ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ペルセポリス」の主人公と私

ところで、私の気質は、表面的にはおとなしく地味そうに見えて、内面は非常に激しく、直情径行らしいです。理不尽な曲がったことが大嫌いで、それに対しては、遠慮会釈なく、断固怒りを表明します。ストレートで率直な態度が好きなのは、子どもの頃からでした。

以前も書きましたが、クラシック音楽でも、バッハを除けば、華やかでスケールの大きく重たい曲が大好きです。だから、情熱的で壮大なブラームスの作品や二重言語と称されるショスタコーヴィチは、特に合っていますね。メロディもすぐに覚えられます。一方、モーツアルトは上品で整っていて、楽譜は一見やさしそうですが、弾いてみると結構難しい曲が多く、ちょっと苦手です。

この気質はどこから来たものか。おそらくは、小さい頃から、常に家庭内で闘いつつ、鍛えられて育ったためだろうと思われます。とにかく、筋の通らないことやわけのわからないことが多過ぎました。それに対しては、のらりくらりとかわすのではなく、直球で力の限りバンバン打ち返しまくっていました。毎日のように「その理由を述べよ!」と、怒り狂って叫んでいた心象風景があります。やどがりのように重い荷物を抱えて、目を血走らせて動き回っていたのも、また事実です。根は素直で単純ですから、理由や背景に納得がいけば、すぐさまおとなしくなったのですが。

主人が笑いながら、よく私に言います。「ユーリは、毎日、共産主義体制と闘っていたもんね」。まったく、「我が闘争」ですよ。

そんな状態なので、結婚した途端、闘う対象が消え、安心して気が緩んだのか、一年ほどは、あちこちに体の不調が表れました。目の血管が切れて充血したり、外耳炎になったり、めまいがしたり、肋間神経痛になったり、膝が痛くなったり、椎間板ヘルニアになったりしていました。おかげさまで、今は風邪もめったにひかないほど、健康です。

当時、クリニックでは、「話を聞くと、今までが大変過ぎたんですよ。よくがんばりました。少し、頭と心と体を休めましょう」と言われました。「私、おかしくありませんか」と尋ねると、「あなたは正常な反応をしているだけです」と言われ、薬も出ませんでした。実際、30代初頭にして(もう私の人生終わったし)と腹を括ってしばらくのんびりしていたら、まもなく元気になって気力が充実してきました。

ともかく、今の私は、昔の取り戻しをすべく、誰にも阻害されずに、クラシック音楽を存分に聴き、いろいろな外国語が勉強でき、好きな本を自由に読み、気が済むまで勉強でき、文章を書き綴っていけさえすれば、大袈裟な話、かすみが食事でもたいしたことありません。毎日、おなかいっぱい食べられ、本当に幸せです。「そもそも出発点が間違っている。たいした学校も出ていないから、この先どうなっても構わない」という開き直りがあるため、何も怖くないんです。人に取り入る必要も義務もないし、もっと肯定的な面にエネルギーを振り向けることができます。

数年前のある研究会で、「興味深いご発表をありがとうございました。ところで、ご研究の枠組みは何ですか」「どの程度までご研究を発展させる予定ですか」という質問が出されたので、さっそく次のようにお答えしました。
「そもそも研究者になる素質も予定も、私にはなかったんです。何も知らなかったんです。ただ、現場で抱いた問題意識を追求/追究しているだけです。ですから、依って立つ枠組みなどはありません」「なぜこのテーマを研究しているかについて、その動機を述べることはできますが、この先どうなるかなどは、何ともわかりません」。人は生まれた場所や時は知っていても、いつどこで生命を終えるかはわからないのに、ちゃんと生きています。それと同じです、とも言いたかったのですが、あまりにバカバカしかったのと時間の関係で、自主カットしました。
直後に、今は某女子大学の学長をされている京大名誉教授から、「女性は、つよい。人前であれだけのことが言い切れるなんて。今日はここに来て本当によかった」とおほめいただき、かえって当惑しました。「あれだけ」って、ただ事実を言っただけなんですが。

イラン映画ペルセポリス」を見ていて、主人公のマルジ/マルジャンが、どこか私に似ているかもしれないと感じました。違いは、私の場合はお行儀よく内攻したのに対し、彼女の場合は外に向けて実力行使したことです。