ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム圏内の改宗問題(2)

先日の「ユーリの部屋」(2007年9月24日)に引き続き、昨日マレーシアから届いたばかりのカトリック・ヘラルド週刊新聞の論考記事より、イスラームキリスト教の宣教と改宗問題について、少し考えてみたいと思います。毎度のことながら、英語版はてなブログ日記‘Lily’s Room’に、当該記事を筆写入力しておきました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)。ご興味のある方は、どうぞご覧ください。

ところで、その記事には、元原稿のアステリスク(*)に対応する箇所が、二カ所あります(濃い色で表示した語)。そして、記事の終わりに、注釈として説明が付記されています。最初のアステリスク(*)のついた‘Samuel Zwemer’なのですが、この名を見るたびに、思い出すことがあります。以前、ある小さな研究会で発表するよう依頼があったので、レジュメを用意して出かけて行ったら、とんでもない経験をしてしまったのです。

あるテーマに関して話す中で、この‘Samuel Zwemer’について、論文資料も持ち出して、「この方はイスラーム研究をしたキリスト教宣教師として、とても有名なんですけど…」と説明した途端に、出席していた数名が互いに目配せし合い、「こっちの知らない内容は発表するな!」「いつもコメントのしようがないって、皆で怒っているんだよね」と言い始めたのです。(あれ?発表してくれって頼んできたのはそっちなのに、こりゃイジメかな)と内心呆れ返ってしまいました。しかし、私だって気分がいいはずはありません。「すみませんね、怒らせて…」ととりあえずは下手に出たところ、「別にぃそういう意味じゃぁないんだけどさ」などと口をとがらす人までいました。
一応は広く公知された研究会ですし、れっきとした大学で開かれた会合でのことですから、後日、腹の虫のおさまらなかった私は、友人知人にその旨話しました。
一人の友人は、「もう、めちゃくちゃな研究会!」と我が事のように腹を立ててくれましたが、私も同感です。モノには言い方というものがあると思います。第一、大人げないじゃないですか?わからない説明なら、「そこ、もう一度かみ砕いて説明してください」と言えばよいだけのことです。また、「‘Samuel Zwemer’について、もう少し教えてください」という言い方もあります。普通は、わからないことは自分で調べて確認するぐらいの勉強姿勢が求められるかと思います。特に興味がないなら、黙って聞いていれば済むことです。

「こっちが知らない内容を発表するな」なんて、国立機関の専任研究者が、よくそんな恥ずかしい発言できますね!物事は何でも、誰からであれ、まずは謙虚に素直に学ぶ姿勢が最初に来るべきことで、その後、客観的な批判的思考などにつながるのだろうと思います。突っぱねて威張り散らすのが、国立機関の専任研究者のすることとは思えません。その日の懇親会で、「国民の皆様に対して、申し訳ない」と思うような研究費の使い方をしているという話も出ました。それを自覚しているなら、まず、基本的な態度から改めてください!これは、納税者である一国民としての発言です!

しかし、今回のマレーシアのカトリック新聞を見て、ほっと安堵しました。なぜなら、この新聞は、英語が読める程度の教育を持つカトリック信者なら、誰でも理解できる内容が掲載されているからです。つまり、「こっちの知らないこと」と言い放った日本の国立機関の専任研究者は、博士号取得者であっても、一般のマレーシア人カトリック信者より知識の幅が狭いという事実を、自ら公言していたということになるのです!

もちろん、全員がそうだというのではありませんが、マレーシア関連の集まりで一番嫌なのは、こういう‘一部の’人間関係です。真の意味で学問的に厳しいのは、全く問題がありません。むしろ歓迎です。しかし、「ガクモン」の名の下に、わけのわからない馬鹿げた発言をも甘んじて受けなければならないというところに、伝統の浅い分野の限界があると思うのです。また、こんな調子なら、まともな感覚を持った研究者が育つとも思えません。

あ、イスラーム圏内の改宗問題のテーマから、大幅にずれてしまいました。でも、これで溜飲が下がりましたので、今後は、このテーマについても、もう少しさまざまな角度から考えてみたいと思います。