ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

依存傾向があるのは夫か妻か?

このブログでは、たった一つだけ、自分で決めた厳守項目があります。それは、主人の仕事に迷惑をかけないということです。
そもそも、主人の方から「早くホームページを開きなさい」と勧められ、ホームページ作成の参考書やソフトなどを用意してくれました。長らく躊躇していたのは、私の方です。「会社の人が見て、なんか変なことにならない?」と、たびたび訊ねましたが、「いや。なんにも。皆、自分の仕事で精一杯で、毎日忙しくて、ユーリの書いている内容にケチつけてる暇人なんか、いないよ」との同じ返事。「他人が何を思うかなんて、気にしてたら、独創的な先端研究はできないだろう?気がついたら世界の誰かがもうやっていたとわかった時、どうするんだい?」
いやあ、それはもう経験済みです。独創とまではいかなくとも、日本国内で、上の先生方や周囲の理解を求めて頑張っていたら、いつの間にか、マレーシアの人達にすっかり先を越されてしまいました。当然ですね。

もともと分野が異なる上、実際のところ、主人の仕事の中身を私は知りませんし、わかりません。私の方も、毎日、自分の課題に夢中の日々ですから、主人ができる限り長く仕事が続けられ、暮らしが何とか成り立つならば、それで充分だと思っています。
昨晩もそうでしたが、早くて9時半過ぎ、遅くて11時過ぎ頃、くたくたになって帰宅します。それから、私が作ったつたない夕食をいっしょうけんめい食べて(←疲れると、口を動かすのも大変なんだそうです)、少し休んで、お風呂に入って、着替えるのもまた一苦労ですが、本当にほっとできるのは、布団に入った時だそうです。(だから、少しでも晴れている日には、必ず布団をベランダに干して、ふかふかにしておきます。)家の内外の交渉および準備や整理整頓などは、ですから私の役割です。

外で仕事を持ち、経済力を得てこそ一人前、と主張するキャリア女性もいますけれども、それもこれも、環境とその人の全体的な素質および諸条件によるのでしょう。全ての女性が、それに沿った生き方をしなければならないとは思いませんし、思えません。
一方で、ある大学の先生がいつか、「主婦が自宅で勉強や研究を続けているなんて、目障りだ。しゃくに障る」と言っているのを聞いたことがあり、何を意味されているのか、まったく理解できませんでした。余程、向上心に欠ける女性が周囲に多いのでしょうか。たとえ内心おもしろくないとしても、相手を認めていかなければ、学問の進展が遅れ、結局は自分が損するだけだと思うのですが。

先週と昨日の神戸バイブルハウスにおける白方先生との談話会で、興味深く思ったのは、壮年男性の多くが、自分の置かれた状況に応じて体験談や質問を出されるのに対して、女性は、教会に来た方やご近所や遠縁の方など、他者に対するお世話体験から、具体的に尋ねる傾向にあったことです。女性の事例の方が、お聞きしていても深刻で大変そうでした。また、奥さんに逝かれた男性の方は、その後ほどなくして亡くなる例も多いのに対し、ご主人に先立たれた女性が、案外元気だったり、中にはイキイキと活動を始めたりするのが目につく、という話も出ました。ちなみに、ひときわ若い一人の男性が、死生観にまつわる抽象度の高い質問を短く鋭く投げかけ、世代を超えた交流の場の重要性と必要性を、改めて思いました。
「女性は強いです」「女性は、赤ちゃんを産み、子どもを育てるので、そのように造られているのではないでしょうか」と、九州男児の典型のような白方先生がお答えになっていらしたのも、またおもしろかったです。そういえば、去年の会合でイスラーム圏の話題が出た時も、常任理事の先生が、「カギは女性だと思いますよ。家の中を見ていても、女性の方が強いですからね」とおっしゃっていました。

帰宅後、主人に尋ねてみると、「そうだよ。ここの家でも、ユーリの方が強いんじゃないか?」との答え。「ただしユーリは、変なことを言う人に振り回され過ぎている。それと精神的強さとは、話が別物だ。混乱するな」と釘をさされてしまいました。

まあ、人間、いざとなったら何とでも生きていけますよ。私なんて、関西に来て以来、名古屋での小さな狭い世界のことなんか、全く誰にも相手にされないことがわかった途端、「そもそも出身地を間違えた。もう私には帰る場所もない。人生もあと半分しか残っていない。じゃあ、捨て身気分で生きていこう。なるようにしかならないし」と、急にむくむくと元気づいてきました。また、怖いと思う対象が格段に減ってきました。その秘訣は、また明日以降、ヒントを交えて書き綴っていこうと思います。