ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

中間休みと今後の計画

今、ミネソタ管弦楽団とヴィクトリア・ムローバによるシベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲ニ短調op.47をFMラジオで聴きながら、書いています。この曲は、北欧の自然の美しい雄大さとのびやかさが感じられ、私のお気に入りの一つです。ムロ−バのCDは、十年ぐらい前から時々借りて聴いていましたが、音に透明感と艶があって、なんともいえず素晴らしいです。

この曲を聴くと、2004年3月9日に京都コンサートホールで開催された、ロンドン交響楽団庄司紗矢香さんの演奏会が思い出されます。会場にカメラが設置されていたのですが、ちゃんと録画されて、後日テレビで放映されました。この曲を全身全霊で演じきったブルーのドレス姿の紗矢香さんが、今でも彷彿としてきます。

………と、気がついたら、この「ユーリの部屋」も開店以来、3ヶ月を過ぎました。

特におもしろくもおかしくもない、平凡な事柄や思い出話を気儘に綴っているだけですが、人生の節目として、このように書き続けることで自分が整理されてきたこと、また、未知既知さまざまな方達に読んでいただけることを、心より感謝しています。このところペースと要領がつかめてきましたので、もう少しこの調子で様子をみていき、数ヶ月したら写真や投稿文や論文や旅行記録なども載せて、もっと充実したページに仕上げられたらと願っています。今後とも、どうぞご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます!

お彼岸を過ぎて、ようやく暑さからは解放されそうです。そろそろ体の疲れも軽減されることでしょうから、従来から続けていた日課を再開しようかと思っています。

まずは、ドイツ語とスペイン語と文語訳での聖書朗読。マレー語も加わるのは言うまでもありません。ピアノの練習も、指を動かせば頭がすっきりしてくるので、少しずつでも続けましょう。キリスト教イスラーム、音楽、古語の各種辞典類を5項目ずつ読むことも、再び始めます。それから、日本と中国と西欧のそれぞれの古典を読むこと。健康面では、毎日の散歩(近所の小高い山を一往復、住宅地内を歩く、買い物は徒歩にする、など)に、週に一、二度のプール通い。まぁ、そんなところでしょうか。直接、専門とは関係ないですから、気楽なものです。ギリシャ語の学習本を買ったのはいいのですが、なかなか続きません。やはり、よい先生を見つけて、規則的に少人数で学ぶのが刺激的でよいかもしれませんね。ヘブライ語は、CDを聴いて音慣らしです。ヘブライ語については、ミルトスから棚卸しのセール通知をいただきましたから、早速、3割引きで出エジプト記のCDを申し込むつもりです。

このところずっとご無沙汰している京都や大阪の美術館や博物館などへも、折を見て訪れてみたいと思います。催しものを知るために、電車や駅などのポスターは必見です。あ、来月には、パールマンの演奏会が大阪で開かれますが、もう数ヶ月前にチケット予約は済ませてあります。楽しみ楽しみ!

その他にも、送っていただいたり買ったりした本や購読中の各種冊子などが、相当たまっているので、こまめに目を通して整理したいと思っています。整理といえば、洋間の本棚とテレビの部屋の畳の上に、資料コピーや本が溢れかえっているので、少しずつ処分するなり、まとめたりしたいです。過去十数年にコツコツ集めてきた文献コピーの目録を作り、そこから関連のある分野について部分抜粋したものをマレーシアの神学院に送る約束をしているので、これは絶対にしなければならない仕事です。

というわけで、するべきことは紙に書いて張ってあっても、なかなかできませんでした。また、ノートにリストを作って、日課の消化具合を記録していますけれども、外泊があったり緊急の用事があったりすると、学生時代のようになかなか順調には進みません。やりたいことは本当にたくさんあるのですけれども…。ロシア文学、フランス文学、スペイン文学なども、学生時代を思い出して、また読みたいですし、国文学科出身者としては、近代文学の復習もしてみたいものです。

