ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

牧師の質の低下ということ(1)

この三連休は、お出かけの他、フィギュアスケートクラシック音楽関係のテレビ番組をダラダラ見てしまい、何だかすっかりお休みモードでした。たまった写真の焼き増しやCD録音などができず、残念!その代わり、しばらくモタレ気味だった調子に一区切りつき、レフレッシュされた気分です。よぉし、これからは新規巻き直しで頑張るぞ!

昨年3月、エルンスト・バルラハというドイツの表現主義彫刻家の展覧会が、京都で開かれていた頃のことです。小塩節先生の著作を通して、この彫刻家の話を少し知っていましたので、早速出かけて行きました。ロシア旅行後の作品の変化、ナチスとの戦いの様子、シンプルで内側からあふれる感情表現の巧みさに惹かれて、後日、もう一度一人で見に行きました。その時は、ドイツ語のビデオ説明もじっくり鑑賞してきました。

その頃、ある教会でたまたま、日曜説教の題材にバルラハが用いられた話を聞きました。私が行った時には、バルラハ会場に結構人が来ているものだと思っていたのですが、その牧師が奥さん同伴で会場に赴いた時には、「ガラガラだった」とのことで、会衆から思わず失笑が漏れていました。
結局のところ、小塩節先生の著作から部分引用はあったものの、その牧師がバルラハについて何を言いたかったのかよくわからない説教でした。反戦思想にしては、かなりワンパターンというのか、人間のいい加減さや情けなさの話にしては、ちょっと平板な人間観というのか…。説教のネタ探しのために、あるいは、親切な教会員から入場券をもらったから、出かけて行かれただけなのかもしれません。
礼拝後、帰ろうとして、玄関口に寒そうに立っていた牧師に「お先に失礼いたします」の挨拶として、「私、バルラハの展示会、二回行きました。とても気に入りました」と言った途端、ものすごい形相で睨み付けられてしまいました。なぜ、あんな態度を返されたのか、今でも私にはよくわかりません。これまで数十年生きてきて、そんな態度を取られたのは初めてのことでした。しかも、教会で…。他の人からも避けられたり、よく睨まれたりしているなら、こちらの非だと思いますが。
たまたまその日はご機嫌が悪かったのかも、と思い直して、次週も頑張って同じ教会に行ったのですが、今度は帰りの挨拶で無言のままでした。
一体、キリスト教会というのは、「どなたでもお越しください」と看板や週報には記していても、実際には仲間内しか入れない所なのかと思い、電話帳を繰ってキリスト教会と名のつく所に片っ端から電話してみました。
「一方的な話だけでは、何とも返事のしようがないのですが」というお答えが一つ。「それは、その牧師に問題があるんじゃないでしょうか。うちの教会なら、まだ新しい人に対して、そんな失礼な対応は取りません」という牧師夫人の回答が一つ。その他は、「どうもその牧師と相性が悪いようですね。教会を変わるか、留まるかの決断の時ですね」というお返事や「そんな教会、無理に通わなくてもいいじゃないんでしょうか」などというお答えをいただきました。
今の日本のキリスト教会は、教勢が低下し、教会経済も低迷し、高齢化して若い人がほとんど寄りつかず、といった深刻な問題が指摘されています。有能でしっかりした人ほど、教会学校で終わり、一般社会で活躍していることが多いようです。しかし、教会がそのまま存続する場合、誰かが牧師として就任しなければならないわけです。その「誰か」の質こそが問題になるはずべきものが、どうやら毎年、「献身者○名」を輩出する形式のみが優先されてきたのかもしれません。
牧師もストレスがかかり、大変だろうとは思いますが、こんな調子ならば、一般就職したとしても、順調に仕事ができたかどうかも心許ないものがあります。もちろん私は、その牧師の質に疑問を感じたので、あっさりとその教会をやめました。