ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

音楽・キリスト教・アメリカなど

昨日、近所の図書館で借りたのは、次のCD2点です。
・『エマニュエル・パユ&ル・サージュ:フランク&R.シュトラウス:フルート・ソナタ』(Ch.M.ヴィドール作曲 フルートとピアノのための組曲Op.34-1」も含む)
・『ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第3,14,15番他:ジュリアード弦楽四重奏団』(「ピアノ五重奏曲ト短調Op.57」も含むCD2枚版)

エマニュエル・パユは、以前から時々来日されていて、テレビで演奏風景を見て好きになりました。このCDにおさめられているフランクもR.シュトラウスも、もともとヴァイオリンのソナタが原曲です。もちろんそちらの方は手元に持っていますが、これをフルートで聴くというのは、なかなか渋い感じがします。ヴァイオリン原曲はとても音色が華やかなので、つい聴きながら声を張り上げて歌ってしまい、神経が高ぶって勉強や読書に集中できません。しかし、フルートは肺活量との兼ね合いもあり、そもそもしっとりした音色なので、神経も落ち着くというわけです。

ショスタコーヴィチの方は、演奏者5人がこれまたまったく渋い演奏をされる方達です。シカゴ大学ミシガン大学プリンストン大学やテルアビブ大学などでも学ばれた人々で、ショスタコーヴィチを演奏するならこういう成熟した大人じゃなきゃね、と再認識させられました。聴いてみると、(あぁ知ってる、このメロディー)ということの多いCDでした。ショスタコーヴィチリバイバルって感じですね。

アメリカのコネティカット州から届いたのは、“International Bulletin of Missionary Research”(Vol.31, No.4, October 2007)という55ページ相当のキリスト教宣教研究誌です。1910年のエディンバラ会議の回顧と、2010年に予定されているという第二次エディンバラ会議についての論考を興味深く思いました。

そもそもこの冊子を知ったのは、インターネット上でウィリアム・シェラベアについての追加情報を探していた7年前のことでした。今は南メソディスト大学神学部でディレクターをされているロバート・ハント師が、1980年代後半から1990年代前半にかけてマレーシアの神学院で教えながらウィリアム・シェラベアについて研究し、マラヤ大学歴史学科に提出された博士論文のサマリーが、この冊子に掲載されていたのです。その他にも時々、日本のキリスト教事情やマレーシアの神学者達の書評などが掲載されていたので、購読を申し込みました。しかし、どういう神学的傾向なのかが判然としなかったため、某大学神学部長(当時)に質問してみたところ、「さあ、わかりません」とあっさり。(あれ?アメリカの宗教がご専門とのことなのに…)とやや不審に思ったのですが、まあ、お忙しいのでしょう。その頃同じ大学で教鞭をとっていらしたアメリカ人女性宣教師の教授に尋ねたところ、とても喜ばれて「ああ、これはね…」と非常に的確に説明してくださいました。喜ばれたのは、その先生がその冊子に関わっていらっしゃるからではなく、私がアメリカの宣教雑誌に具体的に興味を持ったからのようです。結局のところ、その説明によれば、「かなり保守的で、キリスト教だけが唯一の道と考えているクリスチャンによる定期出版物」とのことですが、同時に「でも、この人達は、外国の宗教研究は非常に熱心で、よくやっているわよ。そういう点で会話を交わすのはおもしろいわね」とも付け加えられました。3年前のことです。懐かしいエピソードです。

日本国内では、保守的クリスチャンに対して、リベラルなクリスチャン達が、どこか優越感を持って論評していたように感じますが、よく調べてみると、現状では、「リベラル」とは必ずしも好意的な評価だけではなさそうです。「リベラル」を自称するクリスチャンは、考えや態度が‘寛容’で‘進歩的’なようでいて、結構、日和見主義的でいい加減でアバウトなところもあり、何を考えているのかわからず戸惑わされることもあります。私自身は、自分がどちらに属するのかよくわからないのですけれども…。少なくとも、この冊子の内容に関しては、篤信の元宣教師やクリスチャン教授が編集や執筆をされているからかもしれませんが、データが細かく常に更新されていて、神学的傾向さえきちんと把握できていれば、資料としては信頼できそうに思います。

ところで、昨日の朝日新聞朝刊に、日本の理系研究施設に関する世界トップレベル拠点の記事が大きく載っていました。世界の頂点はアメリカのMITのメディア・ラボを模するとあり、「あら、うちの主人が留学していた場所じゃない?」とびっくりするやら懐かしいやら…。「びっくりする」というのは、我が夫が、そんな‘頂点’のお世話になっていたことが信じられないという意味で、「懐かしい」というのは、2005年8月に、主人と二人でボストンとハートフォードをリサーチも兼ねて訪れた時、MITにも足を伸ばして散策したからなのです。

主人に言わせると、「10年前とちっとも変わっていない。何だか信じられないなあ、自分がここで勉強していたなんて…」とのこと。もっとも、食堂は変化があり、閉店されたり別のお店になったりしていました。当時、主人はハーバード大学でも英語のクラスを受講していたと聞き、何だか私、進路を決定的に間違えたのではないか、と深く反省。主人にできるなら、私にだって手が届かないとも限らないのに…ってこともないですか??

それに、ニューヨークでミュージカルまで見ていたんですって!!タングルウッド音楽祭も何度も行き、今はなくなってしまった9.11のビルにも何度か上がったりしたんだそうです!写真が残っているのですが、改めて我が夫をまじまじと見つめる私。

確かに私、マレーシアで時間をかけ過ぎました。最初は何が何だかわからず、求めても、正直なところ、国内でこの分野に関するエキスパートの先生に巡り会えなかったからでもあります。どんなに「自分は自分」と頑張っていたとしても、出会いがなければ自分で遠回りをしてでも探り求めるしかないのですから。的外れのアドバイスを受けて、一人逡巡しなければならなかったこともあります。ここまでやってみて、確実に自分の力にはなったと思いますが、若い人達には、「冒険してごらんなさい」などと、決して安易には勧められるものではありません。

ただし、平板な循環系文化で時間を過ごしたので、横の広がりができたことも事実です。つまり、いわゆる待ち時間に関心を多方面に向けることで、根っこをはるわけです。そうでもしなければ、特定の狭い分野に対して仮に詳しくはなったとしても、独りよがりか井の中の蛙になってしまいそうだからです。

幸いなことに、主人はこう言ってくれました。「もし、ユーリと結婚していなかったら、マレーシアなんて興味なかったもんなぁ。行きたいとも思わんわなぁ。イスラームの話だって、そもそも知る必要もなかったもんな。だけど、今は新聞やテレビのニュース見てても、だんだん国際情勢の話がよくわかるようになってきたよ」
こう言ってもらえて、本当にありがたい限りです。私も、主人のおかげで、企業勤務の実態や理系の研究職のあり方、市場動向など、さまざまなことに視野が広がりましたよ。

昨夜は、ギル・シャハム氏と江口玲氏の来日リサイタル・ツアーの再々放送がNHK芸術劇場』でありました。もちろん、今度はデジタルと地上波の両方でしっかりと録画。5月22日に大阪に来てくださった時から今日までに、私にもいろいろな進展がありました。本当に、すばらしい機会をありがとうございます!これからも、健康に留意され、ますます充実した演奏活動を続けられますように…。