ところで、五嶋みどりさんが、2006年3月の公式ホームページ上で、大変興味深いことをおっしゃっていました。質問に答える形での文章なのですが、とてもよい刺激になりました。さすが世界的な一流音楽家は、日頃の心構えがしっかりされていて、実践も着実です。

「音楽のインスピレーションはどこから来るか」という問いに対しては、「あらゆることから来ている」とのこと。日常生活のささいなことでも、疑問に思ったことは何でも調べてみると、新しい発見があるので、常にインスピレーションのアンテナ性能を高めるトレーニングをするそうです。当然のことながら、一日4,5時間のヴァイオリン練習は必須で、コンサート後も一人残って2時間ほど練習されるとのことでした。ヴァイオリン練習の内容は、新しい作品の練習および昔勉強した作品の練習し直しなどだそうです。また、大学卒業後も一日3時間は勉強の時間に当てていらっしゃるそうです。その勉強とは、当時は、日本史、現代音楽、論語、アフリカの王女の伝記、などのようでした。何だか私に似ているんだ、とうれしく思いました。
また、みどりさん自身、現実的で体系的に物を考えるタイプだとのことで、音楽家同士でも、思ったことをダイレクトにはっきりと言い合い、腹の探り合いのようなことはしないとも書かれていました。
このように、日々を懸命に充実させて生きていらっしゃるためか、「年をとることに恐れは感じません。むしろ楽しみにしている」そうです。

以前、「十年後、二十年後に自分がどうありたいか、紙に書き出してライフ・プランを立てること」と教えられたことがあります。せっかくなのですが、大まかな人生設計、特に金銭面の計画性は必要だろうと思う一方で、現代のように社会変化の激しい時代には、こちらが計画を立てていても、思い通りにはいかないことが多いものです。また「自分がどうありたいか」なんて、若い頃にイメージしていたことを後で振り返ってみると、背伸びし過ぎていたり、とっくに目標達成していたり、などということもあります。つまり、人生がわかっていない時期の計画なんて、所詮、たいしたものではないのです。学生の試験じゃないんですから、目標を立てて頑張ってみても、その通り機械的にいくはずがありません。周囲の環境との調整も必要ですし…。

また、「○○歳で結婚、○○歳で第一子出産…」などと書いてある女性向けキャリア・プランニングの本を見たことがありますが、なんだか笑ってしまいます。結婚なんて、生身の人相手のことですから、こちらが計画していても、それほど都合よくいくのでしょうか。出産だって、実際には毎度毎度が命がけであり、何が起こるかわからないものなのです。経済の本に書いてある内容も、古いものをめくってみればわかりますが、予想通りには行っていないことが多いですね。

結婚か仕事か…私の世代では、20代頃よく話題になりました。「結婚したっていいことないし」というのが仕事派の言い分で、「仕事を続けても、男性と肩を並べられるはずもないし、子どもも欲しいし」と言うのが結婚派の言い分でした。

本来は、二項対立そのものがおかしいのですが、当時は真剣でした。仕事というのは、まず暮らしの糧を得るためのものであるので、緊急の場合は、結婚していようといまいと、選んでいる暇などありません。それに、「この仕事は、この人じゃなければどうしても」という卓越した能力の持ち主ならば、周囲も配慮して、仕事も結婚も両立できるように道が整えられていくようです。ちょうど緒方貞子先生のように…。

結婚前は、結婚生活の暗い面や否定面ばかり見聞していたのですが、実際に結婚してみたら、目に入る新聞雑誌の記事は、満足して暮らしている人々の経験談が多くなってしまいました。この心境の変化は、いったいなぜなのでしょうか?

いずれにせよ、妙な束縛を受けずに各人に合った生き方が自由に選択でき、与えられた能力や気質に応じた社会貢献ができることが、最も幸せなことではないかと思います。外憂内患さまざまあれども、まず一応は安定した社会で、自給率4割以下なのに毎日充分に食べられることを、将来を心配しつつも、この上もなく感謝しています。