ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

明日は算盤の日

「パチパチそろばんの日」についてブログを書いたのは、早くも11年前のことになる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170808)。
昨日、別件で初めて町内の商工会館(Chamber of Commerce)の中に入った。入り口に幾つかのパンフレットが並べてあり、なんと「平成30年度 全国商工会 珠算検定」パンフまで置いてあったので、早速一部いただいてきた。
古い記憶を辿ると、小学校5年から中学2年頃まで、名古屋市内と名古屋市郊外の珠算塾に週一か週二程度、通っていたことがある。自発的というより親の勧めだったが、近所の友達の大半が当たり前のように通っていた。
今から考えても、暗算思考や指の訓練や古い伝統文化の尊重等、子供にとって重要な機会だったと感謝している。
市内では、近所の篠田先生という中年の女の先生。近所の子と一緒に、手提げ袋に算盤を入れて、先生のお宅の教室に行っていた。今なら携帯入れだが、算盤ケースを塾で購入した子もいた。私のように、母親が端切れ布で袋を作って、それに入れて通っていた子もいた。
ある日、誰かが「先生もさっき、教室が始まる前に算盤を練習していたよ!」と口走った。篠田先生は穏やかに、「そうよ。人に教えるなら、まず自分がその何倍も練習しないと」と返答された。二階建ての和風家屋で、いつも時間になると先生がトントンと階段を降りて来られ、お教室が始まったものである。
篠田先生の「願いましては〜」の声が、蝉の声と共に今も耳に木霊する。あれが私の夏休みだった。
ところで、子供ながらに、いつでも不思議だったことが一つあった。
教室では、木製の横長の机に横列に並んで子供達が座り、先生の合図で一斉に算盤の玉を弾く音を鳴らしながら、次々と計算問題をこなしていく。一回の授業時間は、確か30分から40分ぐらいではなかっただろうか。小学校の一時間の授業が、私の時代では確か45分だったので、小学校低学年の子も集まる珠算塾では、それ以上には長くなかったと思う。
隣の子との間に一種の競争心も芽生えて、一生懸命にパチパチと計算を進めていくのだが、その過程で、どうしても解けない問題が出てくる。黙って挙手すると、すぐに先生が側に来られる。でも、先生は何もおっしゃらないで、横に立って背後から見てくださるだけ。それなのに、あら?あれほど解けなかった問題が、するすると難なく答えとして出てくるのだった。
(魔法の杖みたいな先生だよねぇ)と、いつも私は思っていた。
その当時、検定試験には確か二種類あり、「全珠連」と「日商」と略称で呼んでいた。一級以上を目指すお姉さん達は、高校受験でも商業科を選び、珠算検定で上級合格者だと入学に特典がつくらしかった。将来の目的意識がはっきりしているお姉さん達の姿は、とてもまぶしかった。

数ヶ月毎に実施される検定試験を受け続け、順調に合格していくのがおもしろかったが、幼稚園からずっとピアノも習っていたので、中1の終わり頃、親の勧めにより「学校の勉強に集中したい」という理由で、二級まで合格した段階で止めることになった。その時には、郊外にある畑の中のプレハブ平屋建て家屋の珠算塾だったが、やはり女の先生で「ユーリちゃん、勉強がんばりなさいね」というお餞別の言葉をいただいたのが、最後となった。
はい、今も勉強がんばっていますよ、先生!
小学校では、珠算の得意なクラスの友達が、学校の先生の算数の説明よりずっと上手に、位取りの概念や、複雑な割り算や掛け算の計算方法を教えてくれたことも覚えている。
Oちゃん、あの時はありがとね!すごく助かったよ!

話はつい長くなったが、今の珠算の勧めパンフレットは、「右脳を鍛える」「集中力・記憶力」「イメージ力・分析力」を強調し、国際色豊かな可愛い子供達が、片手に算盤を掲げて笑顔で並んでいるイラストがついている。そして、算盤は‘abacus’だと英語まで書いてあって‘attractive’だとされている。
算盤の効用としては、「自分を鍛える」意味もあるという。具体的には、昭和37年に第1回全国珠算検定試験が実施され、受験者総数は1710万人以上、合格者は676万人以上とのことであるが、珠算の力を活かして、合格者はいろいろな分野で活躍しているらしい。「集中力」「記憶力」「忍耐力」等から「IT社会でも大変役立つ人になっている」と書いてある。
さらに驚いたのは、算盤を通した国際交流まであることだ。
主人の実家から送られてきた荷物の中に、義母が使っていた算盤が入っていたが、きれいに拭いて、また始めようかな。塵も積もれば山となる。
私も「大変役立つ人」になりたい。