ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ヒラリー・ハーンのリサイタル(2)

今回は、日本ツアーの一環であり、ネット情報によれば、他所ではエルンストなどが入って、もっと密度の濃いプログラムのような気がしました。以下は、関西水準に合わせてってとこでしょうか?

〔プログラム〕実際の開演2時5分 終了時刻4時20分 中途休憩20分間

イザイ   無伴奏ヴァイオリン・ソナタ No.4, Op.27-4
アイヴズ  ヴァイオリン・ソナタ No.4, S.63「キャンプの集いの子どもの日」
ブラームス ハンガリー舞曲集
       No.10, No.11, No.12, No.19, No.5, No.20, No.21
アイヴズ  ヴァイオリン・ソナタ No.2, S.61
イザイ    無伴奏ヴァイオリン・ソナタ No.6, Op.27-6
イザイ   子どもの夢 Op.14
アイヴズ  ヴァイオリン・ソナタ No.1, S.60
バルトーク ルーマニア民族舞曲
      「棒踊り」「飾り帯の踊り」「足踏み踊り」「ブチュムの踊り」
      「ルーマニアポルカ」「速い踊り」

(アンコール)
パガニーニカンタービレです」と日本語で紹介あり。
紹介なしで、ブラームスハンガリー舞曲No.5の再演。(ここで小さくブラボーを出した男の人がいた。ちょっと中途半端。)

まだアンコールをしてくださるのかな、と盛んに拍手を送っていたのですが、立ち上がって帰って行く人達を見て、せっかく舞台に出てきたお二人も、そこでやめることに。よくソリストがオケに向かって拍手するような感じで、我々に向かって、ヴァイオリンを高く上げて、拍手のポーズをしてくださいました。
帰る方も、拍手の波でわかるのだから、ちょっと振り返ってあげればいいのに。
小品ばかりだとはいえ、日本人演奏家ならば、このプログラムの半分の曲目でもっと料金をとっていないか、と思います。

私達の席は、一時間半ねばって取っただけあって、A席の1階中央部分で、正面から奏者がはっきりと見える非常にいい場所だったと思います。(庄司さん・小菅さんの時には、舞台近くの手前の左側でした。フィラデルフィア管弦楽団の時も、一時間電話をかけ続けて、ようやく天井すれすれの最上階の場所がとれたという状況です。)
客席は、最上階までは不明ですが、ほぼ9割5分ぐらいは埋まっていたかと思います。アンコールの直前は、ようやくピーンと張りつめた空気ができ、満場が耳をそばだてているのがよくわかりました。最初からこうであってほしかった....。
というのは、自宅でDVDかCDを楽しんでいるかのような感覚で、何度も気楽に、変なところで大きな咳をする人があちらこちらにいて、本当に不愉快だったからです。何より、演奏者に失礼です。ヴァイオリンの弓がまだ上がっている最中に「ゴホン!」と咳き込まれると、「ちいとは予習してから来い!」と言いたくなってきますし、実に興ざめです。冬場なので、咳き込みやすいのはわかりますが、風邪を引いているなら、せめてマスクをして、大きなガーゼのハンカチを二重に当てて遠慮深く咳をすべきです。また、事前に飴をなめておくという一工夫も必須。(今回、我々は、時節柄、駅前で買った安いビタミンC入り飴でしのぎました。)
ヒラリー・ハーンさん自身も、何度か、あの力の漲った瞳で、音を立てた方をじっと睨みつけていました。なので、一曲終わって袖に戻る前のお辞儀も、まったく愛想なく、あっさりと一礼でした。
ピアニストは楽譜を見ながらでしたが、ヒラリー・ハーンさんは、マイクも譜面立てもなし。ヴォリュームのある温かく深い音色でしっとり歌い上げ、技巧を技巧とも感じさせずに、余裕たっぷりに気品あふれた様子。眉ひとつ動かさず、落ち着き払って、さらりと弾いてのけました。
補足ですが、顎当ての布も茶色で、ドレスの色とよく合っていました。演出として舞台上の照明が楕円形になるようにしていたので、全体として、非常に落ち着いて見えたことも申し添えます。
あくまで私にとっては、の話ですが、今回はアイヴズのソナタを聴けたのが収穫です。手持ちのCDには入っていませんが、いずれも、いつかラジオで聞いたことのあると何となく感じるような、なつかしい印象を与える曲でした。特に、第二番の第二楽章‘In the Barn’は、華やかで技巧的な曲。第一番の第三楽章は、終わり方が不思議な感じのする曲でした。せっかく紹介していただいたのだから、アイヴズについて、もう少し勉強してみたいと思います。やはり、演奏会はこうでなければ。知らない曲が何曲か入っていて感動を与えられるからこそ、刺激があるというものです。

ヒラリー・ハーンは、ドイツ系。苗字は、「雄鶏」の意味を持つのでしょうか?(愚かにも私は、顔立ちや髪の毛の癖から、ギリシャ系なのかと勝手に思ってしまっていました。どうして、ドイツ語単語が思いつかなかったのだろう?)また、菜食主義者とのこと。そして、社会の求めに迎合するのではなく、それを拒否して、あまり知られていなくても素晴らしいと思う曲を自ら演奏会で伝えていく、という方針らしいです。
若くても(といっても、今年で三十歳になりますが)、確固たるポリシーを持っている演奏家は、やはり魅力的だと思います。その魅力に惹かれてか、ヴァイオリン・ケースを背中や肩にかついで来ている人も、何人か見かけました。音高か音大の学生もしくはアマチュアで練習している人達なのでしょうか。楽器を座席のどこに置いているのか気になりますが、少なくとも、私などとは、聴き方がまったく違うでしょうね。

何年か前の夕方のFMラジオで、ヒラリー・ハーンの協奏曲を中継していた時、ゲストの日本人音楽評論家が、「彼女はとても愛らしい容貌だが、とにかく練習の虫で、完璧主義だ」と言っていたのを思い出します。演奏旅行でも、ホテルの部屋に荷物を置いた途端、練習を始めるのだそうです。天才だとか才能とか、世間は簡単にもてはやすけれども、評判をよそに、人の何倍も努力を積み重ね続けられる人だけが、本物なのだろうと改めて感じます。
主人が「どこか、エレーヌ・グリモーとも共通するものを持っていないかい?」と帰宅してから言いました。ヒラリー・ハーンの方が、もっとアメリカ娘らしく、健康的でのびのびしたところがあるのだけれど、と思いつつも、現代の若手演奏家をよりよく理解するために、お二人のホームページを開き、前者はメルマガを、後者はジャーナルを読めるよう手筈を整えました。