて単純なラインになっているように思えます。また、ストーリーに関しても、映画の方が大袈裟で下品でギャグっぽくトントンと進んでいきます。本の方は、さらに事情が詳しく述べられていたり、映画では理解あり気なお母さんとの確執も描かれ、ヨーロッパ滞在中の経験も、抑え気味でより多彩です。
近所の図書館で借りればいいかと思って検索してみると、既に貸出中で(これは相当待たなければならないだろうな)と判断したため、買うことに決めましたが、それで正解でした。

映画も漫画本も、イランや中東情勢にあまり関心のない人にとっては、(ふうん。大変そうなところだな)で終わってしまうかもしれないのですが、私にとっては、研究テーマ上、とても他人事ではなく、身につまされる話です。まじめに考えるとあまりにも重苦しいので、このようなギャグっぽいおちゃらけムードで描く方針にしたのではないでしょうか。

マレーシアでお世話になった大学の女性教官のうち二人が、留学を機縁にイラン人男性と結婚された方でした。一人は華人女性でパリ留学経験者、もう一人がマレー人女性で日本留学経験者でした。こうしてみると、私の学生時代に見聞した日本の留学生政策や留学生への日本語教育などが、いかに独りよがりだったかと思います。当時としては、精一杯だったと思うのですが、何分、不慣れなままに皆で、日本びいきを作ろうと頑張っていた感じでしたので。そういう点で、狭い意味での自分のキャリアということではなく、人生経験としての広い意味で、マレーシア滞在は私にとって貴重だったと思います。

というのは、お二人とも、日本のことをそれほど評価してもいなくて、日本留学組のイラン人夫の方も、私を車に乗せても一瞥だにしない態度でしたから。数年間は東京の大学で勉強していたのなら、日本からマレーシアに来た私にもう少しぐらい愛想よくしてくれてもいいのに、とその時は思いました。当然のことながら、私に日本語での挨拶すらなく、車の中でのひと時を、平気でご夫妻で英語とペルシャ語で喋っていました。

フランス留学した華人女性の先生は、十数年前、慶応大学での国際フランス語学会に出席するということで、わざわざ私にご連絡をくださいましたが、一緒にカフェに入っても、堂々と英語で通す人でした。三田は雰囲気がしゃれていてあかぬけた高級感があるせいか「ここ、私気に入ったわ」「あなたはどんな所に住んでいるの?」とは言われたものの、用事ならそういう場所がよくても、私自身が、住むなら郊外ののんびりした所がむしろ合っているせいもあり、ますますギクシャクした雰囲気になってしまいました。私は、住む場所で人や自分の社会的ステータスなどを意識するタイプではないのです。マレーシアでならば、そういうわけにもいきませんでしたけれども。

マレーシア国内では、シーア派のようなイスラームは、表向き存在が公言しにくい事情があり、そのためもあってか、イラン人と結婚されたこのお二人のマレーシア人女性の先生達も、どこか防衛的で強圧的な態度になってしまったのかもしれません。正直なところ、私にとってはちょっと親しみにくい先生達でした。突然、居丈高になったり、ある時には急に優しく親切になったりと、ご機嫌を常にうかがわなければならなかったからです。

2004年からは、仕事の関係で、日本のイラン研究者の何人かやイランからの宗教権威者およびお偉方のお話をうかがう機会が増え、いろいろと考えさせられることが多くなりました。自分の研究との関連では、やはりペルシャ語からマレー語への借用語彙の問題です。もちろん大いにあります!また、中東の方が国際国内情勢が複雑だと思っていたら、東南アジアの方がもっと複雑だと言われ、驚きました。宗教人口分布が、マレーシアなどと比べると遙かに単純なのだそうです。そういう比較は、それまで気付かなかった点でしたので、勉強になりました。

それから、2007年3月上旬にイスラエルを旅行したことがきっかけで、イラン大統領によるイスラエル非難が、当事者にはどれほどの恐怖感ないしは緊張感をもって受け止められているかが、実感としてわかるようになってきました。イランでもユダヤ系の人々が少数ひっそりと暮らしていたことは、この『ペルセポリス』にも出てきます。

主人公マルジ/マルジャンの家は、裕福で教養のある自由思想の階級に属しますが、だからといって、この内部告発的な映画と漫画本が、「特別なイラン人の見解」と切って捨てられるものでもなかろうと思われます。彼女だからこそ表現できた、勇気あるメッセージだろうと思います。お母さんの「この国で生き延びようと思ったら、勉強していろいろなことを知っていなければならないの」という言葉は痛切に響きます。これは、マレーシアでも、都市在住の中上層の華人やインド系からよく聞いたセリフでもあります。そこから刺激とインスピレーションを受け、私も何とか勉強を続けているわけです。

まだ最後まで読み通していませんが、思うところがあれば、また『ペルセポリス』について言及しようと思います。