一つの宗教思想にまとめる潮流
2008年1月6日付英語版はてな日記“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)では、神の名をめぐるマレーシアの事例ニュースについて、集めた海外版報道から10本を選び出して、列挙しておきました。
1980年代の再々熱という感じで、マレーシアの当該関係者にとっては、多分、飽き飽きした内容だろうと思われます。何ら変わり映えしない問題です。
ただし、問題の告知や一時的な解決のために、インターネットは確かに何役も買っているでしょう。今では、1980年代の指導者レベルだけの内密討議と異なり、ニュースが流れるやいなや、私も含めて、すぐにブログやホームページにコピペして、関心を持つ人達が論評を始めますから。それに、海外の大手メディア(BBCやガーディアンやインターナショナル・ヘラルド・トリビューンなど)も、即座に追っかけインタビューをして記事化します。
しかし残念なことに、たいていその内容は似たり寄ったりで、あまり新奇な見解が見られないので、非常に落胆させられます。記事を書く人の力量によるというよりも、そもそも、事の本質が単純だからです。要するに、イスラーム復興の進展に伴う、「宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条になる時まで、彼らを相手に戦い抜け」(『コーラン(上)』牝牛章189節(193節)井筒俊彦(訳)岩波文庫 青813-1, p.47)実践の一反映だと言えるのではないでしょうか。
かの板垣雄三氏も、日本のクリスチャン向け雑誌にですら、すべての宗教はイスラームに向かっているとムスリムは考える、という意味のことを述べていらしたので(参考:『信仰生活を豊かにするキリスト教雑誌:信徒の友』(2002年6月号)[特集 イスラーム世界とキリスト教]日本キリスト教団出版局 pp.18-23)。さらに、それに遡ること2001年9月20日付『朝日新聞』朝刊「私の視点」で、同氏が「イスラム文明は近代欧米文明の源泉である。日本の知識人がイスラムへの無知を口にするのは、実はよく知っていると思っている欧米への無知を告白しているにすぎないのである。」とまで言い切っていらっしゃるのですが、ギリシャ語からアラビア語への翻訳を担当されたのが、ズィンミー・クリスチャンや、ズィンミーとムスリムの結婚による子弟であったという説(Kenneth Cragg“The Arab Christian: A History in the Middle East”Westminster/John Knox Press, Louisville, Kentucky, 1991)については、どう釈明されるのでしょうか。
問題は、理論的に(はあ、イスラ−ムとはそういう考え方をする思想なのですか)と理解できたとしても、現実的にはイスラーム圏内で非ムスリムが困惑させられている事態に対して、大学のイスラーム研究者がなんら回答を提示していないという現実なのです。それならば、イスラーム復興が完了ないしは一定の衰退期を見るまでは、永遠に続く問題と言えましょう。
懸念されるべきは、これに対処し続けることで、当該地域の非ムスリムのエネルギーと知性が徐々に麻痺していき、創造的な目的に対してさえ枯渇してしまうという危険性です。この場に及んでも、時々、「もっとポジティブに考えられないものでしょうか」などと寝ぼけたコメントを寄こしてくる日本の大学の中堅研究者がいますが、バケツから水でもかぶって、早く正気になってほしいものです。
非常に雄弁かつ鮮明な歴史的証拠も付与されているという点で、マレー語聖書の事例は好例です。そこに17年前から目をつけた私なのですから、それに関してはもっと誇りを持ってもよいのかもしれません。
長かった冬休みも終わり、今日から本格的な仕事始めです。私も、久しぶりに早起きして主人を見送り、張り切っています。
明日は、主人の会社で健康診断を受ける日ですし、その後もいろいろと予定が入っています。これからの段取りをつける上でも、今日のブログは、短いですがこれで失礼いたします。
(追記)2008年1月20日と1月21日に、文中一部加筆いたしました。