ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

管理束縛の体制は人間不信から

神戸での学びの話はまだまだ続くのですが、事の性質上、慎重にならざるを得ないテーマなので、しばらく休憩をいただくとして、別の角度から「信仰におけるキリスト者の自由と責任」の問題を示唆したいと思います。

休みの日に主人とおしゃべりしていて、ふと昔の珍妙な経験を思い出しました。愛知の管理教育は全国的にも有名ですが、学校遠足のおやつの話をしたら、主人が「そんな変な習慣、大阪にはなかったよ」と言うのです。
私の中学では、当時、遠足のおやつ代は一人300円以内と決まっていました。もちろん、少しでもたくさんお菓子を持って行きたくて、たいていの子は、お菓子屋さんではなく、スーパーマーケットで1円でも安く買うのです。私もそうしていました。ところが、遠足の前日に、持ち物検査の一環として「おやつ検査」なるものがあったのです。しかも、値段をごまかしていないかどうか、「レシートも先生に見せること」という指示までありました。レシートを忘れた子には、先生が電卓を手にお菓子代を計算して、300円以上だとわかると、なんと没収されていました。
今では信じられないような過干渉教育ですが、もっとあります。中学の修学旅行で東京まで行った時には、新幹線の中で「下着検査」がありました。体育の着替えの際にも、抜き打ち検査と称して、家庭科か保健か生物の女の先生がのぞきに来て、派手な下着(というものがあるのかどうか)は、即刻、厳重注意されていました。修学旅行では、白か淡いベージュならよいが、ピンクや濃いベージュ色はダメ、赤や黒の下着は厳禁で、シンプルな形ならいいが、レースやリボンがついたものや絵を描いたものや刺繍入り下着はご法度という、わけのわからない指導もなされていました。小学校の間は私服なので、もちろんレースもリボンも大丈夫で、アップリケや刺繍のついたかわいい下着だって健康診断の時もOKだったのに、中学に上がると途端にダメダメの一点張りだったのです。
ですから、お店で規格内のものを探す方も、結構大変でした。先生にチェックされるなら、普段の洗いざらしの下着やシミのついたものなんて持っていけませんからね。

今から思えば、下着は人に見せるものではないし、色や形よりも、まずは清潔かどうか、自分に合うサイズかどうかの方が大事なことなのに、本当に無意味な管理指導をしたものです。私たちも欝憤晴らしに、「じゃ、先生のもお手本を見せて」とはしゃいだり、「うちは貧乏だから、母/姉と下着を共有しているんです。うちの母/姉、この下着が好きなんです。だめ?」などと、口応えしながら、元気に乗り切っていました。
高校の時も、すごかったですね。自宅での勉強時間の自己申告が毎日あり、そればかりではなく、睡眠時間までチェックされて、逐一指導されたのです。私の場合は、勉強時間はよしとしても、「寝る時間をもう一時間減らせ」とか「ピアノの練習をやめて、その代りに英数に集中せよ」と担任から言われ続けました。さすがに、その時には、うちの親も電話で抗議し、「家庭内での時間の使い方は、親の責任下にあるのだから、学校の先生は、授業と友人関係と体力作りと基本的な社会生活の面だけ面倒みてください」と申し入れたようです。

大学に入ったら、さすがに自由で、ようやく深呼吸できるような気分でした。中世文学の教授が、「あんたら、なんや、管理されたがっとるようだが」とぼやかれたのを聞いて、(やっぱり大学とはいいものだ)と思ったことを覚えています。

それから考えると、最近の大学間競争や評価体制は、一種の逆戻り現象かもしれません。とりあえず、今日のところは、ヒントのみにとどめます。